マジに本当にどうでもいいのでスルーしてもいいです。
昨日、「日本沈没」の話をチラッと書きましたが「わだつみ」と書いたけど「ケルマディック号」だった気がする。
なので姉に問うてみたら、この答えが返って来た。
で、この「日本沈没」は読んだ事が無いのだが「日本以外全部沈没」と言うパロディはしっかりと読んだ記憶がある。
これは、小松左京と作家仲間が飲んでいて「何か書け?」と本人がいったらしい。
誰が、書いたのかすっかり忘れてしまったのだが、本家本元を読まずしてパロディ(お墨付き)を読んだわたしである。
TVドラマの最終回は何となくだが覚えている。何となく何でツッコミなしで。
沈みゆく東京タワーを見ながらヘリからアナウンサーが中継しているのだ。
「みなさん、さようなら」だったかなんか台詞があって東京タワーが沈んでいくのを覚えている。
ね、どうでもいいことでしょ?
そんな訳で、改めて「ケルマディック号」に乗船している。
そしてこれもまた、本当にどうでもいいしょうもない事が気になっている。
それは「ジョガーパンツ」と「ジャージパンツ」の違い。
これはもう、ファッション業界のライン引きなのだろうと思う。
あと、自分が穿いてる物を他人が見て「ジョガーパンツ」か「ジャージパンツ」と見るかである。
例えわたし自身が「ジョガーパンツ」と言い切っても他人からすれば「ジャージ」にしか見えないかも知れない。
ね、これも本当にどうでもいいことでしょ?
こう言ったどうでもいい事を真剣に考えてないと開店休業中の身分としては1日が長いのだ。
いや、他に考える事あるだろう。
就活するとかさ。
しかし、今の時期に就活はかなり苦戦するんじゃなかろうか?
何しろ、大学生が内定取り消されてるくらいだもん。
一番仕事が見つからない年齢だし・・・・・
「新しい事を始めると言う事は、自分の首を絞める事だ」
とどっかの学者が言っていた。
そりゃ誰だって、自分の首は絞めたくない。が、転職をすると言う事は自分の首を絞めないとならない。
自分で起業するにしたって首を絞める訳だし。
自分の首を絞めずして新しい事を始める。そんな事は不可能ではなかろうか?
どうやってもリスクっーもんは付いて回るのだ。
器用貧乏ならぬ不器用貧乏なわたしなのだ。
救いようがない。
人生設計と言うものを念入りに立てなかった、と言うのも問題である。
何しろ根本的な考えが他人と違うのだ。
家族感と言う物の考えがまず違う。平均的に4人家族として、父、母、兄弟もしくは姉妹としよう。
子供からすれは、父と母は家族と言う位置にある。
だが、父と母にしたらお互いは所詮「他人」と言う位置づけになる。
お互いが当然当たり前だった事が当たり前でない、と言う事に気づかされる。
個々の家庭だから当然あり得る事だ。
こう言っては、失礼だろうが「妥協」して結婚はしないでしょ?
我が家をモデルとすれば、子供の前で平気で喧嘩。物を投げつける父親。
家を出て、実家に戻り帰らないと言い張る母親。
これらを目の当たりにして、見合い話を持って来られてもそういう親を見て育ったのだから当然の事ながら拒否権発動。
これって「トラウマ」って言うの?
とにかく、その手の感情と言う物が何処にも見当たらない訳さ。
周りがどんどんと嫁に行ってもちっとも焦らなかったし、羨ましいとかも思わなかった。
その感情でさえ無かった気がする。
どうやら人としてどうよ?って事ですね。
まぁ、これもどうでもいい事だわね。