埋橋孝文,2011,福祉政策の国際動向と日本の選択──ポスト「三つの世界」論,法律文化社.(9.30.24)
国際比較的な視点から、日本の新しい社会保障・福祉政策論を提示。南欧やアジアの福祉政策から日本の「姿」を診る。「雇用志向」、「労働と福祉の関係の再編」が先行する欧米の経験の検証を通して日本の位置を確認し、政策論議の場を提供。
副題にある「三つの世界」とは、イエスタ・エスピン=アンデルセンが福祉国家群を類型化した、自由主義レジーム、コーポラティズム・保守主義レジーム、社会民主主義レジームを意味するが、埋橋さんは、より動態的な福祉国家分析を目指して、1990年代のワークフェア、メイキング・ワーク・ペイ、ディーセントワークといった政策群を俎上に乗せる。
現在もなお解決の目処さえ立っていないワーキングプアへの対処については、「事前的労働規制政策」と「事後的所得補償政策」の両者が必要であることが明白になっている。
「事前的労働規制政策」としては最低賃金の引き上げや派遣労働の規制強化が挙げられ、「事後的所得補償政策」として有効なのは「給付付き税額控除」制度の導入である。
ここにある種の分岐点がみえてくる。1つは、「事後的所得補償政策」(ex-post compensatory strategy)と呼ばれるもので、メイキング・ワーク・ペイ政策がその代表である。この政策はアメリカ、イギリスなどのアングロサクソン諸国で有力なものであり、低賃金と仕事の不安定性(ワーキングプアの存在)を容認したうえで労働規制を撤廃し、給付つき税額控除制度などを通して低熟練労働者の所得「補償」をおこなう。これに対してISSA=ILOに代表される立場は、最低賃金制をはじめとする労働規制により「事前的に」低賃金と仕事の不安定性を軽減し、ワーキングプアの発生を最小限にする政策を主張するものである。
(pp.123-124)
ワークフェアにしてもメイキング・ワーク・ペイにしても共通するのは、それ自体として、「雇用の性格とその仕事の性格質」(JaneMillar)を問題としないことである。つまり、それをブラックボックス視している点に特徴がある。これに対して、ILO提唱によるディーセントワークは労働の中身(「労働における諸権利の保障」、「雇用やその他の働き方の提供」など)に直接関わる点が異なる。視点を変えてみてみれば、メイキング・ワーク・ペイは、労働の果実である所得に注目するのである。たとえば給付つき税額控除制度は税制などを通してその不足分を「補償」するものであり、一次所得分配後の再分配に関わる政策であるがゆえに「事後的所得補償政策」といえる。これに対してディーセントワークは大枠としては「事前的労働規制政策」である。
「事後的所得補償政策」と「事前的労働規制政策」は、それぞれ長所と欠点をもつ。まず、メイキング・ワーク・ペイに代表される「事後的所得補償政策」は、低所得階層の所得の下支えを直接的におこなう点で大きな効果を期待できるが、財源措置を必要としている点に加えて看過できない問題は、低賃金職種への賃金補助という性格をもち、そうした低賃金職種を温存させるという負の効果を併せもつことである。これは好ましくない点である。これに対して、「事前的労働規制政策」は、そのうちの最低賃金規制を例にとれば、「規制」であるがために財源措置を必要としない。この点では財政が窮屈な折、実現可能性を高める。ただし、とりわけ一国のみの実施の場合、雇用への悪影響が懸念される。また、必ずしも低所得世帯に属さないパート労働者にも引き上げの効果がおよぶことになり、ターゲット効率性が低いという問題がある。最低賃金制の対象者はあくまで個人であり世帯ではないからである。それに加えて、その実現には労働組合のバックアップが欠かせないが、その世界的な退潮という現実ゆえに実現可能性の点で課題を残している。以上のことが示すのは、万能薬的政策は存在しない、ということである。
最後に確認しておきたい点は、ワークフェアは、労働市場が対象者を受け入れることができるという条件に加えて、「事前的労働規制」と「事後的所得補償」制度とがそれに組み合わさって初めて十分な効力を発揮できるということである。言い換えれば、前後2つの制度がどれだけ充実しているかが、ワークフェアの成否を握っている。
(pp.166-167)
雇用保険と公的扶助(生活保護)の中間レベルで貧困層の生活を下支えするものとして、2015年から生活困窮者自立支援制度が導入され、コロナ禍の2020年には78万人強が同制度の下で相談支援を受けることになったが、生活保護同様、「福祉とつながらない」困窮者が多いことから、市区町村社協、福祉事務所、民生・児童委員等によるアウトリーチが必要とされている。
ここまで、税・社会保障制度のそれぞれについて国際比較の観点から検討してきたが、その結果、次のようなわが国のセーフティネットの特徴と改善すべき点が明らかになった。
第1に、法定最低賃金の水準は低く、失業保険の受給期間が短く、いったん就業すればそれがパート職であっても就業と同時に給付が打ち切られる。若年失業者給付が制度化されておらず、給付期間終了後の者や就業期間がないか短すぎるために失業保険給付を受給できない者を対象とした失業扶助制度も存在しない。
第2に、社会扶助(公的扶助)制度は、OECDのなかでも最も「包括的」「体系的」で生活費の各分野を網羅している。そうしたカテゴリー別の個別給付を合計すると給付水準はOECDのなかでもトップクラスにあるが、受給者の割合がきわめて低く(これについては埋橋[1999b]を参照)、その結果、働いていても貧しいワーキングプアが多数存在することになる。
第3に、日本では、そうしたワーキングプアに代表される低所得層に対して最も所得の底上げを期待される「社会手当」の整備が遅れている。このことは、典型的には、日本で住宅給付(これは低所得層に対する「一般的な住宅給付」のことであり「家賃補助」の形をとることが多い)が存在しないことに表れている。28ヵ国中21ヵ国でこうした住宅給付が何らかの形で制度化されていることが注目される。また、ひとり親給付(日本の場合は児童扶養手当)の水準はそれほと低いわけではないが、家族手当(日本の場合は児童手当)の水準は低く、給付される子どもの年齢が近年引き上げられたとはいえ未だ低い。
第4に、税制としては近年、子をもつ低所得層の就業促進と所得保障を主たる目的とする税額控除制度(一種の税支出制度)が導入されるようになったが、日本では未だ導入されていない。世帯形態・数による生活費支出の違いを考慮・調整するために、OECDの大部分の国で(23ヵ国)、逆進的性格をもつ所得控除ではなく税額控除方式を採用している。
上のような4つの特徴をもつ日本の税・社会保障制度はどのような帰結(outcome)をもたらしているのであろうか。
OECDレポートでは、失業者、社会扶助受給者、長期失業経験者(社会扶助受給者と非受給者の双方)などの純所得(可処分所得)を調べている。これらによると、日本では社会扶助を受給した場合の純所得の水準は国際的に高い(単身者で10位、子2人のひとり親で4位、子のいないカップルで7位、子2人のカップルで4位)。失業保険受給期間中の者の純所得もほぼ中位にある。しかし、失業保険受給期間終了後で社会扶助を受給していない者の純所得はアメリカ、韓国、イタリア、トルコと並んで最低位の水準にある(図表7-3参照)。失業保険受給期間終了後で社会扶助を受給していない者は、そもそも失業保険未加入であって失業した者と同じ状況にあり、「保険」と「社会扶助」の恩恵をともに享受できない層を代表し、制度の狭間で生活に呻吟するワーキングプアの姿を映し出している。
以上を通して「正規職労働者と生活保護受給者の『狭間』に多数存在するワーキングプア層への所得『保障』措置がとられていない」ことが様々な側面から立証された。わが国では社会保障が基本的に社会保険方式で運営されており。いわゆる非正規労働者がその網からもれ落ち、「ともかくも労働に包摂されているが、その帰属が曖昧であり、社会から排除されている」(岩田正美)という状況にある。
(pp.143-144)
雇用と社会保障(社会福祉)は一体のものであり、ベースとなるのは、最低生活(所得)保障である。
住宅、医療、介護、保育、教育、就労支援、労働等を網羅する、包括的な生活保障のしくみが必要だ。
目次
福祉政策における国際比較研究
第1部 比較福祉「国家」論から「政策」論へ
日本モデルの変容―社会保障制度の再設計に向けて
福祉国家の南欧モデルと日本
東アジアにおける社会政策の可能性
日本における高齢化「対策」を振り返って―東アジア社会保障への教訓
第2部 ワークフェアからメイキング・ワーク・ペイへ
公的扶助制度をめぐる国際動向が示唆するもの
ワークフェアの国際的席巻
3層のセーフティネットから4層のセーフティネットへ
給付つき税額控除制度の可能性と課題
「三つの世界」後の20年