『銃・病原菌・鉄』と比べると、日本での(学者は別として)評価は低いようだが、なかなかどうして、たいへんな力作だと思う。
ただ、気になったのが、チリでの、1973年の軍事クーデーターについて、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』や、G.ガルシア・マルケスの『戒厳令下チリ潜入記』についての言及が一切なく、参考文献リストにも挙がっていない。デヴィッド・ハーヴェイ流のネオ・リベラリズム批判もない。
その疑問は、「エピローグ」で氷解した。本書は、フィンランド、明治期日本、チリ、インドネシア、ドイツ、オーストラリア、現代日本、アメリカ合衆国における近現代史をとりまとめたものであるが、以下の12の「国家的危機の帰結にかかわる要因」が措定され、これらを意識しながら叙述が展開されている。
1.自国が危機にあるという世論の合意
2.行動を起こすことへの国家としての責任の受容
3.囲いをつくり、解決が必要な国家的問題を明確にすること
4.他の国々からの物質的支援と経済的支援
5.他の国々を問題解決の手本にすること
6.ナショナル・アイデンティティ
7.公正な自国評価
8.国家的危機を経験した歴史
9.国家的失敗への対処
10.状況に応じた国としての柔軟性
11.国家の基本的価値観
12.地政学的制約がないこと
(上巻,p.69)
つまり、本書は、史実を再構成しただけの、一回性の歴史の叙述ではなく、「エピローグ」で展望として示されているとおり、統計的一般化あるいは検証にたえうるだけの概念の操作化をはかったうえで、歴史の教訓を現在そして未来へと生かしていかんという、目的意識が貫かれた書物なのだ。そして、ハーヴェイ流の「イデオロギー」は徹底的に排除し、「価値中立」(ヴェーバーの概念は多義的だがここでは狭義の)的な経験科学としての歴史学が探求されているわけである。ダイアモンドには、実証性を重視する、カリフォルニア大学ロサンジェルス校地理学研究室の重鎮としての矜持があるのだろう。
だからといって、本書が、無味乾燥な実証研究で終わっているかというと、そうではない。ダイアモンドは、現時点での、精緻な実証研究は断念し、歴史を生きた人々の行為の意味、意図を、定性的に検証する。
1939年にソ連の軍事攻撃を受けたフィンランドにおいては、どの国からの支援も受けることができない孤立無援の状態のなかで、強固なナショナル・アイデンティティを維持しつつ、ときには犠牲を厭わずソ連軍と果敢に戦い、「現実政治」に妥協し、巧みにソ連による自国の植民地化を回避する。フィンランドの森林を白い軍服を着てスキーで滑走し、夜中、樹上からソ連軍のリーダーを狙撃し、戦車に特攻し小窓からソ連兵を射殺する勇敢なフィンランド兵士。涙出そうになった。1853年にペリーの来航を受け、尊王攘夷運運動、倒幕、明治維新を経て、富国強兵を推進し、日清・日露戦争で勝利をおさめて世界を驚嘆させた明治期日本。天皇制を国体にもってきて家父長制国家を構築したのはよけいだったように思うんだが、ダイアモンドは、明治期日本の選択を絶賛する。チリにおいては、1973年、アジェンデ社会主義政権が軍事クーデターにより倒され、ピノチェト将軍による凄まじい恐怖政治がはじまり、おびただしい数の人々が拷問、殺害された。インドネシアにおいては、1965年のクーデター未遂事件を機に、スカルノからスハルトへと独裁者が交代し、50万人前後と目される共産党支持者らが虐殺された。二度の世界大戦に敗北した西ドイツは、「奇跡の経済成長」を達成し、ヴィリー・ブラント首相は、ワルシャワのゲットーでひざまずきナチスの蛮行への赦しをもとめ、こうした誠実な外交姿勢が、のちの東西ドイツ統合の布石となった。オーストラリアにおいては、1942年、自国を守ってくれるはずのイギリス軍が敗北(シンガポール陥落)し、オーストラリアは日本軍の空爆にみまわれた。そして、オーストラリアの国民は、イギリスの「属国」から離脱すべくナショナル・アイデンティティをつくりなおし、「白豪主義」を克服していく。
こうした史実をふまえ、それぞれの国における、歴史の展開が小気味よく叙述されていくのだが、さながら、NHKスペシャル「映像の世紀」の一部を生き生きとした叙述で再生するかのごとく!これらに加えて、現代日本とアメリカ合衆国の国家的課題が提起され論述されているのだけれど、わたしもほぼ同意できる内容だ。やはり、地理学者らしく、地政学的な歴史の解釈がひかる。巻頭に掲げられた写真の数々もこころに刺さるものばかりである。いやはや、すばらしい。
社会学もおもしろい研究いっぱいあるけど、歴史学や地理学もおもしろいよ。若い人たちには、こういう本にぜひ挑戦してほしい。
目次
(上)
日本語版への序文
プロローグ ココナッツグローブ大火が残したもの
第1部 個人
第1章 個人的危機
第2部 国家─明らかになった危機
第2章 フィンランドの対ソ戦争
第3章 近代日本の起源
第4章 すべてのチリ人のためのチリ
第5章 インドネシア、新しい国の誕生
(下)
第2部 国家─明らかになった危機(承前)
第6章 ドイツの再建
第7章 オーストラリア─われわれは何者か?
第3部 国家と世界─進行中の危機
第8章 日本を待ち受けるもの
第9章 アメリカを待ち受けるもの─強みと最大の問題
第10章 アメリカを待ち受けるもの─その他の三つの問題
第11章 世界を待ち受けるもの
エピローグ 教訓、疑問、そして展望
謝辞
参考文献
『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリ大絶賛。 「国家がいかに危機を乗り越えたか? 明快な筆致に引き込まれる。本書は、地球規模の危機に直面する全人類を救うかもしれない」
遠くない過去の人類史から、何を学び、どう将来の危機に備えるか?
ペリー来航で開国を迫られた日本、ソ連に侵攻されたフィンランド、軍事クーデターとピノチェトの独裁政権に苦しんだチリ、クーデター失敗と大量虐殺を経験したインドネシア、東西分断とナチスの負の遺産に向き合ったドイツ、白豪主義の放棄とナショナル・アイデンティティの危機に直面したオーストラリア、そして現在進行中の危機に直面するアメリカと日本……
国家的危機に直面した各国国民は、いかにして変革を選び取り、繁栄への道を進むことができたのか『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』『昨日までの世界』で知られるジャレド・ダイアモンド博士が、世界7カ国の事例から、次の劇的変化を乗り越えるための叡智を解き明かす。
(上)
ペリー来航で開国を迫られた日本、ソ連に侵攻されたフィンランド、軍事クーデターとピノチェトの独裁政権に苦しんだチリ、クーデター失敗と大量虐殺を経験したインドネシア、東西分断とナチスの負の遺産に向き合ったドイツ、白豪主義の放棄とナショナル・アイデンティティの危機に直面したオーストラリア、そして現在進行中の危機に直面するアメリカと日本…。国家的危機に直面した各国国民は、いかにして変革を選び取り、繁栄への道を進むことができたのか?ジャレド・ダイアモンド博士が、世界7カ国の事例から、次の劇的変化を乗り越えるための叡智を解き明かす!
(下)
国家的危機に直面した国々は、選択的変化によって生き残る―では、現代日本が選ぶべき変化とは何か?現代日本は数多くの国家的問題を抱えているが、なかには日本人が無視しているように見えるものもある。女性の役割、少子化、人口減少、高齢化、膨大な国債発行残高には関心が寄せられている一方で、天然資源の保護、移民の受け入れ、隣国との非友好的関係、第二次世界大戦の清算といった問題には、関心が低いようだ。現代日本は、基本的価値観を再評価し、意味が薄れたものと残すべきものを峻別し、新しい価値観をさらに加えることで、現実に適応できるだろうか?博覧強記の博士が、世界を襲う危機と、解決への道筋を提案する。
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