¶1 博士課程の時、ある教授からいきなりの提案を受けたことがありました。 ジョージアという国に行って、ブドウ農場で働く気はないかと。 航空宇宙法の専攻で一生懸命学位課程をしていて、そんな私をよくご存知の方の提案なのであっけにとられていました。 また誰かは、私を前後の脈絡もなく、米国に送ろうとしたこともありました。 自分の力でわかったことを、あの時も知っていたら、今ジョージアでも米国でもいたのではないかと思います。 すべてのことがそうだったようです。 提案者と提案を受ける者のどちらもが十分に状況を客観的に認識してお互い了解があってこそ合理的で後悔のない選択が可能だったはずなのに、全くそうではなかったのです。 この前のポスティングで書いたように、それぞれ自分たちの利益のために私をあるフレームの中に入れて、ここから由来する第三者間の行き違った認識の中で事が進められ、その中で何も知らない私の選択を受けたのです。 問題はそこで第三者間にも私に対する行き違いの認識が生まれたのではないかということです。 ただ老婆心から書いてみます。 いつも言っているように、私の事を正確に言ってくれる人も、時間もあまりないんからのです。 ああ, ひとつつけたいことがありますね。 大阪旅行をよく取り上げるようになりますね。 オーストラリアパースで全部で三ヶ月間の大阪旅行期間中最初と最後の月に泊まる宿所をエアビエンビで予約しておいて去りました。 格安航空券なので、マレーシアを経てから日本に到着しましたよ。 最初の宿所は片岡という名字を使う方が主人でした。 私が到着する直前、東南アジア出身のカップルが同じ宿舎に来ていました。 ご主人様が後に言ったんです。このカップルが私について「一生食べていける財産を持っている」と。 私の状況がその人々が描写したのとは反対だという事実よりもっと驚くことに、彼らが一面識もなかった人だったということでしょう。 経験から見て、ほとんどすべての嘘はお金に繋がりますね。 誰かの利益のために私を金持ちであるかのように装ったなら、想像できるシナリオはいくつかありますが、あえて書くつもりはありません。 ただ、私にこんなとんでもないことがあって、私と他の私がどこかで、誰かに認識されているだろうという強力な可能性を言っておくのです。
¶2 博士課程では実母を探すことに関して残しておきたいエピソードがあります。 学校の教員の一人は、彼が1年間滞在することになったドイツに私に遊びに来るよう提案したことがありました。 その頃は単なる旅行だと思っていたのですが、今ではそれ以上のものがあったようでそうです。 ちょうどその時期に、北朝鮮のある方が治療のためにベルリンに行かれたという記事を読んだことがあります。 あいにく、遊びに来いと提案された場所と時期が重なったこと、そしてその方の「首椎間板ヘルニア」治療のための訪問だったことに注目したわけですが、私とどのような関連があるのかはわかりませんね。 私の修士課程は博士課程と同じく航空に関することだったのですが、その時、同期生の中でなぜこのコースを選んだのか疑問に思った人が多かったです。 代表的な例としてドイツでピアノ専攻として韓国の博士課程に当たる学位課程まで終えて帰ってきた同期生を挙げたいですね。 私と一番親しい同期のうちの一人でした。 また大阪の話をしますね。 そこで三番目に泊まった家はアメリカ人が主人でしたが、その主人夫婦とはひと月にわたり、毎朝、食事のたびに多くの話を交わし、本当にいい記憶として残っている場所です。 その時、男主人は購読していた英字新聞で北朝鮮関連の話さえ出たらそれを朝食の対話のテーマにあげました。 特に、彼が北朝鮮のある高官が粛清された過去の話を私に真剣に問いたことが記憶に残ります。 振り返ってみると、私も知らなかった私について、彼は何かを知っていたようです、ただ私の推測です。 関係しているかどうかわかりませんが、ただ思いつくことを自由に残したいですね。 私は高等学校の時も、所謂「私教育」というものを受けた事が無かったのです。 中学校の時も同じでした。 小学校の時はパソコンにばかり没頭していたいわゆるオタクでした。 それで、子供の頃にだけ私を見て今の私を見るようになった人がいたら、今まで書いてきた文章から染み出てくるイメージから、若干の乖離感が感じられるのではないかと思います。 幼い時に通った唯一の「塾」であり、最も長く通った所がコンピュータ塾だったが、それで人々は私についてコンピュータの方だけで記憶しているかもしれません。 実際に、小学校の頃から見て来た友だちでさえ、いまは、できることが何もないにもかかわらず、いまでも、私がコンピュータを深く扱えると考えていることを知った事もありましたから。 偶然なのか意図的なのかわかりませんが、この誤解の末はどこかと思いますが残したい言葉はそうではなく、私が最初に「通わされた」塾はピアノ塾だったということです。 これは誰も分からないでしょう。 書類上だけで双子なのかは分かりませんが、一人だけの弟も一緒に行かせなかった塾でした。 なぜ「ピアノ」だったのか、たまに考えてみることもありましたが、今回の段落では特にそうですね。 また博士課程に戻ります。 その時の入学同期の中には、何を学ぶことには年齢が関係ありませんが、通常学位課程を受講するにはとても年上の方がいらっしゃいました。 その方は、学校の所在する広域行政単位の議員になりたがっていたと思います。 その時は知りませんでしたが、後に実母を探す過程で実母と密接な関係にあると推定される人がいましたが、確かに韓国にいらっしゃるように見えましたがその方の苗字が日本式の「松浦」でした。 この方と友達になっている方のうちのお一人が、その博士課程の同期生とも友達だったのを見てどんなに驚いたか分かりません。 学校を出てから四年後のことでした。 その時私の周囲に起こる偶然のように見えるすべての事が実はつながっていると分かったのです。 また、驚くべきことに、博士同期の方とFacebookの友人であるもう一人が2019年初めに僕の所に来て、こっそり私を見て行ったということです。 多分その方は私が自分を認識したのか分からないでしょう。 このような話がたくさんありますが、これまで公に詳しく書いたことはありません。 実母が誰だかはっきりしない状況で、実母に影響を与えかねないと考えたからです。 しかしもう一部でも話をしなければならない時が来たようですね。
¶3 博士課程を終えていた2013年半ばから学位審査を受けた2014年末、そして翌年末まで、かなり汚いことがありました。 同じ所属する組織や家族という垣根の中で、同じ内容の状況でも良かったこととその逆のこと、ありがたい人とその逆の人が混在するものだから過去のことを一律に裁断してしまうことは公平ではないでしょう。 だからその時期をただ人と社会についてたくさん知ることになったきっかけだと表現ておきます。 すべてを忘れて、最後だと思って大阪へ旅立った直後になって、ようやく私の出生について本格的に調べてみたのですが、(ある力に引かれるようにその思いに駆られて本当に「無」の状態から戻ってきました)、その本当の動機づけとなったのは上に述べた時期に経験したことでした。 一度ずつ今知ったことを、その時も知っていたら主な変曲点になったイベントで他の選択をしていたかもしれません。 2013年前に知っていたら、どこかへ隠れて過ごすようにと送ってきたところに(その意図が正しければ)行っていたような気もしますし、修士課程で知っていたらバンコクでインターンをしていた時に、そこに居座る方法も考えていたような気もしますし(実際に主管機関を通じた提案がありました)、その前に知っていたら、航空に関する勉強は始めさえしなかったのですが。 英国でオーストラリアのある通訳·翻訳大学院の入学許可を受けておいて、しばらく帰国して学費を補充した後、オーストラリアに渡るという計画でしたが、その最中に国内通訳·翻訳大学院の入学選考を確認してみて、サイトに出たポップアップ·ウィンドウをクリックしてみたのが、その道に入ったきっかけになりました。 国内の大学院への進学を考えてみたのは、その前に大邱(テグ)市内の某書店で偶然出会った元ガールフレンドとの関係から始まったので、その偶然(本当の偶然ならば)こそ人々が言う運命だったのではないかと思います。 もちろん、その友人には何の落ち度もなく、全面的に運命的なことだったと話しておくわけです。 結果的にだけ見ると、中間過程を考えたくもありませんが、博士号と真実を交換したわけです。 出生背景と生みの親が誰なのかも分からないまま安定した職業に就き、結婚もしてそのように暮らしていたとしたら、今の基準ではそれがもっと大きな不幸なのでしょう。 また、出生の秘密とともに耽溺していた社会と自然に対する真実の探求も、私にとって大きな意味を持っていますだから最終的にはありがたいことでもあります。 前のポスティングで言及した「宗教」が私に持つ意味のように、「知る」の意味も同じです。 富と地位がどのように付与されるのかを正確に知ることは、すなわちそれがなくても自分を不幸だと思わなくなることを意味するからです。
¶4 私は菜食をしているのですが、 ―回ずつ外でカップ麺のようなものも買って食べます。 お金に比べてカロリーが高いからです(貧乏だという意味です)。 私が有名な人だったら、その姿が記事にされて偽善者と言われたでしょうね? カップラーメンには肉が入っていますから。 勉強してみたら、肉の味を出す合成化学物質がたくさん入っていて(営業秘密に当たる)、カップ麺の包装紙に書かれている肉成分は食品衛生法上のアレルギー誘発物質については極微量でも表記しなければならないため、肉は非常に少ないのに、人々がそんなことまで分かってくれるはずがないです。 なにより、私の菜食の頃のように菜食主義オリンピックをしているわけではありませんからね。 まず、この程度で弁明をしておいて、大層に私達がなぜこのような姿をしているのかについての考えを簡単に記しておきましょう。 神の摂理に従わなくてそうだと思います。 肉は味がよく、味がいいのが自然だと思う人もいますね。 しかし、野生で直接動物を殺した後、骨抜きにして食べなさいと言われると、食べる人はあまりいないでしょう。 それは確かに自然なことではなくて、 最初からそうでした。 反面、果物は生のまま美味しそうで、その感じもまたどこかで習ったからではないですね。 はじめから与えられたものです。 また果物は種があるので動物が食べて広めたほうが繁殖に有利です。 それに種は動物の消化液に耐えるようになっていて、便を出すとその場で良質な養分とともに育つんですよ。 みんな知っている話です。 重要なのは、「与えられた通り」さえ生きていれば、人々が流離ってしたはずです。 妙にも、おいしくて栄養価の高い果物はすべて温かいところで育ちます。 人が特に寒さを避けて暮らす家が必要なさそうなところでです。 今のように自然破壊が少なかったら日中もそれほど暑くなかったかもしれません。 果物をとって食べた道を循環すれば、戻ってきたとき、また新しい果物が開いているでしょう。 生きていくためにあまり苦労する必要もないという意味です。 それなら神様の意思は人間に流浪せよということではないでしょうか。 何の話をしようとしているのかお分かりになるでしょう。
¶5 所有、階級、不平等が順次生まれてきました。 共産主義者なのかですか? 理解します。私の出生について一部を知っていたり、自分の利益のためにフレームをかぶせるのが好きな人が問いているのであれば。 しかし、共産主義国家にもみな留まっています。 留まることになれば、所有が生まれることは必然ですが、(私的な)所有がないからといって(本当になくもないですが)歩き回れということはないのです。 理念ではなく、神の意志によって生きないことが問題なのですね。 食べて生きる以外にも人間は神の摂理を拒否しているものがもうひとつあります。 すぐ繁殖です。 人は誰でもきれいでハンサムな人に性欲を感じるようになっています。 はい、人は外見差別主義者です。 美的基準は主観的だと言う人がいますが、普遍的に綺麗でハンサムなものは確かに存在し、人々はそれを区別します。 しかし、差別する人を責めることはできません。 造物主が人をそう作ったからです。 人々はただ差別的な表現をしないだけです。 ひいては人権、多様性、平等のようなもので包装さえしています。 明らかに彼らの心の中では好き嫌いが分かれているのにです。 もし神様の意圖によってのみ性関係が成立していたら、世の中にはきれいでハンサムな人だけが生まれたはずです。 しかし、人々はその考えに従いません。 なぜでしょうか? 性関係と出産が手段になるからです。 何のための手段ですか。 生存です。生来的な不平等により生存が脅かされ、その脅威は所有者に奉仕してこそ解消されるのです。 そのため、人々はもう本能による自然な性関係だけをしません。 性は手段となり、世の中の人々には物質だけでなく、また違った面で優劣が生まれるのです。 この違いは滑らかにのみ克服されないので、その副作用の総和が悪の総和となります。
¶6 歩き回る人間の事は、以前に思わなかった事ではないのですが、過度に理想的で、他の人には、荒唐無稽なアイディアだと思いました。 特に上に挙げた出産みたいな話は、公にするのはとても難しい物ですよね。 プロフに私の写真があるから論点と関係のない人身攻撃をたくさん受けただろうし、「優生学」的偏見に対する反感や人の脳裏に深く刻まれた一般的な「平等」の観点では直観的に強い拒否感がある話ですからです。 しかし、不平等の起源に関しては必ず考えてみなければならない問題であり、その問題提起は「ハンサムな」人でなければならないものではないのですね。 荒唐無稽な側面より、行き過ぎた理想主義だと思った側面が大きいのですが、それは出歩く人間の生き方が今よりずっと単調ではないかという考えからでした。 華麗な建物、先端機器、繊細な文化芸術が可能ではなかったような気もしました。 しかし、よく考えてみると、これらは留まって暮らすためにできたものです。 言い換えれば、歩き回って暮らしたなら必要なかったものでもあります。 住宅、商業施設、通信機器、移動手段は言うまでもなく、文化芸術もそうです。 例えば、風刺と諧謔に満ちた文学作品を見て感動を感じますが、風刺と諧謔の対象が存在しない限り、面白さどころか存在すらできない文でしょう。 我々は、美しい自然の中にいる時、あえて美術作品を持ち帰ったり、モーツァルトの音楽を聴いたりしません。 すべて留まってみると、人々と激しくぶつかりながらできたものに近いものです。 精巧な言葉も、派手な衣服も、もっと速く走る車も、日に日に発展するスマホも…。 彼らの「必要」は、留まることによって生じたものであり、その「進化」は、人々の優劣争いにつながる側面がより大きいといえます。
¶7 歩き回るとお互いに頼るようになります。 所有がないから階級がない、階級がないから不平等がない、不平等がないから戦う理由がないからです。 若い人は力が強く、お年寄りは歩き回った経験が積もって、お互いに助けになるからでもあります。 どこで、誰の子供に生まれるかは、何の関係もありません。 留まって暮らすと、このすべてが反対になります。 それこそ、万人の万人に対する闘争であり、所有する時にのみ尊重してもらえるのです。 このような所有、階級、不平等の害悪はよく知られており、あえて描写する必要はありませんが、要はこんなふうに生きられなかったという残念さにあるのですね。
¶8 今日図書館まで歩いてくるときに街の下水溝の匂いで吐き気をたくさん感じました。 天気が暖かくなりながら、もっとひどくなるようです。 ここには超高層マンションが多いです。 狭い所に留まって住んでいるからそうでしょう。 人々は これを「発展」と呼びます。 しかし、マンションの階数ほど深く掘った土地も発展と呼べるか分かりませんね。 基礎工事のためですって? まあ、正しい話です。 半分だけですね。うんちをする人が上にたくさん溜まるほど、 うんちが下がる道も深くならないといけないのです。 そのウンチたちは全部どこに行きましょうか。 私は近頃ニュースに出てくる原発水よりも下水道の糞水のほうが怖いです。 このように多くの人々を食べさせる動物たちも、どこかで飼育されているでしょう。 とてつもない糞たちと一緒にですよ。 人々はこの家一軒買おうとすれば途方もなく多いくそを漏らさなければなりません。 韓国ではとても苦労していることを比喩的に「うんちが通る道が燃える」とも言います。 住宅価格で維持される経済構造の中で暮らしながらも、住宅価格が下がることを望み、また、自分の住宅価格が上がることを望み、彼らは今日もうんちをします。 肥桶に住んでいて病気になったら、万病に効く薬が出ることを望まない人に身を委ねるでしょう。 一度も自分の目で直接見たことのない世界についての理論家たちに未来の革命を期待します。 同意したことのない制度で選出された同意したことのない人に自分のうんちの色を任せるでしょう。 牛·豚·鶏を殺し、自分の足に蹴られた足かせが固定されたアパートで寝た後、他の人の生存を少し危うくして、また牛·豚·鶏を殺した後、うんちをします。 これを無限リピートします。 すべて人間がそこで留まりながら生まれた人の美しい日課、あなたの人生の回し車です。 白眉はここに人間同士で交わす甘い言葉をオーバーラップさせてみるものでしょう。
*エピローグ: あるありがたい方が、私の出生の秘密に関する本質を たった一つの漢字で教えてくれたことがあります。 もちろんその具体的な方法はその方が特定されるかもしれないのでここに書きません。 私を私ではなく他の人(または変であったり無能であったり怠惰な人に)に見えるようにすることを含め、少なからぬ人や資源が動員されるべき仕事がどのように可能だったのかを説明するのです。 感謝いたします。 以前にもそれを間接的に暗示されたことがあったのですが、曖昧だったことが理解できた瞬間でした。
*このブログの日本語文章は、ネイバーのオンライン翻訳サービスを利用して下地翻訳後に著しく歪曲された部分だけ修正したもので、ネイティブの基準で不自然な表現がある可能性があります。
¶1 박사과정 때 한 교수님으로부터 뜬금 없는 제안을 받은 적이 있었어요. 조지아란 나라에 가서 포도농장에서 일해 볼 생각이 없느냐고. 한창 항공우주법 전공으로 열심히 학위과정을 하고 있고, 그런 저를 잘 아시는 분의 제안이어서 어안이 벙벙했었더랬지요. 또 누군가는 막무가내로 저를 앞뒤 맥락 없이 미국에 보내려 한 적도 있었고요. 지금 혼자 힘으로 알게 된 것을 그 때도 알았더라면 지금 조지아든 미국이든 가 있지 않았을까도 생각해 봅니다. 모든 일이 그랬던 것 같아요. 제안자와 제안을 받는 자 모두가 충분히 상황을 객관적으로 인식하고 서로의 양해가 있었어야 합리적이고 후회 없는 선택이 가능했을텐데, 전혀 그렇지 못했던 것이었지요. 지난 번 포스팅에서 썼듯, 각자 자신들의 이익을 위해 나를 어떤 프레임속에 집어 넣고 여기서 유래된 제 3자 간의 엇갈린 인식 속에서 일이 진행되었고, 그 와중에 아무 것도 모르던 나의 선택을 받았던 것이지요. 문제는 거기서 제 3자간에도 저에 대한 엇갈린 인식이 생겨난 건 아닌가 싶은겁니다. 그냥 노파심에서 적어봅니다. 늘 언급하듯, 나에 대해 정확히 말해 줄 사람도, 시간도 별로 없거든요. 아, 한 가지 덧 붙이고 싶은 것이 있네요. 오사카 여행을 자주 거론하게 되는군요. 호주 퍼스에서 총 석 달간의 오사카 여행기간 중 첫 번째와 마지막 달에 지낼 숙소를 에어비엔비로 예약해 놓고 떠났습니다. 저렴한 항공권이어서 말레이시아를 거친 후 일본에 도착했더랬지요. 첫 숙소는 카타오카란 성을 쓰는 분이 주인이었어요. 제가 도착하기 직전 동남아 출신의 커플이 같은 숙소에 먼저 와있었습니다. 주인 분이 나중에 그러더군요, 이 커플이 저더러 "평생 먹고 살 재산을 가지고 있다"고요. 제 상황이 그 사람들이 묘사한 것과 반대란 사실보다 더 놀라운 것은 그들이 일면식도 없던 사람이었다는 것이겠지요. 경험으로 볼 때, 거의 모든 거짓은 돈과 연결되더군요. 누군가의 이익을 위해 저를 부자로 꾸몄다면 상상해 볼 수 있는 시나리오는 몇 가지 되지만 굳이 적진 않겠습니다. 그저 제게 이런 황당한 일이 있었고, 저와 다른 제가 어디선가, 누군가에 인식되어 있겠구나 하는 강력한 가능성을 말해 두는 것이지요.
¶2 박사과정에선 친모를 찾는 것과 관련해 남겨두고 싶은 일화가 있습니다. 학교 교원 중 한 분은 자신이 1년 간 머물게 된 독일에 저더러 놀러오라고 제안한 적이 있었지요. 그 때는 단순 여행 차원이라고 생각했지만 지금은 그 이상의 무언가가 있었을 것 같기도 해서말입니다. 마침 그 시기에 북한의 어떤 분이 치료차 베를린에 다녀가셨다는 기사를 본 적이 있습니다. 공교롭게도 놀라오라고 제안 받은 장소와 시기가 겹친 것, 그리고 그 분의 "목디스크" 치료를 위한 방문이었다는 점에 주목한 것인데 저와 어떤 관련이 있는 지는 모르겠군요. 제 석사과정은 박사과정과 마찬가지로 항공에 관한 것이었는데, 그 때 동기들 중에 왜 이 과정을 선택했을까 궁금했던 사람들이 많았더랬습니다. 대표적인 예로 독일에서 피아노 전공으로 한국의 박사과정에 해당하는 학위과정까지 마치고 돌아왔던 동기를 들고 싶군요. 저와 가장 친한 동기 중 한 명이었더랬죠. 다시 또 오사카 이야기를 해야겠습니다. 거기서 세 번째 머물렀던 집은 미국인이 주인이었는데, 그 주인 내외와는 한달 동안 매일아침식사 때 마다 많은 얘기를 나눠 참 좋은 기억으로 남아있는 곳입니다. 그 때 남자주인 분은 구독하던 영자신문에서 북한 관련 얘기만 나오면 그걸 아침식사의 대화주제로 올리곤 했었더랬어요. 특히 북한의 어떤 고위인사가 숙청되었던 과거 얘기를 제게 진지하게 물어봤던 것이 기억에 남는군요. 돌이켜보면, 저도 몰랐던 저에 대해 그는 뭔가를 알고 있었던 것 같습니다만 그저 제 추측입니다. 관련이 있을지 모르겠습니다만, 그냥 생각나는 건 자유롭게 남겨 놓고 싶군요. 저는 고등학교 때도 이른바 '사교육'이란 것을 받아 본 적이 없습니다. 중학교 때도 마찬가지였고요. 초등학교 때는 컴퓨터에만 푹 빠져 사는 이른바 오타쿠였더랬지요. 그래서 어린시절에만 저를 보고 지금의 저를 보게 된 사람이 있다면 그간 써왔던 글에서 묻어 나오는 이미지를 통해 아마도 약간의 괴리감을 느끼지 않을까 생각합니다. 어릴 때 다녔던 유일한 '학원'이자, 가장 오래 다니기도 했던 곳이 컴퓨터 학원이었는데요, 그래서 사람들은 저에 대해 컴퓨터 쪽으로만 기억을 하고 있을지도 모르겠습니다. 실제로 초등학교 때부터 봐 온 친구들 마저도 지금은 할 줄 아는게 아무 것도 없음에도 불구하고, 여전히 제가 컴퓨터를 깊이 다룰 거라고 생각하고 있음을 알게 된 적도 있었으니까요. 우연한 것인지 의도된 것인지 모르겠지만 이 오해의 끝은 어딘가 싶습니다만 남기고 싶은 말은 그게 아니고요, 제가 최초로 '보내 진' 학원은 피아노 학원이었다는 것이지요. 이건 아무도 모를 겁니다. 서류상으로만 쌍둥이인건지는 모르겠지만 하나 있는 동생도 같이 보내지 않았던 학원이었지요. 왜 하필 '피아노' 였을까 하는 것은 가끔씩 생각해 보는 것이기도 했는데 이번 단락에서 특히 그렇군요. 다시 박사과정으로 돌아가겠습니다. 그 때 입학 동기 중에는, 뭐 배움에는 나이가 무슨 상관이겠습니까만은, 통상적으로 학위과정을 다니기엔 굉장히 나이가 많은 분이 계셨지요. 학교가 소재한 광역행정단위의 의원이 되고자 하셨던 것으로 기억합니다. 그 땐 몰랐지만 나중에 친모를 찾는 과정에서 친모와 아주 밀접한 관계로 추정되는 분이 계셨는데요, 분명 한국에 계신 것 같은데 성이 마쓰라 였습니다. 이 분과 한 다리 거쳐 친구로 이어져 있는 분들 중 한 분이 그 박사과정 동기 분과도 친구였던 걸 보고 얼마나 깜짝 놀랐던지요. 학교를 떠난 뒤 4년 뒤의 일이었습니다. 그 때 제 주위에 일어나는 우연처럼 보이는 모든 일들이 사실은 연결되어 있는 것임을 알았더랬지요. 또 놀라운 것은, 박사동기 그 분과 페이스북 친구인 다른 한 분은 2019년 초에 제가 머물던 동네에 와서 저를 몰래 보고 갔다는 것입니다. 아마 그 분은 제가 자신을 인식했는지 모를겁니다. 이런 얘기들은 참 많은데, 그 동안 공개적으로 자세히 쓴 적은 없는 것 같아요. 친모가 누군지 정확히 확정되지 않은 상황에서 친모에 영향을 줄 수 있다고 생각했기 떄문이었습니다. 허나 이젠 일부라도 얘길 해야 되는 때가 온 것 같네요.
¶3 박사과정을 마무리 하던 2013년 중반부터 학위심사를 받았던 2014년 말, 그리고 이듬해 말까지, 꽤 지저분한 일이 있었습니다. 같은 소속된 조직이나 가족이란 울타리 속에서, 같은 내용의 상황이더라도 좋았던 일과 그 반대의 일, 감사한 사람과 그 반대의 사람이 혼재하는 법이라 과거의 일을 일률적으로 재단해 버리는 것은 공평하지 못할 것입니다. 그래서 그 시기를 그저 사람과 사회에 대해 많이 알게 된 계기라고 표현하겠습니다. 모두 잊어 버리고, 마지막이라 생각하고 떠났던 오사카 여행 직후가 되어서야 저의 출생에 관해 본격적으로 알아 보았지만(어떤 알 수 없는 힘에 이끌리듯 그 생각에 사로잡혀 정말 '무'의 상태에서 돌아왔었습니다), 그 진정한 동기부여가 되었던 것은 위에서 언급한 시기에 겪은 일이었지요. 한 번씩 지금 알게 된 걸 그 때도 알고 있었더라면 주요 변곡점이 되었던 이벤트들에서 다른 선택을 했을까 생각해 보기도 합니다. 2013년 전에 알았더라면 어디 숨어 지내라고 보내는 곳에(그런 의도가 맞다면) 갔을 것 같기도 하고, 석사과정 때 알았더라면 방콕에서 인턴할 때 거기 눌러 앉는 방법을 생각했을 것 같기도 하고(실제로 주관기관을 통한 제안이 있었습니다), 그 전에 알았더라면 아예 항공에 관한 공부를 시작하지도 않았을 텐데 말입니다. 영국에서 호주의 한 통번역대학원 입학허가를 받아 놓고 잠시 귀국해 학비를 보충한 뒤 호주로 건너간다는 계획이었는데, 그 와중에 국내 통번역대학원의 입학전형을 확인해 보다 사이트에 뜬 팝업창을 클릭해 본 것이 그길로 접어들었던 계기가 되었지요. 국내 대학원 진학을 고려해 본 것은, 그 전에 대구시내의 모 서점에서 우연히 마주친 전 여자친구와의 관계에서 비롯된 것이니 그 우연(정말 우연이라면)이야 말로 사람들이 말하는 운명이었지 않나 싶습니다. 물론 그 친구에겐 아무 잘못이 없고, 전적으로 운명적인 일이었음을 얘기해 두는 것입니다. 결과적으로만 보면, 그 중간 과정은 생각도 하기 싫지만, 박사학위와 진실을 맞바꾼 셈입니다. 그래서 궁극적으로는 고마운 일이기도 합니다. 출생배경과 친부모가 누구인지도 모른 채 안정된 직업을 갖고 결혼도 하고 그렇게 살았다면 지금 기준에선 그게 더 큰 불행인 것이겠지요. 또 출생의 비밀과 더불어 탐닉했던 사회와 자연에 대한 진실탐구도 제게 큰 의미가 되었습니다. 이전 포스팅에서 언급했던 '종교'가 제게 갖는 의미처럼, '앎'이란 것도 제게는 마찬가지의 것이거든요. 부와 지위가 어떻게 부여되는지 정확히 알게되는 것은, 곧 그것이 없어도 자신을 불행하다 여기지 않게 되는 것을 의미하기 때문입니다.
¶4 저는 채식을 하고 있는데, 한 번씩 밖에서 컵라면 같은 것도 사먹습니다. 돈에 비해 칼로리가 높기 때문이죠(가난해서란 뜻입니다). 제가 유명한 사람이었다면 그 모습이 기사화돼 위선자 소리를 들었겠지요? 컵라면엔 고기가 들어 있으니까요. 공부를 해 보니 고기맛을 내는 합성화학물질이 많이 들어 있고(거의 영업비밀에 해당하는) 컵라면 포장지에 적힌 고기성분은 식품위생법상 알러지 유발 물질에 대해선 극미량이어도 표기해야 하기 때문에 고기는 매우 적은 것인데도 사람들이 그런 것까지 알아줄리 없지요. 무엇보다 저의 채식 초창기 때처럼 채식주의 올림픽을 하고 있는 건 아니니까요. 먼저 이 정도 변명을 해 두고 거창하게 우리가 왜 이런 모습을 하고 있을까에 대한 생각을 간단히 적어두려고요. 신의 섭리에 따르지 않아서 그런 것 같아요. 고기는 맛이 좋고, 맛이 좋은 것이 자연스럽다 여길 사람도 있겠습니다. 하지만 야생에서 직접 동물을 죽인 후 발골해 먹으라 그러면 먹는 사람이 많이 없겠지요. 그건 분명 자연스러운게 아니고, 처음부터 그랬습니다. 반면 과일은 날 것 그대로 먹음직 스럽고, 그 느낌 또한 어디서 배워서 그런것이 아니지요. 처음부터 주어진 것입니다. 또 과일은 씨가 있으니 동물이 먹어 널리 퍼뜨려 줘야 번식에 유리합니다. 게다가 씨는 동물의 소화액에 견디게 되어 있어 변을 보면 그 자리에서 양질의 양분과 함께 자라나기도 하지요. 뭐 다들 아는 얘깁니다. 중요한 건, '주어진 대로'만 살았다면 사람들이 떠돌아 다녔을 거란 말이지요. 오묘하게도 맛있고 영양가 많은 과일들은 모두 따뜻한 곳에서 자랍니다. 사람들이 딱히 추위를 피해 살아야 할 집이 필요 없을 것 같은 그런 곳에서요. 지금처럼 자연훼손이 적었다면 한 낮에도 그리 덥지 않았을지도 모릅니다. 과일을 따 먹던 길을 순환하면 다시 돌아왔을 때 다시 새로운 과일이 열려 있겠지요. 먹고 살기 위해 별로 힘들일 필요도 없다는 뜻입니다. 그렇다면 신의 뜻은 인간더러 돌아 다니라는 것 아닐까요? 무슨 얘기를 하려는 건지 아실겁니다.
¶5 소유, 계급, 불평등이 순차적으로 생겨났습니다. 공산주의자냐고요? 이해합니다. 저의 출생에 대해 일부 알고 있거나, 본인의 이익을 위해 프레임 씌우기 좋아하는 사람이 묻는 것이라면요. 하지만 공산주의 국가에서도 다들 머물러 삽니다. 머물러 있게 되면 소유가 생겨나는 것은 필연이지만, (사적)소유가 없다고 해서(정말 없지도 않지만) 돌아다니란 법은 없거든요. 이념이 아니라 신의 뜻에 따라 살지 않는 것이 문제인 것이지요. 먹고 사는 것 외에도 인간은 신의 섭리를 거부하고 있는 것이 하나 더 있습니다. 바로 번식입니다. 사람은 누구나 예쁘고 잘 생긴 사람에게 성욕을 느끼도록 되어 있습니다. 네, 사람은 외모 차별주의자들입니다. 미적 기준은 주관적이라고 하는 사람이 있지만 보편적으로 예쁘고 잘 생긴건 분명 존재하고 사람들은 그것을 분간합니다. 허나 차별하는 사람을 욕할 수 없습니다. 조물주가 그렇게 만들어 놓았기 때문입니다. 사람들은 다만 차별적인 표현을 하지 않을 뿐이지요. 심지어 인권, 다양성, 평등 같은 걸로 포장하기까지 합니다. 엄연히 자신의 마음속엔 호불호가 나뉘어져 있는데 말이지요. 만약 신의 뜻에 따라서만 성관계가 이루어졌다면 세상엔 예쁘고 잘 생긴 사람들만 태어났을 것입니다. 그러나 사람들은 그 섭리에 따르지 않습니다. 왜 그런 것일까요? 성관계와 출산이 '수단'이 되기 때문입니다. 무엇을 위한 수단인가요? 생존입니다. 생래적인 불평등으로 생존이 위협받고, 그 위협은 소유한 자에 봉사해야만 해소되기 때문에 그렇습니다. 그리하여 사람들은 더 이상 본능에 따른 자연스러운 성관계만을 하지 않습니다. 성은 수단이 되고, 세상 사람들에겐 물질 뿐만 아니라 또 다른 면에서의 우열이 생겨납니다. 이 차이는 매끄럽게만 극복되지 않기 때문에 그 부작용의 총합이 곧 악의 총합이 됩니다.
¶6 돌아다니는 인간에 대해선 이전에 생각해 보지 않은 건 아니지만 지나치게 이상적이고 사람들에겐 황당할 수 있다고 생각했었습니다. 특히 위에 언급한 출산 같은 얘긴 공개적으로 하기 매우 어려운 것이지요. 프로필에 제 사진이 있으니 논점과 상관 없는 인신공격을 무지하게 받았을테고, "우생학"적 편견에 대한 반감이나 사람들의 뇌리에 깊이 박혀 있는 일반적인 "평등" 관점에선 직관적으로 강한 거부감이 드는 얘기니까요. 그러나 불평등의 기원에 관해선 반드시 생각해 봐야 할 문제이고, 그 문제제기는 '잘생긴' 사람이어야 할 수 있는 것은 아닌 것이지요. 황당한 측면보다는 지나친 이상주의라 여겼던 측면이 큰데 그건 돌아다니는 인간의 삶이 지금보다 많이 단조롭지 않을까 하는 생각때문이었습니다. 화려한 건물들, 첨단기기들, 섬세한 문화예술들이 가능하지 않았을 것 같기도 하고요. 허나 곰곰이 생각해 보면 이것들은 머물러 살기에 생겨난 것들입니다. 다시 말해 돌아다녔으면 필요 없었을 것들이기도 하지요. 주택, 상업시설, 통신기기, 이동수단은 말할 것도 없고 문화예술도 그러합니다. 예컨데, 풍자와 해학이 가득한 문학작품을 보고 감동을 느끼지만, 아예 풍자와 해학의 대상이 존재하지 않는다면 재미는 커녕 존재조차 할 수 없는 글이겠지요. 우리는 아름다운 자연속에 있을 때 구태여 미술작품을 가져가서 보거나 모짜르트의 음악을 듣지 않습니다. 모두 머물다보니 사람들과 치열하게 부딛히며 생겨난 것들에 가까운 것들입니다. 정교한 언어도, 화려한 의복도, 좀 더 빨리 달리는 자동차도, 날로 발전하는 스마트폰도... 이들의 '필요'는 머물러서 생긴 것이고 그 '진화'는 사람들 간의 우열다툼으로 생겨난 것에 연결되는 측면이 더 큽니다.
¶7 돌아다니면 서로 의지하게 됩니다. 소유가 없으니 계급이 없고, 계급이 없으니 불평등이 없고, 불평등이 없으니 싸울이유가 없기 때문입니다. 젊은 사람은 힘이 세고 노인은 돌아다녀 본 경험이 쌓여 서로 도움이 되어서이기도 합니다. 어디서, 누구의 자식으로 태어나느냐는 아무런 상관이 없습니다. 머물러 살면 이 모든 것이 반대가 됩니다. 그야 말로 만인의 만인에 대한 투쟁이고, 소유할 때만 존중받을 수 있습니다. 이런 소유, 계급, 불평등의 해악은 잘 알려져 있어 굳이 더 묘사할 필요가 없지만, 요는 이렇게 살지 않아도 되었다는 아쉬움에 있는 것이지요.
¶8 오늘 도서관까지 걸어 오는데 거리의 하수구 냄새로 구역감을 많이 느꼈습니다. 날씨가 따뜻해 지면서 더 심해지는 것 같아요. 여긴 초고층아파트가 많습니다. 좁은 곳에 머물러 살다보니 그렇겠죠. 사람들은 이를 '발전'이라 부릅니다. 허나 아파트 층수 만큼 깊이 판 땅도 발전이라 부를지 모르겠군요. 기초공사 때문이라고요? 뭐 맞는 얘깁니다. 절반만요. 똥 누는 사람이 위로 많이 쌓일 수록 똥 내려가는 길도 깊어져야 되는 것이죠. 그 똥 다 어디로 갈까요. 전 요즘 말이 많은 원전수보다 하수도 똥물이 더 무섭습니다. 이렇게 많은 사람들을 먹일 동물들 또한 어디선가 사육되고 있겠죠. 어마어마한 똥들과 함께 말입니다. 사람들은 이 집 한채 사려면 엄청난 똥을 싸야합니다. 정말 똥줄타는 일이죠. 집값으로 유지되는 경제구조속에 살면서도 집값이 내리길 바라고, 또 자기 집값은 오르길 바라며 오늘도 똥을 쌀겁니다. 똥통속에 살다 병이나면 만병통치약이 나오길 바라지 않는 사람에게 몸을 맡기겠지요. 한 번도 제 눈으로 본적 없는 세계의 이론가들에게 미래의 혁명을 바랄테고요. 동의한 적 없는 제도로 선출된 동의한 적 없는 사람에게 자신의 똥색깔을 맡기겠지요. 소돼지닭을 죽이고, 자신의 발에 채인 족쇄가 고정된 아파트에서 잠을 잔 뒤, 다른사람의 생존을 조금 위태롭게 하고, 다시 소돼지닭을 죽인 다음 똥을 쌉니다. 이를 무한 반복합니다. 모두 인간이 머물러 살면서 생겨난 아름다운 인간의 일과(日課), 당신 인생의 쳇바퀴이지요. 백미(白眉)는 여기에 인간들끼리 주고 받는 달콤한 말들을 오버랩 시켜보는 것일텝니다.
*epilogue: 어떤 고마운 분께서 제 출생의 비밀에 관한 본질을 단 한 개의 한자로 알려주신 적이 있습니다. 물론 그 구체적인 방법은 그 분이 특정될 수 있어서 적지 않겠습니다. 저를 저 아닌 다른 사람으로(또는 이상하거나, 무능하거나, 게으른 사람으로) 보이게 하는 일들을 포함해서, 적잖은 사람과 자원이 동원되어야 되는 일들이 어떻게 가능했는지가 설명되는 것이지요. 감사드립니다. 그 전에도 이를 에둘러 암시 받은 적이 있긴 한데 긴가민가 했던 것이 풀리는 순간이었습니다.