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本と音楽とねこと

【旧作】なぜフェミニズムは没落したのか【斜め読み】

荷宮和子,2004,なぜフェミニズムは没落したのか,中央公論新社.(8.28.24)

『アンアン』等の80年代雑誌文化は「フェミニズムのようなもの」だった。「女の時代」と言われたあの頃の空気は、なぜ退潮したのか?林真理子、上野千鶴子らに焦点を当てて検証する。

 荷宮さんは、「フェミニズムのようなもの」は支持するが、「フェミニズム」、とくに1980年代のそれは支持しない。
 支持しないどころか、とくに上野千鶴子さんを蛇蝎のごとく嫌悪する。
 「フェミニズムのようなもの」を支持する一部の女たちは、どうしてこうも上野さんを嫌うのか、その謎がいくばくかは解けたような気がする。

 荷宮さんにとっての「フェミニズムのようなもの」とは、以下のようにきわめてシンプルなものである。

 〈「フツーの女=ブスで無能」「フツーの男=ゲスで無能」という事実がある。
 にもかかわらず、「『フツーの男』は『すべての女』よりも偉い」というふざけた価値観に則って現実の社会は運営されている。この点にこそ諸悪の根源はある〉
 つまり私は、こんなふうに考えているわけであり、「フツーの女」の一人である私としては、ただ単に「男」でありさえすればゲスだろうがバカだろうが無能だろうが大きな顔をすることができるという現実に対して、大いなる不快感を抱いてきたのである。子供の頃から。
(p.274)

 それはよくわかるし、実際そのとおりなんだけど、荷宮さんのフェミへの誤解はひどすぎる。
 重症、である。

 フェミニズムとフェミニズムのようなものの間に、いささかの乖離が生じた理由として、「フエミニズム=出世志向=ある程度の学歴の女だけが持つ欲望」という面があったため、と考えられる。つまり、フェミニズムは、単に「仕事がしたい!」だけでなく、「役職につきたい!ポストが欲しい!男と同様に出世がしたい!」と考えるタイプの女のための思想だったがゆえに、「仕事を捨てるつもりはないが、出世は別にどうでもいい」と考えるタイプの女は、違和感を覚えてしまったのである。
 が、「フェミニズムのようなもの」は違う。「フェミニズムのようなもの」=「仕事したい、お金を稼ぎたい、恋愛・セックスしたい、洋服欲しい、旅行(つまり外泊)したいetc.」だったのであり、そこには、学歴や職種や生まれによる差異は存在しなかったのである。そう、クラスの女子のほとんどが、『ベルばら』にはまったのと同様に。
この意味でのフェミニズムとフェミニズムのようなものの違いを気にとめつつ、八〇年代の女についてを、振り返っていこうと思う。
(p.27)

 あのさ、フェミが立身出世主義に染まっていたなんて、どこをどう探してもそんな事実はない。
 東大教授になった上野さんが念頭にあるのだろうが、上野さんも含めて、フェミが「女が男並みになること」を望んだなんて事実はない。
 誤解もはなはだしい。

 2000年代、フェミのみならず、「フェミもどき」が退潮した以下の一因については、荷宮さんの言うとおり。

 「私には総合職は無理」、だからこそ、均等法施行以前時代の女以上に、「補助職として働こう」と考える、そんな女が増えてしまったのである。
 あるいは、「私にはあんな個性的なファッションは無理」、だからこそ、「DCブーム」以前時代の女以上に、「男受けする服を着て過ごそう」と考える、そんな女が増えてしまったのである。そして、そんなこんなが積み重なるうちに、「八〇年代的な生き方を志向する女」=「フェミニズムのようなものを体現しようとする女」は、どんどん減少していってしまったようなのだ。それに加え、「不景気な時代の到来」もまた、「八〇年代的な生き方を志向する女」=「自分が食べたいものを作る女」の気分に水を差してしまった。すなわち、不景気な空気が社会をおおった結果として、ついには『アンアン』にまで、「一〇〇円献立」を特集した記事が登場してしまった(〇〇年十二月一日号)のである。
(p.49)

 九九年に発行されたムックに掲載された拙稿を、あらためて打ち直しているうちに気付かさたのが、「八〇年代フェミニストの価値観」≒「大人の男の価値観」という、おそるべき事実について、である。
 そうなのだ、女を見下してやまない「大人男」と同様、八〇年代フェミニストもまた、「仕事はできるけれど、かわいいものになんか興味のない女」と「かわいいものが大好きな、仕事のできない女」とに分断しなければ、「女」という生き物を理解することができない類の人種だったのである。
 「男に理解してもらえないのはまだしも、女なのに女の気持ちが理解できないだなんて・・・・・・」
 八〇年代フェミニストが、「フェミニズムのようなものを抱えた女」=「衣食足りて『かわいい』を知ることができた女」の支持を得ることができなかった理由が、ここにもまた見受けられるのである。
(p.63)

 これも、80年代フェミが、少女趣味のサブカルを全否定していたかのごとく誤認した荷宮さんの思い込みに過ぎない。
 そもそも、フェミが「仕事ができない女」を見下していたなんてこれまた誤解もはなはだしい。

 では、そもそも八〇年代の女にとってフェミニズムとは、果たしてどういった存在だったのだろうか。
 「実力=能力×努力」だとするならば、八〇年代までの日本には、「男社会=実力のある女よりも実力のない男のほうが偉い、というシステム」という巨悪が存在していた。
 この「巨悪」を倒したい、という思いこそが「フェミニズムのようなもの」の正体だったのだとすれば、その巨悪を倒すための手段として歓迎されたのが「フェミニズム」だったのである。
 また、「八〇年代」と言えば、ニューアカブームなんてものもあった。
 フェミニズムも、そんな一連の「お勉強」ブームに乗っかった面がある。
 が、「お勉強」としての顔を持ったフェミニズムが、「八〇年代の働く女」の支持を素直に集めたとは言い難い。
そのあたりの心理を、私よりも一つ年上だった故ナンシー関は、フェミニズム関連書籍が集積されたクレヨンハウスの三階を訪れた際の感想として、次のように語っている。

   フェミニズム自体を否定したりする気は毛頭無いが、このような「フェミニズムの実践」の形を目のあたりにするとどうしても引いてしまう。〝徹底する〟ことは重要なのかもしれないが、やはりどうしてもバランスの悪さがひっかかるのだ。いつも思うが「運動」として「下手な見せ方」をしている。「上手く取り込む」ことが勝ちだろうと思うのは、やはり素人考えなんだろうか。(「絵本の館クレヨンハウス」/ナンシー関『信仰の現場』角川文庫)

 同様の感想を私も持った。このフロアに並べられて当然、といった内容の本を何冊も書いている私でさえ(にもかかわらなぜか並べてはもらえないようだが・・・・・・)、あの「徹底ぶり」は正直つらい。
 が、上野千鶴子を筆頭とする「八〇年代フェミニスト」は、こういった「つらさ」を感じるタイプの女のことを、多分鼻で笑うだろう。
 こういった意味での鼻息の荒さは、あの頃のほうが一層強かった。
 当時の上野の鼻息についてうかがわせる、林真理子のこんな文章がある。

   私は今回のことで上野さんの本も読ませていただいた。ちゃんとしていて、立派な学者さんだと思っている。が、私は物書きだ。文章で相手をおちょくったり、あるいは自分の考えを述べることはできるが、口で勝負することははっきり言って苦手だ。難解な学者用語に立ち向かうすべを知らない。
 現在、フェミニズムは、西高東低と聞いている。それ関係の女性の学者さんたちが、みん京都、大阪に集中しているのだ。私の講演会にも来るのかしら。
 こわい、こわいわ。どうしよう。
 なぜもっと、学生時代勉強しなかったのかと、つくづく悔やまれる。私はそう頭は悪くない方だと思う。直感力とかも、普通以上にある方じゃないかしらん。
 しかし、そういうことを表現する、学問的体系が全く無い。理論武装というやつをしたら、私とて戦うことができるかもしれないのにィ。本当に残念だ。
(「学園祭・その1」/林真理子『昭和思い出し笑い』文春文庫)

 つまり林は、「上野千鶴子=口の達者な人」と認識していたわけである。
 「自立する女」としての非常にわかりやすい成功者の一人である林にとって、「共感できる」存在であるどころか、「こわい」と言わしめた存在、それが上野だったのである。
 フツーの女よりも自立心旺盛で、頭もよく、「フェミニズムのようなもの」の体現者の筆頭と呼べる存在である林でさえ、「もっと勉強しなければ(到底理解も共感もできそうにない)」と思わざるを得なかった存在、それが八〇年代のフェミニストだったのだ。八〇年代のフェミニストだったのだ。
 フェミっぽい雑誌に囲まれて生きていた「八〇年代の働く女=くびれの世代」でさえ、「フェミニストの徹底ぶり」「もっと勉強しなさい!という脅迫」には嫌悪感を覚えてしまったのである。いわんや団塊ジュニアをや。
 が、自分たちにまつわるそういった「空気」が、やがてはどんな結果をもたらすかについての想像力が、八〇年代フェミニストには欠けていた。
 雑誌メディアが「フェミニズム的な空気」に満ちていたにもかかわらず、最終的にはフェミニズム自体が「八〇年代の働く女」の間でのコンセンサスと成り得なかった理由とは、八〇年代フエミニストたちが、「フェミニズムとフェミニズムのようなものの差異」に気付かなかった、たとえ気付いたとしてもそのことを「重要視」しなかった、そういった点にこそあったのである。
(pp.108-111)

 日本のフェミが、アカフェミとして、大学研究者を中心に拡散していった経緯がある以上、また、「女性学」なり「ジェンダースタディーズ」なりの学問として発展していった以上、「お勉強」がついてまわるのは当たり前のことだ。
 それを、「フェミもどき」を理解しないフェミの罪業にされてはかなわない。

 荷宮さんは林真理子さんの大ファンのようだが、なぜ少なからぬ女性が林真理子さんに惹かれたのか、それが以下の叙述からとてもよくわかる。

 が、ここが肝心なのだが、八〇年代になるまでは、女は、「がんばって仕事をしていれば、より上のランクにいる人がその仕事ぶりを認めて、自分をもっと上のランクに引き上げてくれるかもしれない」、こんな類の夢が存在しうることすら、知らなかったのである。
 念のために言っておくが、それまで女は、「男にならそういうこともあるだろうけど、女にはそんなチャンスはない」と思っていたわけではない。そもそも知らなかったのである、「がんばって仕事をしていれば、より上のランクにいる人がその仕事ぶりを認めて、その人が自分をもっと上のランクに引き上げてくれることがある」という、ルートの存在自体を。それほどまでに女は、「仕事」だの「ポスト」だのといったものから、疎外された存在だったのである。
 が、林は、女の身でありながら、「この世の中には、がんばって仕事をしていれば、より上のランクにいる人がその仕事ぶりを認めて、その人をもっと上のランクに引き上げてくれることがある」という事実を、全身で表してくれたのだ。それも単に、「広告業界では」「出版業界では」、という形で語るのではなく、「仕事をしていれば」、という形で語るのが、林の常だった。だからこそ、広告業界や出版業界に縁もなければ関心もない、大多数の女が林のエッセイに共感したのである。
 つまり、八〇年代とは、林真理子が成功できた時代、そして、フツーの女が当時の林真理子に共感、喝采できた時代なのである。
(pp.122-123)

 群ようこのエッセイのように「浮世離れした自己完結ぶり」にいらだつことも、酒井順子のエッセイのように「東京の私立女子校育ち」であることが鼻につくこともなく、「読んだらスカッとする(だからといって、読んだだけで何かが解決している、というわけではない)」、という意味において、八〇年代の「働く女」にとっての林真理子のエッセイは、団塊の世代の男にとっての本多勝一のような存在だったのである。
(p.124)

 なるほどね。

 先にも述べたように、中森は、「林真理子の本を読んで、はじめて女たちは自らの欲望を肯定する術を知ったのである」、と書いている。
 が、八〇年代フェミニストならば、おそらく違う言葉を使うだろう。
 すなわち、「林真理子の本を読んで、はじめて女たちは自らの欲望を肯定する権利を知ったのである」、と。
 「術」と「権利」、この些細な言葉づかいの違いこそ、フツーの女たちがフェミニズムから離れていった、あるいは、その存在を知った当初から嫌悪した、その最大の理由の一つではないのか、そう私は考えている。
もちろん、どちらも間違ってはいない。林真理子が登場するまで、フツーの女は、「女にも自らの欲望を肯定する権利があることを知らなかった」のは事実なのだから。 
 しかし、ここで一つ問題がある。
 「私たちにもそうする権利がある!」
 そう主張すれば、その権利は手に入るのか?という問題である。
 もちろん、まずは主張しなければ何事も始まりはしないのだし、場合によっては、「わかりました、今まですいませんでした、あなたたちにも一つあげます」と、奇特な人が言ってくれる、という事態も起きないではない。ていうか、あるかもしれない。あるといいなあ・・・・・・。
 とまあ、こんなふうに、「間違った言い回しではないけれど、効果的な言い回しでもない」、と言わざるを得ないもの、それが、「権利」という語句を使った言い回しなのである。
 正しいことを主張することは、もちろん大事なことである。
 「ふざけんなバカヤロー、『女』と『負け組男』に権利なんかあるわけねえじゃねえか、バカも休み休み言え!」
 これこそ、今の日本で、「一般人を管理する側=勝ち組男」の本音なのであり、それが現実であるからこそ、「正しい価値観」を主張することには意味があるのだ。
 が、彼らは「管理する側」で、こちらは「管理される側」なのである。
 「管理する力」を持った暴君に「正論」をぶつけるぐらい、効果がないことはない。
 つまり、少なからぬ女が、フェミニストを嫌悪するようになった、その原因の一つには、「彼女たちの言葉選びのまずさ」「あんな言い方したって無駄なのに・・・・・・」「自分の正しさを主張するばっかり、どうしてもっと実効性のあるやり方をしよう、って考えないんだろう・・・・・・」が、影響しているように思うのである。
 が、林は違う。林は何も、自分の「正当性」を証明するためにエッセイや小説を書いたわけではない。
 「こういう時にはこうするのが正しい、と思ってとった行動」を、エッセイや小説という形で表明してきただけである。そう、常に「行動」ありきなのだ。
 「理屈はいい、さっさとやり方を教えろ!」
そう、これこそ、女が林真理子を支持し、フェミニストを拒否した最大の理由なのである。この現実に、真っ当な学者ならば腹を立てることだろう。
 が、これこそが一般庶民にとっての現実なのである。
 たとえ腹が立とうとも、そんな現実をまずは受け入れた上で、一般庶民はまだその存在すら認知していない「理想郷」へたどりつけるよう、道先を案内する。
 これこそが学者のなすべきことである、とか書いたら、「アホなマジョリティ相手にそこまでやれるか!」って言われちゃいそうだなあ。
(pp.125-127)

 これは鋭いなあ。
 しかし、フェミにそこまで求められてもなあ・・・。
 フェミが女の処世術を講じるなんて、悪い冗談だろ。

 「アグネス論争」について。

 つまり、八〇年代を生きる女にとって、本当に倒すべき相手とは、「アグネスを擁護する」という形を隠れ蓑にして、実は林や中野翠をたたくことにこそ力を注いでいた「おとこマスコミ」だったのだ。
 ところが、八〇年代フェミニストはそのことに気付かなかった。
 それどころか、なんのことはない、林や中野をたたく側に回ることで、敵に塩をおくってしまったのである。林の側にしてみれば「後ろから撃たれた」ようなものである。
結局、「アグネス論争」が残したものと言えば、「フェミニズムのようなものの体現者の筆頭的存在であった林真理子」を「フェミニズムを嫌悪する存在」へと決定付けたこと、でしかなかった。
 つまり、「アグネス論争」とは、「フェミニズムのようなもの」と「フェミニズム」の、初めての邂逅の瞬間であり、そして同時に、不幸な決裂の瞬間でもあったのだ。
(pp.147-148)

 これもちがうと思うんだよな。
 フェミがアグネスを擁護したのは、会社も託児所を用意するなどして、女が仕事も子育ても諦めなくてすむようにしろという思いからでしょ。
 フェミが林さんたちを叩いてオヤジの味方をしたなんて、どうしてそうなる?

 荷宮さんの上野さんへの嫌悪の正体は、以下の叙述に明らかである。

 第一学習社「現代文」国語の教科書に、上野千鶴子のエッセイが掲載されているのを見た時には驚いた。言っちゃあなんだが、まるで「ゾンビ」に出会ったような気分にさえなったものであ
 そう、いつの間にかメディアからは、フェミニズムが消えていた。古本屋で『ザ・フェミニズム』(上野千鶴子・小倉千加子/筑摩書房)という本を見かけた時には、つい買ってしまったりもしたが、『新現実』(角川書店)という雑誌に「くびれの世代から見た上野千鶴子論」という原稿を書く機会ができた時でさえ、あらためて読み返す気分にはなかなかなれなかった。なぜか。
 文章がうざい。だるい。うっとうしい。ていうか、そもそも読みづらい。
 それでなくても、そもそも私は、「学者」という人種自体が嫌いである。「学者=同世代の人がもう働いている時に、パパにお金を出してもらってママにご飯を作ってもらっていた、就職活動さえしたことのない人」という「偏見」が私にはあるからだ。が、これは何も、この世の中で私一人だけが抱いている「思い」ではないと思う。
 しかも現在では、学者とは「学者の卵」相手にしか通用しない「ごたく」を並べているだけの人たち、といった面もあるため、より一層イタい存在だと言える。なればこそ、学者ではない「働く女」は、「今の時代のフェミニスト≒象牙の塔にこもった学者」に対して、厳しい視線を向けてしまうのである。
 そして、そんなフェミニストの頂点の一つに、今も上野は立っている。(後略)
(pp.188-189)

 上野さんの、あんなに読みやすい文章が「読みづらい」とは、いったいどんなアタマしてんだか。笑
 それから、学者は、「働く女」と比べて、そんなに唾棄すべき存在なの?
 なんかよくわからない、屈折した絡み方だなあ。

 男のおたくには、いや、おたくであろうとあるまいと、たいていの男には、「男に生まれることができた=生まれおちた瞬間から女よりも得をしている」という事実に対する卑屈さ、後ろめたさがない。
 そのことへの不快感こそが、私にとっての「フェミニズムのようなもの」を支える、大きな原動力となってきた。
 要は、「たまたまチンポがついていたというだけの理由で、女よりも上の給与と地位を約束されてきた」という事実に対して、男はもっともっと、「後ろめたさ」を感じながら生きて欲しい、これこそが、八〇年代当時から変わらぬ、私の切なる願いなのである。
(pp.217-218)

 これには共感するよ。
 わたし自身、「後ろめたさ」を切々と感じながら生きてきたもの。

 八〇年代の女は、「意欲」さえあれば、多少の就職先と、周囲の諦めとを手に入れることができた。にもかかわらず、九〇年代以降、「不況」を口実に、フツーの女は意欲を捨て、フツーの女を取り巻く人間たちはふたたび女を、「家事と出産と子育てをさせられる道具」へと戻そうとしている。なぜこうなってしまったのか。
 なぜならば、今の日本では、「社会を支配している層=戦前から続く政治家一家等の家系に生まれた人間」が、「フツーの女」&「フツーの男」を、「家事と出産と子育てをさせられる道具」&「戦争をさせられる道具」へと再編することによって、ふたたび日本を、「戦争をさせる人間だけがオイシー思いをできる国」へと作り直そうとしているからである。
 さまざまな立場の論者から、「ぼくたち有権者一人一人が有権者としての能力を高め、同時に、『国家』をきちんとコントロール下に置くべきだ」、という声が上がっている最大の理由とは、「今の有権者一人一人は有権者としての能力が低いため、『国家』をきちんとコントロールすることができないでいる」という現実の存在にこそある。
(p.271)

 そんな思いをいだいている荷宮さんだからこそ、いっそうアカフェミへの理不尽な誤解、偏見、敵意を残念に思う。

 それから、わたしも、荷宮さんと同じ、団塊世代と団塊ジュニア世代のはざまの「くびれの世代」に属するが、女にとって、そんなに1980年代が良い時代だったか?
 青年時代とバブル経済が重なり、楽しく刺激的な経験ができたのはたしかだろう。
 しかし、まだ、セクハラやDVといった言葉もなく、いまよりはるかに露骨な性差別や抑圧が横行していた時代がそんなに良かったとはとうてい思えない。

 「女の敵は女」なんて、口が裂けても言いたくないが、「フェミもどき」とフェミのあいだの分断を本書で知るにつけ、暗澹たる思いに陥るほかない。

 それでも女は(男も)生きていかないといけないわけだし、さて、フェミはどこに行く?

目次
1章 衣食足りて「かわいい」を知る
昭和の『ベルばら』ブーム
DCブーム ほか
2章 林真理子と上野千鶴子と小山田ノン
『アンアン』vs.『JJ』
林真理子という存在/「ヒガミ、ネタミ、ソネミ」 ほか
3章 なぜフェミニズムは没落したのか
「フェミニズムはおばさんの学問」!?
使えないフェミニスト ほか
4章 今こそ「八〇年代的な空気」を復活させよう
「○○したい!」vs.「○○したくない!」→「○○しろ!」
女にとって「戦争」はオイシクナイ


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