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http://ptsd.red/2019/03/02/%e4%ba%ac%e5%a4%a7%e3%81%af731%e9%83%a8%e9%9a%8a%e8%ab%96%e6%96%87%e8%aa%bf%e6%9f%bb%e3%81%9b%e3%81%9aptsd%e3%81%aet4%e4%ba%ba%e4%bd%93%e5%ae%9f%e9%a8%93%e7%b6%99%e7%b6%9a%e4%b8%ad/#comment-18132
2019年2月20日 21:19 に
ドラゴンさまに応えて…
仰るとおりです。
『「神」は妄想である』©︎ドーキンス
「自己」は妄想である…と対になっていますからね。
『「神」は妄想である』©︎ドーキンス
というなら、「神」は何を指しているのか?…考えねばなりません。
小坂井敏晶『責任という虚構』(2008年、東大出版会)p. 247
「近代の超克を説くのでもなければ、宗教へ誘うのでもない。規範的思考で人間の世界を割り切ろうとする浅はかさを批判…「神々を生み出す装置」(machine à faire des dieux)というベルクソンの美しい表現…むろんそれは社会に他ならない」
https://twitter.com/franoma/status/991202192861229057
(続き)デュルケムは言う。「無私無欲あるいは献身の心が生まれなければ道徳は始まらない。しかし我々が従う主体が我々個人より高い価値を体現しなければ、無私無欲の気持ちは意味をなさない。ところで現実の世界において我々以上に豊かで複雑な道徳的実在性を持つ主体…(後は省略)」その先は…
https://twitter.com/franoma/status/991204049021095936
人類社会と神のどちらに無私無欲=献身の心を抱くか?…それは、どちらでも良い…「何故なら、社会が象徴的に把握され、変貌したものが神に他ならないからだ。
神の死によって成立した近代でも、社会秩序を根拠づける〈外部〉は生み出され続ける。虚構のない世界に人間は生きられない」(引用終)
https://twitter.com/franoma/status/991205307048054785
これとセットになる本がレヴィナス(著)内田樹(訳)『観念に到来する神について』(1997年、国文社) 「本書に収録されたテクストは、 『神』という語を意味のある語として悟性的に了解することの可能性——ないしは悟性的に了解するという事実そのもの——について考察したもの」です。
https://twitter.com/franoma/status/991215739305574401
Отправлено с iPhone
http://ptsd.red/2019/02/19/%e4%bb%8a%e6%97%a5%e3%81%8b%e3%82%89%e9%9b%a8%e6%b0%b4%e6%b0%97%e5%88%86%e3%81%a7ptsd%e4%ba%88%e9%98%b2/#comment-18020
皆さまも、お大事に。
http://ptsd.red/2019/03/02/%e4%ba%ac%e5%a4%a7%e3%81%af731%e9%83%a8%e9%9a%8a%e8%ab%96%e6%96%87%e8%aa%bf%e6%9f%bb%e3%81%9b%e3%81%9aptsd%e3%81%aet4%e4%ba%ba%e4%bd%93%e5%ae%9f%e9%a8%93%e7%b6%99%e7%b6%9a%e4%b8%ad/#comment-18132
2019年2月20日 21:19 に
ドラゴンさまに応えて…
仰るとおりです。
『「神」は妄想である』©︎ドーキンス
「自己」は妄想である…と対になっていますからね。
『「神」は妄想である』©︎ドーキンス
というなら、「神」は何を指しているのか?…考えねばなりません。
小坂井敏晶『責任という虚構』(2008年、東大出版会)p. 247
「近代の超克を説くのでもなければ、宗教へ誘うのでもない。規範的思考で人間の世界を割り切ろうとする浅はかさを批判…「神々を生み出す装置」(machine à faire des dieux)というベルクソンの美しい表現…むろんそれは社会に他ならない」
https://twitter.com/franoma/status/991202192861229057
(続き)デュルケムは言う。「無私無欲あるいは献身の心が生まれなければ道徳は始まらない。しかし我々が従う主体が我々個人より高い価値を体現しなければ、無私無欲の気持ちは意味をなさない。ところで現実の世界において我々以上に豊かで複雑な道徳的実在性を持つ主体…(後は省略)」その先は…
https://twitter.com/franoma/status/991204049021095936
人類社会と神のどちらに無私無欲=献身の心を抱くか?…それは、どちらでも良い…「何故なら、社会が象徴的に把握され、変貌したものが神に他ならないからだ。
神の死によって成立した近代でも、社会秩序を根拠づける〈外部〉は生み出され続ける。虚構のない世界に人間は生きられない」(引用終)
https://twitter.com/franoma/status/991205307048054785
これとセットになる本がレヴィナス(著)内田樹(訳)『観念に到来する神について』(1997年、国文社) 「本書に収録されたテクストは、 『神』という語を意味のある語として悟性的に了解することの可能性——ないしは悟性的に了解するという事実そのもの——について考察したもの」です。
https://twitter.com/franoma/status/991215739305574401
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皆さまも、お大事に。