ジグフリード

真実を愛する心

変異

2021-07-13 16:30:31 | Unknown Knowns

¶1 多くの人がよく知っていると思いましたが、メディアを通じて見るとそうでもないようなので、昨年末、私のインスタグラムに投稿した内容を再びアップします。 今の状況を考慮してもそうです。 あのとき、ワクチン接種が「感染」を防いでくれるわけではないという要旨の文を書いていました。 私がいわゆる専門家ではないせいか、引用をしないまま私の考えのように書いたら信じられないようです。 有名な「タイム」誌の記事をそのまま持って来て翻訳してみます。

¶2 「[質問:]ワクチンを接種すると、感染しないという意味ですか? [答え:] 必ずしもそうではありません。 痛くない可能性が高くなるという意味です。 ファイザーが95%の効果を、モダナが94.5%の効果を言うのはその数値ほど人々を痛くしないようにすることができるということです。 効果性の検証研究では、参加者が無作為にワクチンとプラシーボを打たれます。 ワクチンと偽薬のいずれかの群においてCOVID19症状(高熱、咳、頭痛、呼吸困難を含む)が現れた者がいる場合は、当事者は研究陣に報告し、研究陣はその時になってCOVID19感染の有無を検査するかを決定します。 したがって、効果性研究では、偽薬群に比べてワクチン群がどれだけ感染しているのかを見るために、すべての参加者を検査するわけではありません。 その代わり、研究陣はCOVID19陽性判定を受けた参加者と、違約群で陽性判定を受けた者の数字を比較するのです。 両社は病気にさせないことはもちろん、感染予防のための慧眼を得られるよう、無症状感染者を含め参加者のCOVID19抗体をテストし続けます。」 [1]

¶3 最近ワクチンを接種したのに感染したというマスコミの報道によく耳にします。 いわゆる「突破感染」という言葉も登場しました。 つまり、「感染」を予防するためにワクチンを打ったのですが、期待を裏切って感染したという意味です。 なぜ人が勘違いしているのかわかりませんが、ワクチンは最初から「感染」を防ぐ概念の薬ではなかったのです。 説明通り、重症への発展を予防してくれる薬です。

¶4 主観を排し、一昨日図書館で読んだ面白い文章をそのまま引用してみます:「向精神性薬物は化学的不均衡を正すのではなく、それを起こす。 それで薬を中断するのがそれほど難しいのだ。 これらの薬は治療されるべき疾病をむしろ誘発する。 過去には多くの場合「自己回復疾患(self-limited disease)」だった調弦病、ADHD、うつ病が私たちが飲む薬によって慢性的な障害になった。」[2] 私が読んだ本の著者も他人の文を引用したものですが、原著者の本のタイトルが「伝染病解剖学(Anatomyof Epidemic)」でした。 私たちは「エピデミック」より恐ろしい「パンデミック」に悩まされています。 私の言いたい言葉に対する解釈は各自に任せます。

¶5 ついでに横に刺さっていた また別のタイム誌を見ると、ワクチンの話がまた出てきて、やはり興味深い上に、前の内容と関係があるので引用してみます。 運がいいようです:「180万人以上を死亡させた2020年のCOVID-19パンデミックが疫病の最後ではないだろう。 しかし、新しいRNA技術のおかげで、未来の疫病に対する我々の防御策がはるかに早く効率的である可能性が高い。 既存のコロナウイルスが変異して新しいウイルスとして現れれば、研究者らがいち早く現在ワクチンのmRNAを再びコーディングし、新しい脅威に対応できる」。[3] 振り返ってみると、事態の始まりから現在まで、mRNAベースのワクチンへの期待を高める方向へと、全世界のパンデミックの様相が流れていきました。 そして、今はmRNAベースのワクチンの供給が需要に追いつかない状況になっています。 変異による再拡散は「古い未来」だったのでしょうか? しばらくして再コーディングされたmRNAワクチンが英雄のように登場したらですね。

¶6 やはり私の考えを言うより、有名な学校ハーバード大学の教授が提示した解決策を紹介します。[4] 妊娠テスト機のように簡単な抗体テストがあるそうですね。 家で一人でやってみることができて、結果も数分で出るそうですよ。 鼻に綿棒を入れて掻き出した後、薬の入ったチューブに入れて試験用紙を一緒に入れると、色で結果を教えてくれるんですって。 彼はこのテストを全人口の半分が4日に1回行うと、なんと伝染を「終息」させることができると言っています。 米国全域に普及させる費用が韓国ウォンで約6兆ウォンぐらいというから、韓国と日本ではもっと安く使えそうです。 特に日本はオリンピックを控えているから費用対効果が大きいようですね。 核心は自分の電波可能性を自ら分かるようにすることにあるそうです。 だから、国民の道徳性と責任感が高い国で行われなければならないと思います。 感染が確認された人は、重症になる前に一度に病院での診療を要求されても困るし、感染の事実を偽ってもいけないし、感染したのなら自律的に隔離すべきですからです。 国レベルでは爆発的な感染者増加に備え、病院以外の所でも保護や隔離を可能にし、重患者の病床も管理可能でなければなりません。 条件が合うならやってみる価値があるようです。 病原性よりも伝染性が高い流行局面であるため、「感染」したという事実に対する恐怖を減らし、お互いに配慮することが大切だと思いますが、これまでの様々な利害関係の主体の行動からすると、克服しにくい条件であることは事実だと思います。 とにかくこのあきれた状況を何とかうまく克服していくことを願っています。

¶1 많이들 알고 있는 줄 알았습니다만, 미디어를 통해 보면 그렇지도 않은 것 같아 작년 말 제 인스타그램에 포스팅한 내용을 다시 올려 봅니다. 지금의 상황을 고려해서도 그렇고요. 그 때 백신 접종이 ‘감염’을 막아주는 건 아니라는 요지의 글을 썼었습니다. 제가 이른바 전문가가 아니라서 그런지, 인용을 하지 않은 채 제 생각인 양 썼더니 믿지 못하는 것 같습니다. 그래서 유명한 ‘타임’지의 기사를 그대로 가져와 봅니다:

¶2 “[질문:]백신을 맞으면, 감염이 되지 않는다는 뜻인가요? [답:]꼭 그렇진 않습니다. 아프지 않을 가능성이 커진다는 의미입니다. 화이자가 95%효과를, 모더나가 94.5%의 효과를 얘기하는 건 그 수치만큼 사람들로 하여금 아프지 않도록 해 줄 수 있다는 것입니다. 효과성 검증연구에선, 참여자가 무작위로 백신과 위약을 맞습니다. 백신과 위약 어느 군에서든 COVID19 증상(고열, 기침, 두통, 호흡곤란 포함)이 나타난 자가 있으면 당사자는 연구진에 보고하고, 연구진은 그 때가 되서야 COVID19 감염여부를 검사할지 결정합니다. 그러므로 효과성연구에선 위약군 대비 백신군이 얼마나 감염되었는지를 보기 위해 모든 참여자를 검사하는 것은 아닌 것입니다. 대신 연구진은 COVID19 양성판정을 받은 참여자와 위약군에서 양성판정을 받은 자의 숫자를 비교하는 것이지요. 두 제약회사는 병에 이르게 하지 않게 하는 것은 물론 감염을 예방하기 위한 혜안을 얻을 수 있도록 무증상 감염자를 포함해 참여자들의 COVID19 항체를 계속 테스트할 것입니다.” [1]

¶3 최근 백신을 맞았는데도 감염이 되더라는 언론보도를 많이 접합니다. 이른바 ‘돌파감염’이란 말도 등장했습니다. 그러니까 ‘감염’을 예방하기 위해 백신을 맞은 건데 기대를 저버리고 감염이 되었다는 뜻입니다. 사람들이 왜 잘못 알고 있는지 모르겠습니다만, 백신이란 게 처음부터 ‘감염’을 막아주는 개념의 약이 아닌 것이었지요. 설명대로 중증으로의 발전을 예방해주는(그렇게 믿고 있는) 약입니다.

¶4 주관을 배제하고, 엊그제 도서관에서 읽은 재미난 토막글을 그대로 인용해 봅니다: “향정신성 약물은 화학적 불균형을 바로잡는게 아니라 그것을 일으킨다. 그래서 약을 중단하기가 그토록 어려운 것이다. 이런 약은 그것이 치료해야 할 질병을 오히려 유발한다. 과거에는 많은 경우 ‘자가회복질환(self-limited disease)’이었던 조현병, ADHD, 우울증이 우리가 먹는 약으로 인해 만성적인 장애가 됐다.” [2] 제가 읽은 책의 저자역시 다른 이의 글을 인용한 것인데, 원저자의 책 제목이 「전염병 해부학(Anatomy of Epidemic)」이었어요. 우리는 ‘에피데믹’보다 무서운 “판데믹”을 겪고 있지요. 제가 하고픈 말에 대한 해석은 각자에게 맡깁니다.

¶5 내친 김에 옆에 꽃혀 있던 다른 타임지를 보니까 또 백신 얘기가 나오는데 역시나 흥미로운데다 앞의 내용과 관계가 있어 인용해 봅니다. 운이 좋은 것 같아요: “180만 명 이상 사망케 한 2020년의 COVID-19 판데믹이 역병의 마지막은 아닐 것이다. 하지만 새RNA기술 덕분에 미래 역병에 대한 우리의 방어책이 훨씬 더 빠르고 효율적일 가능성이 높다. 기존 코로나 바이러스가 변이해 새 바이러스로 나타나면 연구자들이 재빨리 현재 백신의 mRNA를 다시 코딩해 새로운 위협에 대응할 수 있다.” [3] 돌이켜보면, 사태 시작부터 지금까지 mRNA기반 백신에 대한 기대치를 높이는 방향으로 전세계 판데믹의 양상이 흘러갔죠. 그리고 지금은 mRNA기반 백신의 공급이 수요를 못 따라가는 상황처럼 되어 있고요. 변이에 의한 재확산은 ‘오래된 미래’ 였을까요? 조금 지나 재코딩된 mRNA백신이 영웅처럼 등장한다면 말이지요.

¶6 역시 제 생각을 말하는 것 보단, 유명한 학교 하버드대학의 교수가 제시한 해결책을 소개해 봅니다. [4]임신 테스트기처럼 간편한 항체테스트가 있다는 군요. 집에서 혼자 해 볼 수 있고, 결과도 수 분 내에 나온다고 합니다. 코에 면봉을 넣어 긁어낸 후 약물이 든 튜브에 넣고 표식시험지를 같이 넣으면 색깔로 결과를 알려준다는군요. 그는 이 테스트를 전 인구의 절반이 4일에 한 번씩만 하면 무려 전염을 ‘종식’시킬 수 있다고 합니다. 미국 전역에 보급하는 비용이 한화로 약 6조 정도라니, 한국과 일본에선 더 싸게 먹힐 것 같습니다. 특히 일본은 올림픽을 앞두고 있으니까 비용대비 효과가 큰 것 같군요. 핵심은 자신의 전파가능성을 스스로 알게 하는 데 있다네요. 국민들의 도덕성과 책임감이 높은 나라에서 해야 되겠습니다. 감염이 확인된 사람들이 중증으로 가기 전에 한꺼번에 병원에서의 진료를 요구해서도 곤란할 것이고, 감염사실을 속여서도 안 될 것이고, 감염이 되었다면 철저히 자율적으로 스스로를 격리해야 할 테니 말입니다. 국가차원에선 폭발적인 감염자 증가에 대비해 병원이 아닌 곳에서도 보호나 격리가 가능토록 하고, 중환자 병상도 관리할 수 있어야 하겠지요. 조건이 된다면 해 볼만한 것 같습니다. 병원성 보단 전염성이 높은 유행국면이니 ‘감염’되었다는 사실에 대한 공포를 줄이고 서로서로를 배려하는 게 핵심일 것 같은데, 그간의 다양한 이해관계 주체들의 행태로 보면 극복하기 어려운 조건인 건 맞는 것 같습니다. 어쨌든 이 어처구니없는 상황을 어떤 방법으로든 잘 극복해 나갔으면 좋겠습니다.

[1] Alice Park, "What to know about vaccines: your guide to when they are coming and what it will mean", Time Asia, Vol. 196, Nos. 20-21, p. 30, 2020.

[2] 피터 괴체 저, 윤소하 역, 위험한 제약회사, 공존, p. 306, 2017.

[3] Walter Isaacsson, "The Race to Save the World: the remarkable scientific discoveries behind the COVID-19 vaccines", Time Asia, Vol. 197, Nos. 1-2, p. 26, 2021.

[4] Michael Mina, Time Asia supra, p. 32, 2020. 


無題

2021-05-10 14:48:48 | Unknown Knowns

¶1 二週間ほど前、ある美しい女性が宿の近くの道路に立っていました。 ただきれいだという描写では物足りないし、気品のある顔でした。 落ち着いた黒のジャケットに、グレーベースの薄手のチェックのパンツをはいていましたね。 記憶に残る理由は、磁石がお互いに惹かれるように、わからない力に引かれたからです。

¶2 最近宿舎にいなかった友達が見えたので挨拶を交わしました。 私が住んでいるところはバングラデシュから来た方々が大多数で、ネパールの友達が一人いる、韓国人より外国人の方がもっと多いところです。 でも、ニューフェイスが南米国家から来たというから、本当に国際的な宿舎になったと思いました。 ところで、なぜ最近になって会話をするようになったのかわかりませんが、すでに2週間前に入ってきていたそうです。 そういえば、この人から二週間前に街からもらったあの妙な引力に似た感じがしたような気がします。


¶3 出生について本格的に調べ始めた時、強力な分析ツールがフェイスブックだったことは何度も言及されています。 「分かる人」フィードは、単に個人に対する情報だけでなく、その個人の集合として持つ属性や傾向に関する情報も与えます。 もちろん、それを有意義に縫い付けるのはフェイスブックではなく、私の役目ですが。 その中の一つが京畿道高陽市という地域です。 特定の都市を知ったことも重要ですが、分析の初期に、つまり私が何か気づいて実母探しに突入したという印象を与えてから、一番最初に、最も多くの流入があった都市であったというのが主要な部分でした。 携帯電話番号を作って持ち歩いた時代は、この地域からかかってきた怪電話も多かったです。 しかし当時は、その傾向の変数が私の出生なのか、そこで博士課程をしたためなのか不明でした。 二つの変数が互いに無関係ではないことを、その時は知らなかったからです。 しかし、高陽市と私の出生を結びつける手がかりと関連し、最も記憶に残るのは修士課程の時、大学図書館でアルバイトをしながら会った同僚とのエピソードだと思います。 その友達がいきなり高陽市のマスコットが猫だと言って、前後の脈絡もなく話を始めたことがありました。 なんであの話を僕にするのか 気になってたけど、ただ猫が好きだからかな考えてしまったんですが、今考えてみると私が修士課程を航空に関して始めて間もない頃でしたから、高陽市の話をした時の私の反応から、何かを探ろうとしたに違いありません。 まあ、私はだいたいこのような形で手がかりを得ています。 こんな記憶こそ、遡及して全体の絵に合わせて入る重要なパズルのピースになります。 自分から何かを知ろうとした行動が自分に情報をくれるなんて、人生がいつも奇妙な気がします。 類例は他にもあります。 先に述べたように、博士課程は高陽市にある大学でしたが、ある日、教授が同じようにいきなり私を自分の研究室に呼んでいました。 部屋のドアを開けて入ったら、高陽市役所の方が私を「スキャン」していたことを覚えています。 そしてもういいと言いながら出て行けと言ってましたね。 あっけないことだったが やはり貴重なパズルのピースになりましたね。 似たような手がかりを全部列挙することができないほどだと思います。 高陽市に選挙区を置く政治家と関連したエピソードもあるが、あまりにも深く入り込んでいるような気がして、ここで減らしておきましょう。 私がこのように分析の過程を一部でもあえて公開するのは、これまで人々が私に特別なソースがあると思っていることを何度も感じたからです。 そうではないということを見せる程度にします。

¶4 私は就学後、強制的にプロテスタント教会に通わせられました。 行きたくなくても毎週日曜日には教会に行かなければならなかったんです。 私を教会に行かせなければならなかった人は、その強制性そのものも手がかりになるということを知らなかったのですが。 小学校から中学校に移った時期に出会った聖書教理先生がいましたが、当時も似たような印象を受けましたが、振り返ってみると、何か特別な出会いだったような気がします。 フェイスブックに、いつか投稿した葉書もそうだし、その方の外見、私に対する態度、ここにすべて書くことのできない行動···。 全部頭に残って体が記憶するようになることですが、私が感じることほど、他の人は感じないことがあるようです。 だからできる行動だっただろうし、そのおかげで事後的にでも物語を描いてみることができるようになるでしょう。 聖書教理先生は授業時間にとても厳しかったそうです。 それで告白すると、実はその時先生が怖かったんです。 今はこんなに探しているが、その時はできるだけ避けようとした方だったのですから、このようなデコヒーレンスはどこにもないと思いました。 先生も私が自分を怖がっていることをご存知だったのか、それとも他の事情があったのかわかりませんが、先生との別れはある日突然訪れました。 ある日曜日、教会に行ったら、同僚の方から先生が他の所に行ったと知らせてくれましたが、それも外国に行かれたと言われました。 言い繕ったのか実際にそうだったのかはわかりませんが、まだ外国がどこなのか生々しく覚えています。 不慣れな台湾という国だったからです。 幼い頃私を知っていた人は、この文章を見るとあれを覚えているのかと思うようになります。 台湾がどう連結されるかは敢えて書く必要がないでしょう。 もうこの文を読む人たちが誰なのかも大体分かっていますから。

¶5 それで出生について調べなければならないという考えが成熟した時、調査の出発点が教会の聖書教理先生だったことは自然なことでした。 多くない歳に加え、足らない経験でしょうが、他人の言うこと、本に書かれた言葉よりも絶対に信じられることは、自ら経験したことしかないという小さな悟りのようなことも影響を及ぼしたのです。 先生の名前で検索されるFacebookアカウントの中に、私と関係のあると思われる方が何人かいました。 そのうちの一人は、英国の大学院に通っていた時に(偶然であるように)出会った全羅道出身の方と関連のある方と思っているのに、その話までしようとすれば話が長くなりますね。 もう一人いました。 この方の外見と最初の段落で言及した高陽市に住む、ある方の外見との類似性に注目していました。 複数の名前を使いている同一人、又は同じ名前を使う複数の人々、 兄弟姉妹や親子関係のように外見的類似性のある人々からその関係を選り分けるなど、裸眼で人の写真を見て、ある意味を見出す作業は決して容易ではありません。 すべてが見えるままの事実であっても難しい作業なのに、意図的に歪曲された情報を載せる場合もあるからです。 ですから、この作業を繰り返してみると最初は直感に依存していたのですが、自然と客観的な指標に目がいくようになります。 例えば人造人間を作るレベルの整形手術ではでなければ変えられない顔の各点を繋ぐ線の「比率」というか(実際に顔面認識システムに使われる原理です)、家族関係を少し知っていれば遺伝的に出てこない耳の形の人を排除するか、といった具合です。 私が注目したのは、二人が共に持っている右目側の傷跡のような影でした。 これが有効な識別子(identifier)なら、他の要素も当てはまるようになります。 高陽市にお住まいの方がフェイスブックで見せている敬虔なクリスチャンの姿、第一段落で描写した方との外見の類似性、何よりもこの方が私のフェイスブックを訪問したという点、その訪問時期、また重要には同時に訪問した姉妹関係と推定される同一性を使う方を分析して知った内容との強力な関連性まで。 最後に言及したのは含意が大きいが、これも私の明確な記憶によるものでした。 聖書の勉強当時、先生と同じ姓を使う別の先生がいましたが、その方は書類上双子になっている、私の弟が属したクラスを担当していました。 その方の名前を正確に覚えており、すでに前述のポスティングで言及した「航空」という枠での分析により、公衆に知られた有名な事件での具体的な時空間を把握している状態で、いわゆる「被納日本人」情報を通じて知られたある方との名前と時空間が一致したためでした。 これだけでも一次元的な疑問はかなり合理的に解消されましたね。 しかし、私が見逃していた最後のパズルのピースがありました。 いくら秘密の事に係わる出生でもこんなにまで当事者本人への情報接近が遮断され、抑圧され、私がどこで何をしてもどうして見えない手が私を統制しているのかということでした。 この疑問が増幅したのは、調査の過程で、他の出生の秘密を持ったインサイダたち(他に違う表現が浮かびません)は、生みの親と子の間で意思疎通があったように見えたからです。 これについては次の段落で迂回的に述べるようにしましょう。

¶6 2016年の夏ごろだったと思います。 私に悟りを与えることの様態はいつもそうであるように、いきなり友達から連絡が来て、思いもよらなかった華やかな食事の席を持ちました。 会った友達は皆、小中学校の時から故郷だと思っている大邱で一緒に学生時代を過ごしたやつらでした。 私は菜食を2012年半ばから始めたが、まるでタバコを止めて吸うことを繰り返すように、 菜食も途中で何度も諦めてから再開する浮き沈みを経験し、友達に会った当時は情熱的に菜食をまた始めた時期でした。 その直前に菜食を放棄した状態だったことを知っていたからか、友達は1回目の飲み会で大邱中心街の焼肉屋に私を誘いました。 もちろん、肉は手もつけずにご飯とお酒ばかり飲んでいましたが、その時、友達がまるで私が好きなように注文した「日本酒」が「純米」だったと記憶しています。 私はそんなに高いお酒を飲んだことがないですけどね。 ところが、1次会食の時全く席を共にできなかった友達が一人いたのですが、その友達が私たちと合流しに職場から出発するという連絡が来た時でした。 一緒に食事をしていた友達は慌てて席を移さなければならないと言って、その高い牛肉を残して合流する友達と行くことになる食堂に向かいました。 それがその時の集まりを特別に記憶に残るようにした始まりだったようです。 日常の集まりのように、ただ良い食べ物を一緒に食べながら、今まで話せなかったことを話し合う場ではなく、まるである目的を持って一糸乱れずに動く人のようでした。 実はその子達が自分のお金で私のために買ってくれそうなメニューでもなかったです。 移転した2次会の場所は妖精風の「和食レストラン」でした。 メインメニューが刺身であり、いわゆるつきだしが並んでいる日本食の定食屋でした。 菜食をしていた私としては2番目の苦役でした。 その日一番おいしく食べたものが、揚げたての天ぷらだと思います。 菜食を始めると、特に韓国や日本のような菜食の裾野が弱い所で食べたことのある方はご存知でしょうが、様々な反菜食主義的な経験をします。 その中には「君が食べずに耐えるのか見てみよう」という風の誘惑も含まれ、その日も似たような雰囲気でした。 質の良い牛肉や和食屋さんで食べる刺身は、非菜食人でも食べにくい肉ですからね。 また、食事で菜食の当為を否定する論理を聞くのはよくあることです。 一般的に倫理道徳的な面と科学的な面に分かれますが、その日は後者の話がありました。 お話した通り、ありふれたことなので特別なことではないのに、あの日の会話は記憶に残りますね。 ご存知のように生物の軟組織は大体C(炭素),H(水素),O(酸素),N(窒素)で構成されていますね。 これを根拠にした友達が野菜には「エヌがない」と言うのです。 激しい論争があったそれも、本当に自分の論理を押し付けるために必死になっている、そんな会話ではありませんでしたし、ただ淡々とした一言のやり取りで落ち着いた雰囲気でしたが、その時、その友達の言葉と妙な表情が忘れられません。 「窒素」がまるでタブー語だったようにですね:-) 前のポスティングで、あるありがたい方が一つの漢字で私の出生の本質を知らせてくださったと言いましたが、そこから触発されて調べたもう一つのトラックでの写真分析作業で先に述べた最後のパズルのピースを見つけることができました。友達が直接醤油を買ったことがなかったことに感謝しなければならないことでしょうか。:-) 私のような菜食人は成分表を見るのが癖なのでよく知っているのですが、醤油の包装紙には窒素含有量が表示されていて、しかもその含量によって醤油の等級が決まるので、友達が醤油を一度でも買ってみたらその話を聞くことはできなかったはずですから。

¶7 今知っていることを全然知らない昔から印象的な回想が浮かんだりしました。 その中の私は怖がりやですごく恥ずかしがりやでした。 ある場所について行ったのに、なぜそこに行ったのかわからず、途方に暮れています。 そんな私を黄色い系統の色のノースリーブワンピースを着た女の人が、小さな部屋に連れて行きます。 写真を撮りに来たと言っていました。 女は私を慰めます。 何かを握らせてくれた気がします。 いつか住んでいた場所に置かれていた、訳も分からないパンダグマの人形のような形をしています。 続いて、人々が入ってきて、女性に頼ったまま、やっと写真を撮りました。 回想はここまでです。 一度ずつ神秘的な夢を見ます。 その「ふしぎ」とは、寝る前に、まったく考えた事も、思い出す引き金になる関連性も無かった、それこそ突然登場する人や事件があるからなのです。 この回想もその通りです。 いわゆる既視感かとも思いましたが、たとえそうだとしても、いずれにせよ原因があるということは同じです。 大事なことはこの回想が何回も聞いたということです。 そして出生に関する探索を始めてからは、その回想が闇のトンネルを抜ける門の鍵になるかも知れないという漠然とした考えをしたりもしました。 私の出生に関してよく分かるような人が遺伝子検査をしてみなさいと強権したことがありました。 そのため、これは逆説的に造作された遺伝子検査が準備されているという意味でしょう。 分析過程で読んだ本の一つに、東京足立区のようなところには工作を専門にする病院もあったそうですね。 数十年前もそうだったので、現代にはもっと精巧に行われるようです。 昨年は不本意ながら新型コロナウイルスに関する文章をたくさん読んだり書いたりしたが、その時そのような感じをたくさん受けて、一部はここですべて明らかにできない事実もありました。 昨年1月にフェイスブックに、ある文章を書いた直後、私が住んでいた大邱で、ある宗教団体の集団感染を皮切りに、韓国での爆発的な感染事態が始まりました。 ただの偶然でしょう。 もっとも最近は時間的に隣接している二つの事件に対しては、その明白な隣接性にもかかわらず、その二つを因果関係として見ないのが流行のようです。 どうせ免責契約になっていますから、寝た子をつくる必要がないということでしょう。 まるで時間的進み(temporal precedence)そのものが自分の能力よりずっと自分の持つ富の蓄積に寄与したことが多いにもかかわらず、これを敢えて人々が知らん振りをするのと似ています。 今日は社会的弱者層のための映画館割引デイが帰ってきましたね。 内容はよくわかりませんが、タイトルだけ見て目立つ映画が1本ありますね。 「私が死ぬことを望む者たち」 まあ、これを見るかは分かりません。 名探偵コナンの方がもっと惹かれる気もします。 それでは、これで失礼。

 

最後のアップデート:2021.5.13.12:53@Suyeong-guOffice

韓日抄訳ツール: http://papago.naver.com

 

¶1 대략 2주 전 어떤 아름다운 여성분이 숙소 근처 도로에 서 계셨어요. 단지 예쁘다는 묘사로는 부족하고 기품이 있는 얼굴이었지요. 차분한 검은색 재킷에 회색바탕의 엷은 체크무늬 바지를 입으셨던걸로 기억합니다. 기억에 남는 이유는 자석이 서로 끌리듯 알 수 없는 힘에 끌렸기 때문이에요.

¶2 최근 숙소에 못보던 친구가 보이길래 인사를 나누었지요. 제가 사는 곳은 방글라데시에서 온 분들이 대다수고 네팔 친구가 한 명 있는, 한국인 보다 외국인이 더 많은 곳이에요. 그런데 뉴페이스가 남미 국가에서 왔다하니 참 국제적인 숙소가 되어간다 싶었지요. 그런데 왜 최근에야 대화를 나누게 된 건지는 모르겠지만 이미 2주 전에 들어와 있었다는군요. 그러고보니 이 친구에게선 2주 전 거리에서 받은 그 묘한 인력(引力)과 비슷한 느낌이 들었던 것 같아요.

¶3 출생에 대해 본격적으로 알아보기 시작했을 때 강력한 분석도구가 페이스북이었단 건 여러번 언급했었지요. '알 수도 있는 사람' 피드는 단순히 개인에 대한 정보 뿐 아니라 그 개인들의 집합으로서 가지는 속성이나 경향에 관한 정보도 줍니다. 물론 그걸 유의미하게 씨줄날줄로 꿰어 내는 건 페이스북이 아니라 제 몫이지만요. 그 중 하나가 경기도 고양시라는 지역이에요. 특정 도시를 안 것도 중요하지만 분석초기에, 그러니까 제가 뭔가 낌새를 채고 친모찾기에 돌입했다는 인상을 풍기고 나서 제일 먼저, 제일 많은 유입이 있었던 도시였다는 것이 주요한 대목이었지요. 휴대폰 번호를 만들어 가지고 다니던 때엔 이 지역에서 걸려온 괴전화도 많았고요. 하지만 당시엔 그 경향의 변수가 저의 출생인지 그곳에서 박사과정을 한 것 때문인지가 불분명 했었지요. 두 변수가 서로 무관한 것이 아님을 그 때는 몰랐으니까요. 하지만 고양시와 제 출생을 연결시켜 줄 단서와 관련해 가장 기억에 남는 건 석사과정 때 대학 도서관에서 아르바이트 하며 만난 동료와의 일화인 것 같아요. 그 친구가 뜬금 없이 고양시의 마스코트가 고양이라며 앞뒤 맥락없이 이야기를 시작한 적이 있었지요. 도대체 내게 왜 저 얘길 하는 걸까 싶었지만 그냥 고양이를 좋아하나보다 하고 말았는데, 지금 생각해 보면 제가 석사과정을 항공에 관해 시작하고 얼마 지나지 않았을 때였으니 고양시 얘기를 했을 때의 제 반응을 통해 뭔가 알아내고자 했던 것이 분명합니다. 뭐, 저야 대체로 이런 식으로 단서를 얻습니다. 이런 기억들이야 말로 소급해서 전체 그림에 맞춰 들어가는 중요한 퍼즐조각들이 되지요. 제게서 뭔가를 알아내려 한 행동들이 되려 제게 정보를 주는 것이 되니 인생사 늘 묘하다는 생각을 갖게됩니다. 비슷한 예가 또 있지요. 앞서 언급한 대로 박사과정은 고양시에 소재한 대학에서 했는데, 어느 날 교수 한 분이 마찬가지로 뜬금 없이 저를 자신의 연구실로 부르더군요. 방문을 열고 들어갔더니 고양시청에서 나오신 한 분이 저를 '스캔' 했던 기억이 납니다. 그리곤 됐다면서 나가보라고 하더군요. 어이 없는 일이었지만 역시 귀중한 퍼즐조각들이 되었네요. 비슷한 단서들은 전부 열거할 수 없을 정도인 것 같아요. 고양시에 지역구를 둔 정치인과 관련한 일화도 있고 한데 너무 깊게 들어가는 것 같아 여기서 줄이도록 하지요. 제가 이렇게 분석의 과정을 일부라도 굳이 공개하는 것은 그간 사람들이 제게 특별한 소스가 있다고 생각하는 것을 여러번 느꼈기 때문이에요. 그렇지 않다는 것을 보이는 정도만 하겠습니다.

¶4 저는 취학 후 강제로 개신교 교회에 다녀야 했습니다. 가기 싫어도 매주 일요일엔 교회에 가야만 했었지요. 저를 교회에 보내야 했던 사람(들)은 그 강제성 자체도 단서가 된다는 걸 몰랐겠지만요. 중학생으로 넘어 가던 시기에 만났던 성경공부 선생님이 계셨는데, 당시에도 비슷한 느낌을 받았지만, 돌이켜 보면 조금 특별한 만남이었단 생각이 듭니다. 페이스북에 언젠가 올린 적 있던 그 분께 받은 엽서도 그렇고, 그 분의 외모, 저를 대하던 태도, 여기에 다 적을 수 없는 행동들... 전부 머리에 남고 몸이 기억하게 되는 것들인데 제가 느끼는 것 만큼은 다른 사람들은 못 느끼는 것들이 있는 것 같아요. 그러니까 할 수 있는 행동들이었을테고, 그 덕분에 사후적으로라도 이야기를 그려볼 수 있게 되는 것이겠지요. 성경공부 선생님은 수업시간에 굉장히 엄하셨더랬어요. 그래서 고백컨데, 사실 그 때는 선생님이 무서웠더랬어요. 지금은 그토록 찾고있지만 그 때는 가급적 피하려 했던 분이었으니 어디 이런 결어긋남이 있나 싶습니다. 선생님도 제가 자신을 무서워하는걸 아셨는지, 아님 다른 사정이 있었는지 모르겠지만, 선생님과의 이별은 어느 날 갑작스럽게 찾아왔었어요. 어느 일요일 교회에가니 동료분께서 선생님이 떠나셨다고 알려주셨는데, 그것도 외국으로 가셨다고 했지요. 둘러댄 건지 실제로 그랬던 것인지는 모르겠습니다만, 아직도 그 외국이 어디인지 생생히 기억합니다. 생소했던 대만이라는 나라였기 때문이었어요. 어릴 때 저를 알던 사람이 이 글을 보면 저런 것도 기억하고 있느냐 생각할 것 같습니다. 대만이 어떻게 연결되는지는 굳이 적을 필요 없겠지요. 이젠 이 글을 읽는 사람들이 누군지도 대충 알고 있으니까요.

¶5 그래서 출생에 대해 알아봐야겠다는 생각이 성숙했을 때 조사의 출발점이 교회 성경공부 선생님이었던 건 자연스러운 것이었지요. 많지 않은 나이에다 보잘 것 없는 경험이겠지만, 남이 하는 말, 책에 쓰인 말 보다 절대적으로 믿을 수 있는 건 스스로 경험한 것 밖에 없다는 조그만 깨달음같은 것도 영향을 미쳤고요. 선생님 이름으로 검색되는 페이스북 계정 중에서 저와 연관이 있는 것으로 보이는 몇 분이 계셨지요. 그 중 한 분은 영국에서 대학원을 다닐 때 (우연인 것처럼) 만난 전라도 출신의 어떤 분과 관련이 있는 분으로 정리하고 있는데 그 얘기까지 하려면 너무 길어지겠군요. 또 다른 한 분이 있었습니다. 이 분의 외모와 첫 단락에서 언급했던 고양시에 사는 어떤 분 외모와의 유사성에 주목했었지요. 다른 이름을 쓰는 동일한 사람, 또는 같은 이름의 다른 사람, 형제자매나 부모 자식 관계처럼 외모적 유사성이 있는 사람들에서 그 관계를 가려내는 등 맨눈으로 사람의 사진을 보고 어떤 의미를 찾아내는 작업은 결코 만만치 않습니다. 모든 게 보이는 그대로의 사실이어도 어려운 작업인데, 의도적으로 왜곡된 정보를 올려 놓는 경우도 있기 때문입니다. 그래서 이 작업을 반복하다보면 처음엔 직감에 의존하다가 자연스레 객관적인 지표에 더 눈이가게됩니다. 이를 테면 인조인간을 만드는 수준의 성형수술이 아닌 다음에야 바꿀 수 없는 얼굴 각 지점을 이은 선들의 '비율'이랄지(실제로 안면인식시스템에 쓰이는 원리입니다), 가족관계를 조금 알고 있다면 유전적으로 나올 수 없는 귀의 모양을 가진 사람을 배제한다든지 하는 식으로 말입니다. 제가 눈여겨 본 건 두 분이 공통적으로 가지고 있는 오른쪽 눈가의 흉터 같은 그림자였지요. 이게 유효한 식별자(identifier)라면 다른 요소들도 맞아들어갑니다. 고양시에 사시는 분이 페이스북에서 드러내고 있는 독실한 기독교인의 모습, 첫단락에서 묘사했던 분과의 외모유사성, 무엇보다도 이 분이 제 페이스북을 방문했다는 점, 그 방문 시기, 또 주요하게는 동시에 방문했던 자매관계로 추정되는 동일 성을 쓰는 분을 분석해서 알게 된 내용과의 강력한 연관성까지. 마지막에 언급한 것은 함의가 큰데, 이것도 저의 분명한 기억에 힘입은 바 큰 것이었죠. 성경공부 당시 선생님과 같은 성을 쓰는 또 다른 선생님이 계셨는데 그 분은 서류상 쌍둥이로 되어 있는 제 동생이 속한 클라스를 맡으셨더랬습니다. 그 분의 이름을 정확히 기억하고 있었고, 이미 앞선 포스팅에서 언급했던 '항공'이란 틀에서의 분석을 통해 공중에 알려진 유명한 사건에서의 구체적인 시공간을 파악하고 있는 상태에서, 이른바 "피납일본인" 정보를 통해 알려진 어떤 분과의 이름과 시공간이 맞아 들어갔기 때문이었지요. 이 정도만 해도 일차원적인 궁금증은 꽤 합리적으로 해소가 된 것이었지요. 그러나 제가 놓치고 있던 마지막 퍼즐조각이 있었습니다. 아무리 어떤 비밀스러운 일에 연결된 출생일지라도 이렇게까지 당사자 본인으로의 정보접근이 차단되고, 억압되고, 심지어 제가 어디서 무얼해도 왜 보이지 않는 손이 통제하고 있는 가 하는 것이었지요. 이런 의문이 증폭된 건 조사과정에서 다른 비밀스런 출생을 가진 내부자(다른 적당한 표현이 생각나지 않습니다)들은 친부모와 자식들간에 소통이 있는 것 처럼 보였기 때문이었습니다. 여기에 대해선 다음 단락에서 우회적으로나마 얘기해 보지요. 

¶6 2016년 여름 즈음이었을겁니다. 제게 깨달음을 주는 일들의 양태는 언제나 시작이 그렇듯, 뜬금 없이 친구에게서 연락이 와 생각지 못했던 화려한 식사자리를 가지게 되었더랬죠. 만났던 친구들은 모두 초중학교 때부터 고향으로 알고 있는 대구에서 같이 학창시절을 보낸 녀석들이고요. 저는 채식을 2012년 중반부터 시작했는데, 마치 담배를 끊었다 다시 피우길 반복하듯 채식도 중간에 몇 번을 포기했다 재개하는 부침을 겪었고, 친구를 만날 당시엔 다시 열정적으로 채식을 재개하던 시기였습니다. 그 직전에 채식 포기상태였던 걸 알아서 그랬던 것이었을까요, 친구들은 1차 회식으로 대구 중심가의 '일식' 소고기 집(야키니꾸)으로 저를 인도했습니다. 물론 고기는 손도 안 대고 밥과 술만 마셨는데, 그 때 친구가 마치 제가 좋아할 것 처럼 주문한 '일본술'(니혼슈)이 "쥰마이"였던 것으로 기억합니다. 저는 그런 비싼 술을 마셔본 적이 없는데 말이지요. 그런데 1차 회식 때 미처 자리를 같이 하지 못한 친구가 하나 있었는데요, 그 친구가 우리와 합류하러 일터에서 출발한다는 연락이 왔을 때였습니다. 같이 밥을 먹던 친구들은 황급히 자리를 옮겨야 된다면서 그 비싼 소고기를 다 남기고 합류할 친구와 가게될 식당으로 향했지요. 그게 그 때의 모임을 특별히 기억에 남도록 만든 시작이었던 같습니다. 일상의 모임처럼 그저 좋은 음식을 함께먹으며 그간 못나눈 얘기를 나누는 그런 자리가 아니라 마치 어떤 목적을 가지고 일사분란하게 움직이는 사람들 같았지요. 사실 그 친구들이 자신의 돈으로 저를 위해 사줄법한 메뉴들도 아니었고요. 옮겨간 2차 회식장소는 요정 느낌의 '일식집'이었습니다. 주 메뉴가 생선회(사시미)이고 이른바 쯔키다시가 즐비한 일식 정찬집이었지요. 채식하던 저로선 두 번째 고역이었지요. 그날 제일 맛있게 먹었던 것이 갓 튀겨져 나온 야채튀김(덴뿌라)이었던 것 같습니다. 채식을 시작하면, 특히 한국이나 일본같이 채식 저변이 약한 곳에서 해 보신 분들은 아시겠지만 별에 별일을 다 겪습니다. 그 중엔 '니가 안 먹고 베기나 보자' 식의 유혹도 포함되는데 그 날도 비슷한 분위기였더랬지요. 질 좋은 소고기나 일식집에서 먹는 생선회는 비채식인도 평소에 먹기 힘든 고기니까요. 또 식사자리에서 채식의 당위를 부정하기 위한 논리를 듣는 건 흔한일입니다. 보통 윤리도덕적인 면과 과학적인 면으로 나뉘는데, 그 날은 후자쪽의 이야기가 있었고요. 말씀드린데로, 흔하디 흔한 일이라 특별한 일은 아닌데 그날의 대화는 기억에 남는군요. 다들 아시다시피 생물의 연조직은 대게 C(탄소), H(수소), O(산소), N(질소)로 구성되어 있지요. 이걸 근거로 한 친구가 야채(식물)에는 "N이 없다"고 하더군요. 격렬한 논쟁이 있었다거나 진실로 자신의 논리를 주입시키기 위해 안간힘을 쓰는 그런 대화는 전혀 아니었고 그저 담담한 몇마디만 오갔던 차분한 분위기였는데, 그 때 그 친구의 말과 묘한 표정이 있혀지지가 않는군요. "질소"가 마치 금기어였던 것 처럼 말이지요:-) 앞선 포스팅에서 어떤 고마운 분이 한 개의 한자로 제 출생의 본질을 알려주셨다고 했는데요, 거기서 촉발돼 알아본 또 다른 트랙에서의 사진분석작업으로 앞서 언급한 마지막 퍼즐 조각을 찾을 수 있었더랬지요. 친구가 직접 간장을 사 본적이 없었음에 감사해야 할 일일까요? :-) 저 같은 채식인들은 성분표 보는 일이 습관이라 잘 아는 것인데, 간장의 포장지엔 질소 함유량이 표시되어 있고, 심지어 그 함량에 따라 간장 등급이 결정되는 것이어서 친구가 간장을 한 번이라도 직접 사봤다면 그 얘기를 들을 수 없었을테니 말입니다.

¶7 지금 알고 있는 것을 전혀 모르던 옛날부터 인상적인 회상이 들곤 했습니다. 그 속의 저는 겁과 수줍음이 많은 아이였고요. 어떤 장소에 따라 갔었는데 거기 왜 간 건지 모르고 어쩔줄 몰라 하고 있습니다. 그런 저를 노란계통의 색깔로 된 민소매 원피스를 입은 여인께서 조그만 방으로 데리고 갑니다. 사진을 찍으러 왔다고 했습니다. 여인은 저를 달랩니다. 무언가를 쥐어 준 것 같습니다. 언젠가 지내던 곳에 뜬금 없이 놓여 있던 영문 모를 판다곰 인형처럼 생겼습니다. 뒤이어 사람들이 들어왔고, 여인에 의지한 채 겨우 사진을 찍었습니다. 회상은 여기까집니다. 한 번씩 신비로운 꿈을 꿉니다. 그 '신비함'이란 자기 전에 전혀 생각해 본 적도, 떠올려볼 방아쇠가 되어줄 연관된 일도 없었던, 그야 말로 난데 없이 등장하는 사람이나 사건이 있기 때문입니다. 이 회상도 그와 같은 종류의 것입니다. 이른바 기시감인가도 생각해 봤지만 설사 그렇다 한들 어쨌든 원인이 있다는 건 마찬가지입니다. 중요한 건 이 회상이 여러 번 들었다는 것이겠지요. 그리고 출생에 관한 탐색을 시작한 후엔 그 회상이 어둠의 터널을 빠져나올 문의 열쇠가 되어 줄 수 있다는 막연한 생각을 해보기도 했습니다. 저의 출생에 관해 가장 잘 알법한 사람이 유전자 검사를 해 보라고 강권한 적이 있었지요. 따라서 이건 역설적으로 조작된 유전자검사가 준비되어 있다는 뜻일겁니다. 분석과정에서 읽은 책 중의 하나에선 동경 아다치구 같은 곳엔 공작을 전담하는 병원도 있었다더군요. 몇 십년 전에도 그랬는데 현대에는 더 정교하게 이루어질 것 같습니다. 작년엔 본의 아니게 신형코로나바이러스에 관한 글을 많이 읽기도, 쓰기도 하곤 했었는데 그 때 그러한 느낌을 많이 받았고, 일부는 여기서 다 밝힐 수 없는 사실도 있었지요. 작년 1월에 페이스북에 어떤 글을 쓰고 난 직후 제가 지내던 대구에서 어떤 종교단체의 집단감염을 시작으로 한국에서의 폭발적인 감염사태가 시작되었습니다. 그저 우연이겠지요? 하긴 요즘은 시간적으로 인접한 일에 대해선 그 명백함에도 불구하고 인과관계로 보지 않는 것이 유행인 것처럼 보입니다. 어차피 면책계약이 되어 있으니 긁어 부스럼 만들어 뭐하겠냐는 것이겠지요. 마치 시간적 선재성(temporal precedence)그 자체가 자신의 능력보다 훨씬 더 자신이 가진 부의 축적에 기여한 것이 많음에도 이를 애써 사람들이 모른척 하는 것과 비슷합니다. 오늘 또 취약계층을 위한 영화관 할인데이가 돌아왔군요. 내용은 잘 모르겠고, 제목만 봤을 때 눈에 띄는 영화가 한 편 있네요. "내가 죽기를 바라는 자들". 뭐, 이걸 볼지는 모르겠습니다. 명탐정 코난 쪽이 좀 더 땡기는 것 같기도 하고요. 그럼 이만.

 

마지막업데이트:2021.5.13.12:53@수영구청

한일초벌번역툴: http://papago.naver.com

 


悪の起源

2021-04-18 11:10:44 | Unknown Knowns

 

¶1 博士課程の時、ある教授からいきなりの提案を受けたことがありました。 ジョージアという国に行って、ブドウ農場で働く気はないかと。 航空宇宙法の専攻で一生懸命学位課程をしていて、そんな私をよくご存知の方の提案なのであっけにとられていました。 また誰かは、私を前後の脈絡もなく、米国に送ろうとしたこともありました。 自分の力でわかったことを、あの時も知っていたら、今ジョージアでも米国でもいたのではないかと思います。 すべてのことがそうだったようです。 提案者と提案を受ける者のどちらもが十分に状況を客観的に認識してお互い了解があってこそ合理的で後悔のない選択が可能だったはずなのに、全くそうではなかったのです。 この前のポスティングで書いたように、それぞれ自分たちの利益のために私をあるフレームの中に入れて、ここから由来する第三者間の行き違った認識の中で事が進められ、その中で何も知らない私の選択を受けたのです。 問題はそこで第三者間にも私に対する行き違いの認識が生まれたのではないかということです。 ただ老婆心から書いてみます。 いつも言っているように、私の事を正確に言ってくれる人も、時間もあまりないんからのです。 ああ, ひとつつけたいことがありますね。 大阪旅行をよく取り上げるようになりますね。 オーストラリアパースで全部で三ヶ月間の大阪旅行期間中最初と最後の月に泊まる宿所をエアビエンビで予約しておいて去りました。 格安航空券なので、マレーシアを経てから日本に到着しましたよ。 最初の宿所は片岡という名字を使う方が主人でした。 私が到着する直前、東南アジア出身のカップルが同じ宿舎に来ていました。 ご主人様が後に言ったんです。このカップルが私について「一生食べていける財産を持っている」と。 私の状況がその人々が描写したのとは反対だという事実よりもっと驚くことに、彼らが一面識もなかった人だったということでしょう。 経験から見て、ほとんどすべての嘘はお金に繋がりますね。 誰かの利益のために私を金持ちであるかのように装ったなら、想像できるシナリオはいくつかありますが、あえて書くつもりはありません。 ただ、私にこんなとんでもないことがあって、私と他の私がどこかで、誰かに認識されているだろうという強力な可能性を言っておくのです。

¶2 博士課程では実母を探すことに関して残しておきたいエピソードがあります。 学校の教員の一人は、彼が1年間滞在することになったドイツに私に遊びに来るよう提案したことがありました。 その頃は単なる旅行だと思っていたのですが、今ではそれ以上のものがあったようでそうです。 ちょうどその時期に、北朝鮮のある方が治療のためにベルリンに行かれたという記事を読んだことがあります。 あいにく、遊びに来いと提案された場所と時期が重なったこと、そしてその方の「首椎間板ヘルニア」治療のための訪問だったことに注目したわけですが、私とどのような関連があるのかはわかりませんね。 私の修士課程は博士課程と同じく航空に関することだったのですが、その時、同期生の中でなぜこのコースを選んだのか疑問に思った人が多かったです。 代表的な例としてドイツでピアノ専攻として韓国の博士課程に当たる学位課程まで終えて帰ってきた同期生を挙げたいですね。 私と一番親しい同期のうちの一人でした。 また大阪の話をしますね。 そこで三番目に泊まった家はアメリカ人が主人でしたが、その主人夫婦とはひと月にわたり、毎朝、食事のたびに多くの話を交わし、本当にいい記憶として残っている場所です。 その時、男主人は購読していた英字新聞で北朝鮮関連の話さえ出たらそれを朝食の対話のテーマにあげました。 特に、彼が北朝鮮のある高官が粛清された過去の話を私に真剣に問いたことが記憶に残ります。 振り返ってみると、私も知らなかった私について、彼は何かを知っていたようです、ただ私の推測です。 関係しているかどうかわかりませんが、ただ思いつくことを自由に残したいですね。 私は高等学校の時も、所謂「私教育」というものを受けた事が無かったのです。 中学校の時も同じでした。 小学校の時はパソコンにばかり没頭していたいわゆるオタクでした。 それで、子供の頃にだけ私を見て今の私を見るようになった人がいたら、今まで書いてきた文章から染み出てくるイメージから、若干の乖離感が感じられるのではないかと思います。 幼い時に通った唯一の「塾」であり、最も長く通った所がコンピュータ塾だったが、それで人々は私についてコンピュータの方だけで記憶しているかもしれません。 実際に、小学校の頃から見て来た友だちでさえ、いまは、できることが何もないにもかかわらず、いまでも、私がコンピュータを深く扱えると考えていることを知った事もありましたから。 偶然なのか意図的なのかわかりませんが、この誤解の末はどこかと思いますが残したい言葉はそうではなく、私が最初に「通わされた」塾はピアノ塾だったということです。 これは誰も分からないでしょう。 書類上だけで双子なのかは分かりませんが、一人だけの弟も一緒に行かせなかった塾でした。 なぜ「ピアノ」だったのか、たまに考えてみることもありましたが、今回の段落では特にそうですね。 また博士課程に戻ります。 その時の入学同期の中には、何を学ぶことには年齢が関係ありませんが、通常学位課程を受講するにはとても年上の方がいらっしゃいました。 その方は、学校の所在する広域行政単位の議員になりたがっていたと思います。 その時は知りませんでしたが、後に実母を探す過程で実母と密接な関係にあると推定される人がいましたが、確かに韓国にいらっしゃるように見えましたがその方の苗字が日本式の「松浦」でした。 この方と友達になっている方のうちのお一人が、その博士課程の同期生とも友達だったのを見てどんなに驚いたか分かりません。 学校を出てから四年後のことでした。 その時私の周囲に起こる偶然のように見えるすべての事が実はつながっていると分かったのです。 また、驚くべきことに、博士同期の方とFacebookの友人であるもう一人が2019年初めに僕の所に来て、こっそり私を見て行ったということです。 多分その方は私が自分を認識したのか分からないでしょう。 このような話がたくさんありますが、これまで公に詳しく書いたことはありません。 実母が誰だかはっきりしない状況で、実母に影響を与えかねないと考えたからです。 しかしもう一部でも話をしなければならない時が来たようですね。

¶3 博士課程を終えていた2013年半ばから学位審査を受けた2014年末、そして翌年末まで、かなり汚いことがありました。 同じ所属する組織や家族という垣根の中で、同じ内容の状況でも良かったこととその逆のこと、ありがたい人とその逆の人が混在するものだから過去のことを一律に裁断してしまうことは公平ではないでしょう。 だからその時期をただ人と社会についてたくさん知ることになったきっかけだと表現ておきます。 すべてを忘れて、最後だと思って大阪へ旅立った直後になって、ようやく私の出生について本格的に調べてみたのですが、(ある力に引かれるようにその思いに駆られて本当に「無」の状態から戻ってきました)、その本当の動機づけとなったのは上に述べた時期に経験したことでした。 一度ずつ今知ったことを、その時も知っていたら主な変曲点になったイベントで他の選択をしていたかもしれません。 2013年前に知っていたら、どこかへ隠れて過ごすようにと送ってきたところに(その意図が正しければ)行っていたような気もしますし、修士課程で知っていたらバンコクでインターンをしていた時に、そこに居座る方法も考えていたような気もしますし(実際に主管機関を通じた提案がありました)、その前に知っていたら、航空に関する勉強は始めさえしなかったのですが。 英国でオーストラリアのある通訳·翻訳大学院の入学許可を受けておいて、しばらく帰国して学費を補充した後、オーストラリアに渡るという計画でしたが、その最中に国内通訳·翻訳大学院の入学選考を確認してみて、サイトに出たポップアップ·ウィンドウをクリックしてみたのが、その道に入ったきっかけになりました。 国内の大学院への進学を考えてみたのは、その前に大邱(テグ)市内の某書店で偶然出会った元ガールフレンドとの関係から始まったので、その偶然(本当の偶然ならば)こそ人々が言う運命だったのではないかと思います。 もちろん、その友人には何の落ち度もなく、全面的に運命的なことだったと話しておくわけです。 結果的にだけ見ると、中間過程を考えたくもありませんが、博士号と真実を交換したわけです。 出生背景と生みの親が誰なのかも分からないまま安定した職業に就き、結婚もしてそのように暮らしていたとしたら、今の基準ではそれがもっと大きな不幸なのでしょう。 また、出生の秘密とともに耽溺していた社会と自然に対する真実の探求も、私にとって大きな意味を持っていますだから最終的にはありがたいことでもあります。 前のポスティングで言及した「宗教」が私に持つ意味のように、「知る」の意味も同じです。 富と地位がどのように付与されるのかを正確に知ることは、すなわちそれがなくても自分を不幸だと思わなくなることを意味するからです。

¶4 私は菜食をしているのですが、 ―回ずつ外でカップ麺のようなものも買って食べます。 お金に比べてカロリーが高いからです(貧乏だという意味です)。 私が有名な人だったら、その姿が記事にされて偽善者と言われたでしょうね? カップラーメンには肉が入っていますから。 勉強してみたら、肉の味を出す合成化学物質がたくさん入っていて(営業秘密に当たる)、カップ麺の包装紙に書かれている肉成分は食品衛生法上のアレルギー誘発物質については極微量でも表記しなければならないため、肉は非常に少ないのに、人々がそんなことまで分かってくれるはずがないです。 なにより、私の菜食の頃のように菜食主義オリンピックをしているわけではありませんからね。 まず、この程度で弁明をしておいて、大層に私達がなぜこのような姿をしているのかについての考えを簡単に記しておきましょう。 神の摂理に従わなくてそうだと思います。 肉は味がよく、味がいいのが自然だと思う人もいますね。 しかし、野生で直接動物を殺した後、骨抜きにして食べなさいと言われると、食べる人はあまりいないでしょう。 それは確かに自然なことではなくて、 最初からそうでした。 反面、果物は生のまま美味しそうで、その感じもまたどこかで習ったからではないですね。 はじめから与えられたものです。 また果物は種があるので動物が食べて広めたほうが繁殖に有利です。 それに種は動物の消化液に耐えるようになっていて、便を出すとその場で良質な養分とともに育つんですよ。 みんな知っている話です。 重要なのは、「与えられた通り」さえ生きていれば、人々が流離ってしたはずです。 妙にも、おいしくて栄養価の高い果物はすべて温かいところで育ちます。 人が特に寒さを避けて暮らす家が必要なさそうなところでです。 今のように自然破壊が少なかったら日中もそれほど暑くなかったかもしれません。 果物をとって食べた道を循環すれば、戻ってきたとき、また新しい果物が開いているでしょう。 生きていくためにあまり苦労する必要もないという意味です。 それなら神様の意思は人間に流浪せよということではないでしょうか。 何の話をしようとしているのかお分かりになるでしょう。

¶5 所有、階級、不平等が順次生まれてきました。 共産主義者なのかですか? 理解します。私の出生について一部を知っていたり、自分の利益のためにフレームをかぶせるのが好きな人が問いているのであれば。 しかし、共産主義国家にもみな留まっています。 留まることになれば、所有が生まれることは必然ですが、(私的な)所有がないからといって(本当になくもないですが)歩き回れということはないのです。 理念ではなく、神の意志によって生きないことが問題なのですね。 食べて生きる以外にも人間は神の摂理を拒否しているものがもうひとつあります。 すぐ繁殖です。 人は誰でもきれいでハンサムな人に性欲を感じるようになっています。 はい、人は外見差別主義者です。 美的基準は主観的だと言う人がいますが、普遍的に綺麗でハンサムなものは確かに存在し、人々はそれを区別します。 しかし、差別する人を責めることはできません。 造物主が人をそう作ったからです。 人々はただ差別的な表現をしないだけです。 ひいては人権、多様性、平等のようなもので包装さえしています。 明らかに彼らの心の中では好き嫌いが分かれているのにです。 もし神様の意圖によってのみ性関係が成立していたら、世の中にはきれいでハンサムな人だけが生まれたはずです。 しかし、人々はその考えに従いません。 なぜでしょうか? 性関係と出産が手段になるからです。 何のための手段ですか。 生存です。生来的な不平等により生存が脅かされ、その脅威は所有者に奉仕してこそ解消されるのです。 そのため、人々はもう本能による自然な性関係だけをしません。 性は手段となり、世の中の人々には物質だけでなく、また違った面で優劣が生まれるのです。 この違いは滑らかにのみ克服されないので、その副作用の総和が悪の総和となります。

¶6 歩き回る人間の事は、以前に思わなかった事ではないのですが、過度に理想的で、他の人には、荒唐無稽なアイディアだと思いました。 特に上に挙げた出産みたいな話は、公にするのはとても難しい物ですよね。 プロフに私の写真があるから論点と関係のない人身攻撃をたくさん受けただろうし、「優生学」的偏見に対する反感や人の脳裏に深く刻まれた一般的な「平等」の観点では直観的に強い拒否感がある話ですからです。 しかし、不平等の起源に関しては必ず考えてみなければならない問題であり、その問題提起は「ハンサムな」人でなければならないものではないのですね。 荒唐無稽な側面より、行き過ぎた理想主義だと思った側面が大きいのですが、それは出歩く人間の生き方が今よりずっと単調ではないかという考えからでした。 華麗な建物、先端機器、繊細な文化芸術が可能ではなかったような気もしました。 しかし、よく考えてみると、これらは留まって暮らすためにできたものです。 言い換えれば、歩き回って暮らしたなら必要なかったものでもあります。 住宅、商業施設、通信機器、移動手段は言うまでもなく、文化芸術もそうです。 例えば、風刺と諧謔に満ちた文学作品を見て感動を感じますが、風刺と諧謔の対象が存在しない限り、面白さどころか存在すらできない文でしょう。 我々は、美しい自然の中にいる時、あえて美術作品を持ち帰ったり、モーツァルトの音楽を聴いたりしません。 すべて留まってみると、人々と激しくぶつかりながらできたものに近いものです。 精巧な言葉も、派手な衣服も、もっと速く走る車も、日に日に発展するスマホも…。 彼らの「必要」は、留まることによって生じたものであり、その「進化」は、人々の優劣争いにつながる側面がより大きいといえます。

¶7 歩き回るとお互いに頼るようになります。 所有がないから階級がない、階級がないから不平等がない、不平等がないから戦う理由がないからです。 若い人は力が強く、お年寄りは歩き回った経験が積もって、お互いに助けになるからでもあります。 どこで、誰の子供に生まれるかは、何の関係もありません。 留まって暮らすと、このすべてが反対になります。 それこそ、万人の万人に対する闘争であり、所有する時にのみ尊重してもらえるのです。 このような所有、階級、不平等の害悪はよく知られており、あえて描写する必要はありませんが、要はこんなふうに生きられなかったという残念さにあるのですね。

¶8 今日図書館まで歩いてくるときに街の下水溝の匂いで吐き気をたくさん感じました。 天気が暖かくなりながら、もっとひどくなるようです。 ここには超高層マンションが多いです。 狭い所に留まって住んでいるからそうでしょう。 人々は これを「発展」と呼びます。 しかし、マンションの階数ほど深く掘った土地も発展と呼べるか分かりませんね。 基礎工事のためですって? まあ、正しい話です。 半分だけですね。うんちをする人が上にたくさん溜まるほど、 うんちが下がる道も深くならないといけないのです。 そのウンチたちは全部どこに行きましょうか。 私は近頃ニュースに出てくる原発水よりも下水道の糞水のほうが怖いです。 このように多くの人々を食べさせる動物たちも、どこかで飼育されているでしょう。 とてつもない糞たちと一緒にですよ。 人々はこの家一軒買おうとすれば途方もなく多いくそを漏らさなければなりません。 韓国ではとても苦労していることを比喩的に「うんちが通る道が燃える」とも言います。 住宅価格で維持される経済構造の中で暮らしながらも、住宅価格が下がることを望み、また、自分の住宅価格が上がることを望み、彼らは今日もうんちをします。 肥桶に住んでいて病気になったら、万病に効く薬が出ることを望まない人に身を委ねるでしょう。 一度も自分の目で直接見たことのない世界についての理論家たちに未来の革命を期待します。 同意したことのない制度で選出された同意したことのない人に自分のうんちの色を任せるでしょう。 牛·豚·鶏を殺し、自分の足に蹴られた足かせが固定されたアパートで寝た後、他の人の生存を少し危うくして、また牛·豚·鶏を殺した後、うんちをします。 これを無限リピートします。 すべて人間がそこで留まりながら生まれた人の美しい日課、あなたの人生の回し車です。 白眉はここに人間同士で交わす甘い言葉をオーバーラップさせてみるものでしょう。

 

 

 

*エピローグ: あるありがたい方が、私の出生の秘密に関する本質を たった一つの漢字で教えてくれたことがあります。 もちろんその具体的な方法はその方が特定されるかもしれないのでここに書きません。 私を私ではなく他の人(または変であったり無能であったり怠惰な人に)に見えるようにすることを含め、少なからぬ人や資源が動員されるべき仕事がどのように可能だったのかを説明するのです。 感謝いたします。 以前にもそれを間接的に暗示されたことがあったのですが、曖昧だったことが理解できた瞬間でした。

*このブログの日本語文章は、ネイバーのオンライン翻訳サービスを利用して下地翻訳後に著しく歪曲された部分だけ修正したもので、ネイティブの基準で不自然な表現がある可能性があります。

 

¶1 박사과정 때 한 교수님으로부터 뜬금 없는 제안을 받은 적이 있었어요. 조지아란 나라에 가서 포도농장에서 일해 볼 생각이 없느냐고. 한창 항공우주법 전공으로 열심히 학위과정을 하고 있고, 그런 저를 잘 아시는 분의 제안이어서 어안이 벙벙했었더랬지요. 또 누군가는 막무가내로  저를 앞뒤 맥락 없이 미국에 보내려 한 적도 있었고요. 지금 혼자 힘으로 알게 된 것을 그 때도 알았더라면 지금 조지아든 미국이든 가 있지 않았을까도 생각해 봅니다. 모든 일이 그랬던 것 같아요. 제안자와 제안을 받는 자 모두가 충분히 상황을 객관적으로 인식하고 서로의 양해가 있었어야 합리적이고 후회 없는 선택이 가능했을텐데, 전혀 그렇지 못했던 것이었지요. 지난 번 포스팅에서 썼듯, 각자 자신들의 이익을 위해 나를 어떤 프레임속에 집어 넣고 여기서 유래된 제 3자 간의 엇갈린 인식 속에서 일이 진행되었고, 그 와중에 아무 것도 모르던 나의 선택을 받았던 것이지요. 문제는 거기서 제 3자간에도 저에 대한 엇갈린 인식이 생겨난 건 아닌가 싶은겁니다. 그냥 노파심에서 적어봅니다. 늘 언급하듯, 나에 대해 정확히 말해 줄 사람도, 시간도 별로 없거든요. 아, 한 가지 덧 붙이고 싶은 것이 있네요. 오사카 여행을 자주 거론하게 되는군요. 호주 퍼스에서 총 석 달간의 오사카 여행기간 중 첫 번째와 마지막 달에 지낼 숙소를 에어비엔비로 예약해 놓고 떠났습니다. 저렴한 항공권이어서 말레이시아를 거친 후 일본에 도착했더랬지요. 첫 숙소는 카타오카란 성을 쓰는 분이 주인이었어요. 제가 도착하기 직전 동남아 출신의 커플이 같은 숙소에 먼저 와있었습니다. 주인 분이 나중에 그러더군요, 이 커플이 저더러 "평생 먹고 살 재산을 가지고 있다"고요. 제 상황이 그 사람들이 묘사한 것과 반대란 사실보다 더 놀라운 것은 그들이 일면식도 없던 사람이었다는 것이겠지요. 경험으로 볼 때, 거의 모든 거짓은 돈과 연결되더군요. 누군가의 이익을 위해 저를 부자로 꾸몄다면 상상해 볼 수 있는 시나리오는 몇 가지 되지만 굳이 적진 않겠습니다. 그저 제게 이런 황당한 일이 있었고, 저와 다른 제가 어디선가, 누군가에 인식되어 있겠구나 하는 강력한 가능성을 말해 두는 것이지요.

¶2 박사과정에선 친모를 찾는 것과 관련해 남겨두고 싶은 일화가 있습니다. 학교 교원 중 한 분은 자신이 1년 간 머물게 된 독일에 저더러 놀러오라고 제안한 적이 있었지요. 그 때는 단순 여행 차원이라고 생각했지만 지금은 그 이상의 무언가가 있었을 것 같기도 해서말입니다. 마침 그 시기에 북한의 어떤 분이 치료차 베를린에 다녀가셨다는 기사를 본 적이 있습니다. 공교롭게도 놀라오라고 제안 받은 장소와 시기가 겹친 것, 그리고 그 분의 "목디스크" 치료를 위한 방문이었다는 점에 주목한 것인데 저와 어떤 관련이 있는 지는 모르겠군요. 제 석사과정은 박사과정과 마찬가지로 항공에 관한 것이었는데, 그 때 동기들 중에 왜 이 과정을 선택했을까 궁금했던 사람들이 많았더랬습니다. 대표적인 예로 독일에서 피아노 전공으로 한국의 박사과정에 해당하는 학위과정까지 마치고 돌아왔던 동기를 들고 싶군요. 저와 가장 친한 동기 중 한 명이었더랬죠. 다시 또 오사카 이야기를 해야겠습니다. 거기서 세 번째 머물렀던 집은 미국인이 주인이었는데, 그 주인 내외와는 한달 동안 매일아침식사 때 마다 많은 얘기를 나눠 참 좋은 기억으로 남아있는 곳입니다. 그 때 남자주인 분은 구독하던 영자신문에서 북한 관련 얘기만 나오면 그걸 아침식사의 대화주제로 올리곤 했었더랬어요. 특히 북한의 어떤 고위인사가 숙청되었던 과거 얘기를 제게 진지하게 물어봤던 것이 기억에 남는군요. 돌이켜보면, 저도 몰랐던 저에 대해 그는 뭔가를 알고 있었던 것 같습니다만 그저 제 추측입니다. 관련이 있을지 모르겠습니다만, 그냥 생각나는 건 자유롭게 남겨 놓고 싶군요. 저는 고등학교 때도 이른바 '사교육'이란 것을 받아 본 적이 없습니다. 중학교 때도 마찬가지였고요. 초등학교 때는 컴퓨터에만 푹 빠져 사는 이른바 오타쿠였더랬지요. 그래서 어린시절에만 저를 보고 지금의 저를 보게 된 사람이 있다면 그간 써왔던 글에서 묻어 나오는 이미지를 통해 아마도 약간의 괴리감을 느끼지 않을까 생각합니다. 어릴 때 다녔던 유일한 '학원'이자, 가장 오래 다니기도 했던 곳이 컴퓨터 학원이었는데요, 그래서 사람들은 저에 대해 컴퓨터 쪽으로만 기억을 하고 있을지도 모르겠습니다. 실제로 초등학교 때부터 봐 온 친구들 마저도 지금은 할 줄 아는게 아무 것도 없음에도 불구하고, 여전히 제가 컴퓨터를 깊이 다룰 거라고 생각하고 있음을 알게 된 적도 있었으니까요. 우연한 것인지 의도된 것인지 모르겠지만 이 오해의 끝은 어딘가 싶습니다만 남기고 싶은 말은 그게 아니고요, 제가 최초로 '보내 진' 학원은 피아노 학원이었다는 것이지요. 이건 아무도 모를 겁니다. 서류상으로만 쌍둥이인건지는 모르겠지만 하나 있는 동생도 같이 보내지 않았던 학원이었지요. 왜 하필 '피아노' 였을까 하는 것은 가끔씩 생각해 보는 것이기도 했는데 이번 단락에서 특히 그렇군요. 다시 박사과정으로 돌아가겠습니다. 그 때 입학 동기 중에는, 뭐 배움에는 나이가 무슨 상관이겠습니까만은, 통상적으로 학위과정을 다니기엔 굉장히 나이가 많은 분이 계셨지요. 학교가 소재한 광역행정단위의 의원이 되고자 하셨던 것으로 기억합니다. 그 땐 몰랐지만 나중에 친모를 찾는 과정에서 친모와 아주 밀접한 관계로 추정되는 분이 계셨는데요, 분명 한국에 계신 것 같은데 성이 마쓰라 였습니다. 이 분과 한 다리 거쳐 친구로 이어져 있는 분들 중 한 분이 그 박사과정 동기 분과도 친구였던 걸 보고 얼마나 깜짝 놀랐던지요. 학교를 떠난 뒤 4년 뒤의 일이었습니다. 그 때 제 주위에 일어나는 우연처럼 보이는 모든 일들이 사실은 연결되어 있는 것임을 알았더랬지요. 또 놀라운 것은, 박사동기 그 분과 페이스북 친구인 다른 한 분은 2019년 초에 제가 머물던 동네에 와서 저를 몰래 보고 갔다는 것입니다. 아마 그 분은 제가 자신을 인식했는지 모를겁니다. 이런 얘기들은 참 많은데, 그 동안 공개적으로 자세히 쓴 적은 없는 것 같아요. 친모가 누군지 정확히 확정되지 않은 상황에서 친모에 영향을 줄 수 있다고 생각했기 떄문이었습니다. 허나 이젠 일부라도 얘길 해야 되는 때가 온 것 같네요.

¶3 박사과정을 마무리 하던 2013년 중반부터 학위심사를 받았던 2014년 말, 그리고 이듬해 말까지, 꽤 지저분한 일이 있었습니다. 같은 소속된 조직이나 가족이란 울타리 속에서, 같은 내용의 상황이더라도 좋았던 일과 그 반대의 일, 감사한 사람과 그 반대의 사람이 혼재하는 법이라 과거의 일을 일률적으로 재단해 버리는 것은 공평하지 못할 것입니다. 그래서 그 시기를 그저 사람과 사회에 대해 많이 알게 된 계기라고 표현하겠습니다. 모두 잊어 버리고, 마지막이라 생각하고 떠났던 오사카 여행 직후가 되어서야 저의 출생에 관해 본격적으로 알아 보았지만(어떤 알 수 없는 힘에 이끌리듯 그 생각에 사로잡혀 정말 '무'의 상태에서 돌아왔었습니다), 그 진정한 동기부여가 되었던 것은 위에서 언급한 시기에 겪은 일이었지요. 한 번씩 지금 알게 된 걸 그 때도 알고 있었더라면 주요 변곡점이 되었던 이벤트들에서 다른 선택을 했을까 생각해 보기도 합니다. 2013년 전에 알았더라면 어디 숨어 지내라고 보내는 곳에(그런 의도가 맞다면) 갔을 것 같기도 하고, 석사과정 때 알았더라면 방콕에서 인턴할 때 거기 눌러 앉는 방법을 생각했을 것 같기도 하고(실제로 주관기관을 통한 제안이 있었습니다), 그 전에 알았더라면 아예 항공에 관한 공부를 시작하지도 않았을 텐데 말입니다. 영국에서 호주의 한 통번역대학원 입학허가를 받아 놓고 잠시 귀국해 학비를 보충한 뒤 호주로 건너간다는 계획이었는데, 그 와중에 국내 통번역대학원의 입학전형을 확인해 보다 사이트에 뜬 팝업창을 클릭해 본 것이 그길로 접어들었던 계기가 되었지요. 국내 대학원 진학을 고려해 본 것은, 그 전에 대구시내의 모 서점에서 우연히 마주친 전 여자친구와의 관계에서 비롯된 것이니 그 우연(정말 우연이라면)이야 말로 사람들이 말하는 운명이었지 않나 싶습니다. 물론 그 친구에겐 아무 잘못이 없고, 전적으로 운명적인 일이었음을 얘기해 두는 것입니다. 결과적으로만 보면, 그 중간 과정은 생각도 하기 싫지만, 박사학위와 진실을 맞바꾼 셈입니다. 그래서 궁극적으로는 고마운 일이기도 합니다. 출생배경과 친부모가 누구인지도 모른 채 안정된 직업을 갖고 결혼도 하고 그렇게 살았다면 지금 기준에선 그게 더 큰 불행인 것이겠지요. 또 출생의 비밀과 더불어 탐닉했던 사회와 자연에 대한 진실탐구도 제게 큰 의미가 되었습니다. 이전 포스팅에서 언급했던 '종교'가 제게 갖는 의미처럼, '앎'이란 것도 제게는 마찬가지의 것이거든요. 부와 지위가 어떻게 부여되는지 정확히 알게되는 것은, 곧 그것이 없어도 자신을 불행하다 여기지 않게 되는 것을 의미하기 때문입니다.

¶4 저는 채식을 하고 있는데, 한 번씩 밖에서 컵라면 같은 것도 사먹습니다. 돈에 비해 칼로리가 높기 때문이죠(가난해서란 뜻입니다). 제가 유명한 사람이었다면 그 모습이 기사화돼 위선자 소리를 들었겠지요? 컵라면엔 고기가 들어 있으니까요. 공부를 해 보니 고기맛을 내는 합성화학물질이 많이 들어 있고(거의 영업비밀에 해당하는) 컵라면 포장지에 적힌 고기성분은 식품위생법상 알러지 유발 물질에 대해선 극미량이어도 표기해야 하기 때문에 고기는 매우 적은 것인데도 사람들이 그런 것까지 알아줄리 없지요. 무엇보다 저의 채식 초창기 때처럼 채식주의 올림픽을 하고 있는 건 아니니까요. 먼저 이 정도 변명을 해 두고 거창하게 우리가 왜 이런 모습을 하고 있을까에 대한 생각을 간단히 적어두려고요. 신의 섭리에 따르지 않아서 그런 것 같아요. 고기는 맛이 좋고, 맛이 좋은 것이 자연스럽다 여길 사람도 있겠습니다. 하지만 야생에서 직접 동물을 죽인 후 발골해 먹으라 그러면 먹는 사람이 많이 없겠지요. 그건 분명 자연스러운게 아니고, 처음부터 그랬습니다. 반면 과일은 날 것 그대로 먹음직 스럽고, 그 느낌 또한 어디서 배워서 그런것이 아니지요. 처음부터 주어진 것입니다. 또 과일은 씨가 있으니 동물이 먹어 널리 퍼뜨려 줘야 번식에 유리합니다. 게다가 씨는 동물의 소화액에 견디게 되어 있어 변을 보면 그 자리에서 양질의 양분과 함께 자라나기도 하지요. 뭐 다들 아는 얘깁니다. 중요한 건, '주어진 대로'만 살았다면 사람들이 떠돌아 다녔을 거란 말이지요. 오묘하게도 맛있고 영양가 많은 과일들은 모두 따뜻한 곳에서 자랍니다. 사람들이 딱히 추위를 피해 살아야 할 집이 필요 없을 것 같은 그런 곳에서요. 지금처럼 자연훼손이 적었다면 한 낮에도 그리 덥지 않았을지도 모릅니다. 과일을 따 먹던 길을 순환하면 다시 돌아왔을 때 다시 새로운 과일이 열려 있겠지요. 먹고 살기 위해 별로 힘들일 필요도 없다는 뜻입니다. 그렇다면 신의 뜻은 인간더러 돌아 다니라는 것 아닐까요? 무슨 얘기를 하려는 건지 아실겁니다.  

¶5 소유, 계급, 불평등이 순차적으로 생겨났습니다. 공산주의자냐고요? 이해합니다. 저의 출생에 대해 일부 알고 있거나, 본인의 이익을 위해 프레임 씌우기 좋아하는 사람이 묻는 것이라면요. 하지만 공산주의 국가에서도 다들 머물러 삽니다. 머물러 있게 되면 소유가 생겨나는 것은 필연이지만, (사적)소유가 없다고 해서(정말 없지도 않지만) 돌아다니란 법은 없거든요. 이념이 아니라 신의 뜻에 따라 살지 않는 것이 문제인 것이지요. 먹고 사는 것 외에도 인간은 신의 섭리를 거부하고 있는 것이 하나 더 있습니다. 바로 번식입니다. 사람은 누구나 예쁘고 잘 생긴 사람에게 성욕을 느끼도록 되어 있습니다. 네, 사람은 외모 차별주의자들입니다. 미적 기준은 주관적이라고 하는 사람이 있지만 보편적으로 예쁘고 잘 생긴건 분명 존재하고 사람들은 그것을 분간합니다. 허나 차별하는 사람을 욕할 수 없습니다. 조물주가 그렇게 만들어 놓았기 때문입니다. 사람들은 다만 차별적인 표현을 하지 않을 뿐이지요. 심지어 인권, 다양성, 평등 같은 걸로 포장하기까지 합니다. 엄연히 자신의 마음속엔 호불호가 나뉘어져 있는데 말이지요. 만약 신의 뜻에 따라서만 성관계가 이루어졌다면 세상엔 예쁘고 잘 생긴 사람들만 태어났을 것입니다. 그러나 사람들은 그 섭리에 따르지 않습니다. 왜 그런 것일까요? 성관계와 출산이 '수단'이 되기 때문입니다. 무엇을 위한 수단인가요? 생존입니다. 생래적인 불평등으로 생존이 위협받고, 그 위협은 소유한 자에 봉사해야만 해소되기 때문에 그렇습니다. 그리하여 사람들은 더 이상 본능에 따른 자연스러운 성관계만을 하지 않습니다. 성은 수단이 되고, 세상 사람들에겐 물질 뿐만 아니라 또 다른 면에서의 우열이 생겨납니다. 이 차이는 매끄럽게만 극복되지 않기 때문에 그 부작용의 총합이 곧 악의 총합이 됩니다.

¶6 돌아다니는 인간에 대해선 이전에 생각해 보지 않은 건 아니지만 지나치게 이상적이고 사람들에겐 황당할 수 있다고 생각했었습니다. 특히 위에 언급한 출산 같은 얘긴 공개적으로 하기 매우 어려운 것이지요. 프로필에 제 사진이 있으니 논점과 상관 없는 인신공격을 무지하게 받았을테고, "우생학"적 편견에 대한 반감이나 사람들의 뇌리에 깊이 박혀 있는 일반적인 "평등" 관점에선 직관적으로 강한 거부감이 드는 얘기니까요. 그러나 불평등의 기원에 관해선 반드시 생각해 봐야 할 문제이고, 그 문제제기는 '잘생긴' 사람이어야 할 수 있는 것은 아닌 것이지요. 황당한 측면보다는 지나친 이상주의라 여겼던 측면이 큰데 그건 돌아다니는 인간의 삶이 지금보다 많이 단조롭지 않을까 하는 생각때문이었습니다. 화려한 건물들, 첨단기기들, 섬세한 문화예술들이 가능하지 않았을 것 같기도 하고요. 허나 곰곰이 생각해 보면 이것들은 머물러 살기에 생겨난 것들입니다. 다시 말해 돌아다녔으면 필요 없었을 것들이기도 하지요. 주택, 상업시설, 통신기기, 이동수단은 말할 것도 없고 문화예술도 그러합니다. 예컨데, 풍자와 해학이 가득한 문학작품을 보고 감동을 느끼지만, 아예 풍자와 해학의 대상이 존재하지 않는다면 재미는 커녕 존재조차 할 수 없는 글이겠지요. 우리는 아름다운 자연속에 있을 때 구태여 미술작품을 가져가서 보거나 모짜르트의 음악을 듣지 않습니다. 모두 머물다보니 사람들과 치열하게 부딛히며 생겨난 것들에 가까운 것들입니다. 정교한 언어도, 화려한 의복도, 좀 더 빨리 달리는 자동차도, 날로 발전하는 스마트폰도... 이들의 '필요'는 머물러서 생긴 것이고 그 '진화'는 사람들 간의 우열다툼으로 생겨난 것에 연결되는 측면이 더 큽니다. 

¶7 돌아다니면 서로 의지하게 됩니다. 소유가 없으니 계급이 없고, 계급이 없으니 불평등이 없고, 불평등이 없으니 싸울이유가 없기 때문입니다. 젊은 사람은 힘이 세고 노인은 돌아다녀 본 경험이 쌓여 서로 도움이 되어서이기도 합니다. 어디서, 누구의 자식으로 태어나느냐는 아무런 상관이 없습니다. 머물러 살면 이 모든 것이 반대가 됩니다. 그야 말로 만인의 만인에 대한 투쟁이고, 소유할 때만 존중받을 수 있습니다. 이런 소유, 계급, 불평등의 해악은 잘 알려져 있어 굳이 더 묘사할 필요가 없지만, 요는 이렇게 살지 않아도 되었다는 아쉬움에 있는 것이지요.

¶8 오늘 도서관까지 걸어 오는데 거리의 하수구 냄새로 구역감을 많이 느꼈습니다. 날씨가 따뜻해 지면서 더 심해지는 것 같아요. 여긴 초고층아파트가 많습니다. 좁은 곳에 머물러 살다보니 그렇겠죠. 사람들은 이를 '발전'이라 부릅니다. 허나 아파트 층수 만큼 깊이 판 땅도 발전이라 부를지 모르겠군요. 기초공사 때문이라고요? 뭐 맞는 얘깁니다. 절반만요. 똥 누는 사람이 위로 많이 쌓일 수록 똥 내려가는 길도 깊어져야 되는 것이죠. 그 똥 다 어디로 갈까요. 전 요즘 말이 많은 원전수보다 하수도 똥물이 더 무섭습니다. 이렇게 많은 사람들을 먹일 동물들 또한 어디선가 사육되고 있겠죠. 어마어마한 똥들과 함께 말입니다. 사람들은 이 집 한채 사려면 엄청난 똥을 싸야합니다. 정말 똥줄타는 일이죠. 집값으로 유지되는 경제구조속에 살면서도 집값이 내리길 바라고, 또 자기 집값은 오르길 바라며 오늘도 똥을 쌀겁니다. 똥통속에 살다 병이나면 만병통치약이 나오길 바라지 않는 사람에게 몸을 맡기겠지요. 한 번도 제 눈으로 본적 없는 세계의 이론가들에게 미래의 혁명을 바랄테고요. 동의한 적 없는 제도로 선출된 동의한 적 없는 사람에게 자신의 똥색깔을 맡기겠지요. 소돼지닭을 죽이고, 자신의 발에 채인 족쇄가 고정된 아파트에서 잠을 잔 뒤, 다른사람의 생존을 조금 위태롭게 하고, 다시 소돼지닭을 죽인 다음 똥을 쌉니다. 이를 무한 반복합니다. 모두 인간이 머물러 살면서 생겨난 아름다운 인간의 일과(日課), 당신 인생의 쳇바퀴이지요. 백미(白眉)는 여기에 인간들끼리 주고 받는 달콤한 말들을 오버랩 시켜보는 것일텝니다.

 

*epilogue: 어떤 고마운 분께서 제 출생의 비밀에 관한 본질을 단 한 개의 한자로 알려주신 적이 있습니다. 물론 그 구체적인 방법은 그 분이 특정될 수 있어서 적지 않겠습니다. 저를 저 아닌 다른 사람으로(또는 이상하거나, 무능하거나, 게으른 사람으로) 보이게 하는 일들을 포함해서, 적잖은 사람과 자원이 동원되어야 되는 일들이 어떻게 가능했는지가 설명되는 것이지요. 감사드립니다. 그 전에도 이를 에둘러 암시 받은 적이 있긴 한데 긴가민가 했던 것이 풀리는 순간이었습니다.


Sun and me

2021-04-16 14:20:22 | Unknown Knowns

 

私に関しては周りに事実と異なるように知られているものがあるということは確実です。 確認されたもののうち、最も代表的な例が私の知らない間に国家情報院(日本の内閣調査処に当たります)職員として知られたものでした。 このほかあえて公に言いたい例の一つは、私の出生について私が知っているかどうかと、その程度についてです。 たとえば、ある方は私が私の出生についてよく知っているということを「前提」に言っている時があります。 そういえば、これは情報機関の職員と間違って伝えられたこととつながっている部分かもしれません。 例えば、私はまったく知らなかったのですが、ある方が私にこう言ってくれました、「有名な仕事の主人公と一緒でよかった」と。 具体的に話すことはできませんが、ある大学の図書館でアルバイトをして辞めた時に聞いた言葉です。 私はいつもこんな風にして私の事を知っていったようです。 その方のお言葉のおかげで私は二つの事実を知ったのです。 自分が有名な事件の主人公であった事と、自分も知らない事実をまるで自分が知っているかのように噂になっていた事です。 この例がかなり多いのですが、今回のポスティングの目的だけ説明すればいいので、ここまでにします。 同じ脈絡で、2018年の大阪旅行の時、 似たような話を聞きました。 その時は、かすかに実の母の存在を知っており、エアビアンドビで予約した宿舎に泊まっていた時、会った人は皆、軽く実の母を探す話を切り出したことがありました。 そのうち三番目の宿で同じ宿泊客として出会った人が上の図書館の職員の方と似た状況を演出したことがありました。 まるで私が実母の事を知っているかのように、彼は話の途中で、私の言い出したある話について、私の「実の母が料理の上手な人であることは確かだ」という趣旨の話をした事がありました。 確かに、彼は対話の隠れた前提が漏れていることに気づいて言ったのかもしれませんが。 昨日、あの時思い出し、実母を探すのにかなり助けられたフェイスブックで知り合った実母に関係する人たち(だから内部者でしょう)のアカウントの中で、特に料理に関心がある方のアカウントが思い出しました。 上記の詩は、その考えを基に書いたものです。 ああ、私の周辺で起こっている異常なことは依然として現在進行形です。 どんな形の宿でも、部屋に入った痕跡があったのが基本です。 どこに行っても、誰かが付いていることに気がつくのです。 オンラインは言うまでもない。 このブログも不特定多数より私を監視する人たちがもっとたくさん見たから役に立たないと思うんだけど、それでも自分で話さないと知られ難い話は一応残してみます。

저에 관해선 주변에 사실과 다르게 알려진 것들이 있는 것은 확실합니다. 확인된 것 중 가장 대표적인 예가 제가 저도 모르는 사이 국가정보원(일본의 내각조사처에 해당됩니다) 직원으로 알려진 것이었죠. 이 외 구태여 공개적으로 언급하고 싶은 예 중 하나는 제 출생에 대해 제가 알고 있는 지의 여부와 그 정도에 관한 것입니다. 이를 테면, 어떤 분은 제가 저의 출생에 대해 잘 알고 있다는 것을 '전제'로 얘기할 때가 있습니다. 그러고 보면 이는 정보기관 직원으로 잘못 알려진 것과 연결되는 부분 같기도 합니다. 예컨데, 저는 전혀 모르고 있던 사실이었습니다만, 어떤 분께서 제게 이렇게 말씀하시더군요, "유명한 일의 주인공과 함께 해 좋았다"고 말입니다. 구체적으로 밝힐 수 없습니다만, 한 대학 도서관에서 아르바이트를 했다가 그만 둘 때 들었던 말입니다. 저는 늘 이런 식으로 저에 대해 알아갔던 것 같습니다. 그 분의 말씀 덕분에 저는 두 가지 사실을 안 것이었죠. 제가 유명한 사건의 주인공이었다는 것과, 저도 모르고 있는 사실을 마치 제가 알고 있는 것 처럼 소문이 나 있다는 사실 말입니다. 이런 예가 꽤 많습니다만, 이번 포스팅의 목적만 설명하면 되므로 각설하도록 하지요. 같은 맥락에서 2018년 오사카 여행 때 비슷한 얘기를 들었더랬습니다. 그 땐 어슴푸레 친모의 존재를 알고 있던 터여서 에어비앤비로 예약한 숙소에 머물 때 만나는 사람마다 가볍게 친모를 찾는 얘기를 꺼낸 적이 있었습니다. 그 중 세 번째 숙소에서 같은 투숙객으로 만난 사람이 위 도서관 직원분과 비슷한 상황을 연출한 적이 있었지요. 마치 제가 친모에 대해 알고 있다는 듯, 그는 대화도중 제가 꺼낸 어떤 얘기에 대해 저의 '친모가 요리를 잘 하는 사람인 것 맞다'는 취지의 얘기를 한 적이 있었습니다. 물론, 그가 대화의 숨은전제가 새어나가는 걸 인식한 채 말한 건지는 모르겠습니다만 말입니다. 어제 갑자기 그 때 생각이 났고, 친모를 찾는 데 도움을 많이 받았던 페이스북을 통해 알게 된 친모와 관련된 사람들(그러니까 내부자 들이겠죠)의 계정에 들어가 보다 유난히 요리에 관한 관심이 드러나 있는 분의 계정이 생각났습니다. 위 시는 그 생각을 바탕으로 쓴 것입니다. 아, 제 주변에서 일어나는 이상한 일들은 여전히 현재 진행형입니다. 어떤 형태의 숙소든 방 안에 들어와 본 흔적이 있었던 것은 기본이고요. 어딜 가든 누군가 붙어 있음을 알게 됩니다. 온라인은 말할 것도 없지요. 이 블로그도 불특정 다수보단 저를 감시하는 사람들이 더 많이 봐서 별 소용은 없을 듯 한데, 그래도 스스로 얘기하지 않으면 알려질 길 없는 얘기들은 일단 남기고 봅니다.

*このブログの日本語はNAVERのオンライン翻訳サイト"パパゴ"を利用して下書き翻訳した後、基礎的な日本語知識で磨いたものです。


contaminated? treated? tritiated.

2021-04-14 17:19:59 | Unknown Knowns
  • "トリチウム(tritium, 三重水素)は不安定な元素だ。 トリチウムは[電子または陽電子として知られる]ベータ粒子を放出して崩壊しながらヘリウムに変わる。 この崩壊過程で放出される放射線がトリチウムだけでなく、他の全ての放射性元素において安定性に関する懸念を生むものである。 トリチウムの崩壊により放出される放射線はベータ粒子の形でエネルギーは非常に低い。 それでこのベータ粒子は人の肌表面を貫通することができない ... 化学反応において、トリチウムは普通の水素原子に似た反応をする。 なのでトリチウムは通常の水と同じように体内で希釈され[消滅する] ... 体内の水分が頻繁に循環するため、トリチウムが素早く組織から除去されるためだ。" [アメリカ合衆国環境保護庁, 2002: Link]

¶1 このポスティングの主な目的は、トリチウムの危害性の可否についてだけを述べることではありません。 トリチウムはある元素の生産と関連があります。 その元素は、私が下に何度も言及しました。 その元素は宇宙全体から見ると「豊かな」元素ですが、地球から得るには不十分な元素といえます。 そしてその元素の液化が多くのことを可能にします。 それが何であるかももう触れました。

¶2 ああ、一つ付け加えますね。 「第4次産業革命」、名前は本当に耳に心地いいものです。 前回のポスティングでも迂回的に触れたように、量子コンピュータの主導権や源泉技術なしに今のデジタル化に進むことはかつてない、取り返しのつかない隷属化の道だと思います。 勿論、一人の考えです。 釜山市民図書館で残します。 

 

  • "트리튬은 불안정한 원소다. 트리튬은 [전자 또는 양전자로 알려진]베타 입자를 방출하며 붕괴하면서 헬륨으로 변한다. 이 붕괴과정에서 방출되는 방사선이 트리튬 뿐 아니라 다른 모든 방사성 원소에 있어 안정성에 관한 우려를 낳는 것이다. 트리튬의 붕괴로 나오는 방사선은 베타 입자의 형태로 그 에너지는 매우 낮다. 그래서 이 베타 입자들은 사람의 피부표면을 관통하지 못한다. ... 화학반응에 있어서, 트리튬은 일반적인 수소원자와 비슷하게 반응한다. 그래서 트리튬은 통상적인 물과 비슷하게 몸 안에서 희석되어[소멸된다] ... 몸 안의 수분이 자주 순환하기 때문에 트리튬이 빨리 조직에서 제거되기 때문이다." [미국환경보호청, 2002: 링크]

¶1 이 포스팅의 주 목적은 트리튬의 위해성 여부에 관해서만 얘기하고자 하는 것은 아닙니다. 트리튬은 어떤 원소의 생산과 관련이 있습니다. 그 원소는 제가 밑에서 여러번 언급했습니다. 그 원소는 우주 전체로 볼 땐 "풍부한" 원소이지만 지구에서 얻기엔 부족한 원소라 할 수 있습니다. 그리고 그 원소의 액화가 많은 것을 가능하게 합니다. 그것이 무엇인지도 이미 언급했습니다.

¶2 아, 한 가지 덧붙이겠습니다. "4차산업혁명", 이름은 참 듣기 좋지요. 이전의 포스팅에서도 우회적으로 언급했듯이, 양자컴퓨터에 대한 주도권이나 원천기술 없이 지금의 디지털화로 나아가는 것은 유례 없던, 되돌릴 수 없는 예속화의 길이라고 생각합니다. 물론, 혼자 생각입니다. 부산시민도서관에서 남깁니다.