愛鼬たちと飼い主との回顧録!

総勢10フェレ天使たちと飼い主とが過ごした日々の回顧録です。

今日は父の命日です!

2019年01月21日 | 家族

 

(ご協力頂ける方はこのままの文章で構いませんのでブログに
掲載お願い致します)





1月21日(月) 晴れ 振替休日

   今日は超過勤務分の振替休日です。
私の場合契約社員ですが残業は認められていません。
超過分は何処かで早退するか8時間以上あれば休日
とするかのいずれかになります。

  今日は父の命日ですが、お恥ずかしい事ですが
スマホに登録のカレンダーからの通知気づきました。

  私が中学生の頃に病院で亡くなった父の記憶は
とにかく怖いだけの存在であったという事!
亡くなった後も夢に父が出て来ると目覚め時には
汗びっしょりという事が何年も続きました。



  明治生まれの父は兄たちよりも10歳以上離れて
生まれた末っ子という事もあってか厳しかったので
いつも私は父の顔色を窺っては行動してました。

  断片的に甦る父の記憶・・・
寝る時枕元では偉人の話が多くて
「野口えいせい(=英世)はな、乃木大将はな」で始まり
小さな私にはちんぷんかんぷんでした。




  私には四つ上の姉がいるのですが父の誕生日に
二人で貯めたお小遣いをはたいてメモ帳付のペン立てを
プレゼントした時には褒められるどころか無駄遣いしてと
怒られました。


   学生時代に姉と二人でフォーククルセイダーズの名曲
「おらは死んじまっただ~」のレコードを買って聴いてたら
「不謹慎だ!」と確か姉が打たれたのを思い出します。


   反面父はたまに今で言うオヤジギャグを連発したり
ジンギスカンを大々的にやったりと家庭的でもあって
母が婦人会の旅行で留守した時は父お手製の料理を
食べた事もありました。


  中学生時代は父が市会議員をしていた事もあってか
私は男子生徒から暴力を受けたりの虐めにあって
いましたが、目を殴られて帰宅しても誰にも話す事が
出来ませんでした。


  ただ私自身もその反動でか自分より弱者に対して
酷い悪戯もしていました。
今で言う虐められてる相手からの強要だったりした
訳では無く、歪んでしまった私自身がした事でした。


  中学は実姉が通っていた○○大学付属中学に
行きたかったのですが駄目だと言われました。
高校受験を控え、病院に入院していた父からは
もう大学進学を諦め工業高校へ行けと強要されました。


  恐らく父は自分が死んだ後母が困らないようにと
思ったのでしょう。
父が亡くなった後私は高校に馴染めずズル休み
ばかりしていました。


   そんな私に大学進学への後押しをしてくれたのが
今は亡き次兄でした。

   とにかく生前父が怖くて怖くて仕方なかったですが
記憶を次に蘇らせるのはきっといつしか父とあちらで
再会を果たした時なのでしょう。


 父と大人の会話をした事の無い私ですから
きっとまた委縮して何も言えないと思いますが・・・


  父はきっと私を心底愛してくれたに違いない!
そう自らに言い聞かせている事が悲しい。









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