冒頭、今年もお世話になった久昌寺です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/28/4e833ed87c8ad27073367a59cb082a4c.jpg)
快晴に恵まれ、無事、矢持の法事が終わりました。
早朝に名古屋を出発したので、近鉄電車の中では熟睡モードでしたが、秀ちゃんに
宇治山田まで迎えに来ていただいたので助かりました。
今回も「久昌寺」~「お墓」~「仏壇」と和尚さんに取り計らっていただき無事、法要
を終えることができました。
ところで今回は、法事に加えて、親父の懸案事項であった「平知盛」(大河ドラマで
放映中の平清盛の四男)ゆかりの久昌寺のことも長文で恐縮ですが以下に報告いたします。
たしかに現地には、「知盛山久昌寺」と書かれており、お和尚さんからは
「あなた方は平知盛の子孫です」と告げられまして、平知盛の位牌も見せていただ
くなど、詳しい説明をしていただけました。
下の写真で親父が持っているのが位牌と平知盛像です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/4b/35808ce77a5a5b05a1ae151782325b91.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/bf/f7587fb64aa4e42ad1a0d538a83bb277.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/ec/ca1b744d32ffbf54c511ee0436d13cb9.jpg)
先だってもNHK(広島支局)が取材にきてこの刀などをカメラに収めて行ったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/c6/52e800d7fca2b6b1cde2769a4a017c31.jpg)
インターネットで調べてもこの知盛説も一理ありそうです。
以下はWikipediaからの引用です。
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一説では、壇ノ浦の戦いの後、今の三重県伊勢市に逃げ延び矢持という
山奥の洞窟に身を隠したとされる。知盛の死後、菩提を弔うために、墓地に
御堂を建てたものが知盛山久昌寺としてその名残が残る。寺には家系図
も残され、知盛の直系の子孫まで書かれており、直系の子孫は健在で、現在
およそ40代目であるという。
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うーん・・なるほど・・・
たしかに矢持には洞窟も多く、和尚さんは自信を持ってこの説を唱えていました。
それにしても、矢持は自然が残っており、小さい頃、遊んだ面影がそのまま残っています。
好天にも恵まれ、今夏も行きました上高地とは大差ない?と思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/ee/0632c0a9ccedc92274ea3c4d3b14c1f4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/86/8cad65a0a1a97bbf194b99147776ab16.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/6e/4f8c2780b3e74f7d7bab0684e9f583d4.jpg)
今回は、平知盛のこともある程度、解明でき満足のいく法事だったと思います。
出口家は、もともと平家子孫であることは知っていましたが、ここまで調べていくと歴史
にもかなり興味がわき、或る意味ロマンみたいなものを感じた一日でした。
あとの写真は多数、画像フォルダへ入れましたのでご参照ください。
何はともあれ、供養は大切な営みであるとしみじみ感じました。
遠くシベリアで眠っていた弘さんの遺骨も無事、日本に帰ることができ、こうして夫婦
そろって法要できたことは誰よりも弘さんが喜んでいると思います。
最後に今回も皆の前で「戦争は二度とやってはならない」と力説した親父の写真を掲載し、報告を終えます。
合掌
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思います。
プラス写真左に映る「スーパードライ」も
おいしかったでしょう!
平知盛の子孫である家系には
確かに興味がわきますね。