江蘇省宜興市のお茶の歴史は長く、「旧唐書」「新唐書」「全唐詩」にはいくつかの記載があるそうです。また、唐代に献上茶を作っていた記録も残っているとか。盧㒰、白居易の詩にもこの地のお茶が「陽羨茶」として詠まれており、この地のお茶はストーリーには事欠きません。歴史に興味がある方は、是非日本茶の急須にあたる宜興紫砂壺と合わせて、調べてみてくださいね。
敢えてこのブログのテーマに合わせて
私が何か史実の中から挙げるとしたら、
金代に「金字末茶」、明清時代に「離墨紅筋」と呼ばれるお茶が作られたということでしょうか。
専門家の検証の結果、前者は何らかの原因で不均一に発酵した散茶だったらしく、辺境の地へ送られていたようです。後者は1988年に執筆された張志澄氏の「陽羨茶録」によると、途中までは現代の軽発酵の烏龍茶の作り方に近いやり方で作り、殺青時に敢えてエビ(✳︎)の状態にして完成させたお茶だったようです。
この地の紅茶作りの動きは中華人民共和国建国後、特に60年代に入って盛んになります。
(続く)
(✳︎)エビとは殺青が不完全で、茎や葉脈の太いところが赤みを帯びる現象