25周年という事で、スペシャルサイトに掲載されていました。
ヤマハ セロー225
これに乗っていたんです。
1991年モデルだったんだ・・・
3号がパジェロエステートワゴンを買ったら、師匠はパジェロショートワゴンを買い。
3号がセローを買ったら、師匠はトランザルプ400Vを買った。
負けず嫌いな師匠なんです。
この師匠とは事情が有りスッカリご無沙汰になりましたが、最後に会った時は、御尊父の遺産で買ったマンションに住み、ハーレーに乗っていました。
セローを見ていたら思い出した事で、尚且つこの師匠達との思い出で、とても痛かった思い出があります。
夏合宿で、西伊豆の貸し別荘(?)へ行った時の話。
3号は、仕事の都合で1日だけの参加でした。
早朝練習が終わってから到着した3号、皆と同じように水着に着替え海岸へ行きました。
既に数メートル先に浮かんでいる人工の島に上がって休んでいる面々。
その面々の所へ行こうと波打ち際で座っていた3号が立ち上がろうとした時に、丁度波がやってきて海パンの腿の部分から波が進入してきたんです。
でも、このくらいじゃ普通気にしないじゃないですか。
なので、そのまま仲間のところへ行こうと歩き出した瞬間、海パンの中で大人しくしている筈の〝1号じゃない息子の顎〟の部分に、身に覚えの無い激痛が走ったんです。
その痛さたるや半端ないもので、歩くたびに激痛が〝1号じゃない息子の顎〟に走ります。あっという間に3号からは笑顔が消え、爽やかな筈の真夏の太陽すら憎憎しげに照りつけ、例の面々は、「あいつ、ホントは泳げないのを隠している」と思ってニヤニヤ見ていて、その誤解を解こうと歩けば激痛が走るし、あからさまに痛がれば、砂浜のその他大勢に対して恥ずかしいしで、どうもこうも大変な思いをしました。
砂浜のトイレに行って痛いところを見ても原因が判らないし、
「このまま、〝1号じゃない息子〟がもげてしまうのか・・・?」
と、不安な時間を家に到着するまで過ごすことになりました。
結局、最後まで面々には海に入れなかった理由を言う事が出来ず、「泳げない疑惑」を残したまま合宿所をあとにしたんですが、途中、日が暮れて気温が下がりガスって不安な気分で走っていた伊豆スカイラインでコケるし、〝1号じゃない息子の顎〟の部分は相変わらず痛いまま家まで走り散々な思いをしたんですが、あの痛さだけは昨日の事のようです。
で、結局、何だったのか? というと。
住んでいたマンションに戻り、即、明るいトイレでパンツを脱いだら見つけました。
〝1号じゃない息子の顎〟には、丁度毛ガニの毛の様な、短くて細くて硬い棘が刺さっていました。それが動く度に下着の繊維に引っかかって、脳天を突き抜けるよな激痛を発していたようです。
どうも、波打ち際で浴びた波が運んできたものが、偶然刺さったみたいなんです。
懐かしいバイクの写真を見つけただけなのに・・・
話どころか痛みまで思い出してしまうなんて・・・
もっと、楽しかった事を思い出せば良いのに・・・
↓ 新しいセロー、格好良いじゃないですか。
・・・・・買いませんよ。
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オフロード系のオートバイとしては当時かなり売れていましたね。
僕はロード派だったので乗った事ありませんでしたが、女性にも人気でかなりの女性ライダーが乗っていたのを覚えています。
現在も進化して売られているんですね。
簿記も久しぶりにオートバイが欲しくなっています。
RZ50、RZ250、SDR200、ZXR250と一度だKAWASAKIに浮気しましたがYAMAHA党でございます。
今は復活したインジェクションのSRかキャブの08モデルのブルーのSRが欲しいでございます。
なにせ中免ライダーなもんで・・・。
あッ高校の時に父に買ってもらったRZ50は今だに動く状態で保管されてます。
初期型規制前の黒ですよ。
ブログのオートバイカテゴリーで紹介してます。
私は、友人から7万円で譲ってもらった〝RX50〟が最初でした。その後、「留守するから」と何故か無免の私が預かった〝初期型RZ250〟R20で捕まり、その反省から、ちゃんと免許を取る事になったんですが、初めて買ったのが、このセローでした。
〝SDR200〟は、今でも、たまに物色しているバイクです。 もし買うなら、〝RZ〟の最後になったモデルかなぁ。現実を直視すれば、新聞屋さんのカブになるし。
〝1号じゃない息子〟のほうは、その後、大分修行を重ね、随分と大人になりました。
家の兄貴は実は板前なんですが、その同僚の話・・・。
やっぱりプロの板前なんで、包丁はいつも手入れしてあり、よく切れるんですよね。
ある日その方がご自宅で友人らを招いて腕を振るったそうです。
海老や蟹や海鮮尽くしだったとか。
いつもの厨房と違い狭い台所だったため、作業しにくかったのか、手元が狂い、左親指が・・・・。
手塚先生のブラックジャックではありませんが、すぐに引っ付けたら大丈夫というじゃないですか。
分離してしまった親指を元の場所にあてがい、とりあえず包帯で押さえて病院へ。
「どうされましたか?」
「お、親指を包丁で・・・」
先生は包帯を外します。
そこには親指でなく車えびの頭が固定されていたとさ・・・。
長い作り話にお付き合い頂きありがとうございました。
刃物って一旦滑ると制御不能なので、そんな状況を考えてました。そういえば、サバイバルナイフが斧代わりになると思っているほど馬鹿な頃、薪を割ろうとして刃が弾かれて滑り、私の足首がスパッと切れ3針の切り傷。病院を探しに麓まで車を走らせると、街中お祭。祭で酒呑んだのか、酔っ払ったお巡りさんに病院の場所を訊くのに事情を話したら、「ばーか、ばーか」とからかわれました。それに対しての苛立ちは、病院の看護婦さんが、凄く綺麗な人だったので相殺されましたけど。