Hiroshi Fukumitsu
PC企業として一世を風靡したはずのデルはなぜ業績が低下したのか。また同じように業績不振に陥ったインテルはなぜ急速に立ち直ることができたのか。
あのDELLが2006年以降業績不振に苦しんでいる。2007年1月末には創業者のマイケル・デル氏がCEOに戻り経営改革を進めている。しかし2007-2008年の景気の悪化による企業のIT投資抑制、ノートブックパソコンの価格低下によるPC全体の価格の低下もあり、デルの業績は低迷を続けている。
DELLといえば直販モデルDell's Direct Model(デルモデル)と呼ばれる販売方式(直接販売+無在庫経営)を1990年代のアメリカで確立し、2005年には世界PC市場のトップに君臨したはず。そのデルの経営に不振が目立ち始めている。大きな背景はとくにデルが得意としてきたデスクトップ型PC価格の急落による利益率の低下である。しかしそれだけではない。法人から個人へ、デスクトップからノートへの構造変化への不十分な対応、直販モデルの過信による対顧客サービスの軽視(デザインの軽視+個人向けサポートの水準の低さ)などが重なっている。
日本ではデルは2006年後半にカラープリンター直販に乗り出すなど増勢を維持しているようにも見えるが、2006年に入ってデルの増収率は鈍化している。純利益も前年を下回るようになった。
そして国際的にはPC市場での首位を、2006年後半から、デザインを重視したノート型PCの品揃えを強化し、ネットと実店舗を組み合わせた販売戦略をとるHPに明け渡すことになった。 HPはマーク・ハードCEOのもとすでに2005年に人員の1割にあたる1万5000人の人員削減を実施。このリストラ効果の中での2006年の市場拡大で利益率の改善・増収を実現した。他方でデルはシェア維持を狙った値下げで利益率を悪化させた。 デルは2005年から2006年にかけてゲーム機能やAV機能を強化した高級ノート型PC投入で単価アップを狙った。また高性能サーバーの基幹部門のMPUにインテル製を使ってきたことを改めAMD製を初めて採用した。さらにデスクトップ型にもAMD製MPUの採用を決めるなどの対応を行った。しかしまさにこのタイミングで2006年8月、デルのノート型PCに搭載しているソニー製リチウム電池の発火問題が表面化し、デルは410万台という大規模な無償回収・交換の方針を明らかにした。この事件はデルの製品イメージを大きく傷つけた。
加えてその原因をめぐって、両社は製造過程での金属片の混入では一致したものの、デルが電池だけの問題としたのに、ソニー側はデルPCの高速充電など電池の使用環境も問題としたことで両者は対立した。その後、アップル、レノボ、東芝、富士通、日立、シャープ、ゲートウェイ、ソニーにまで回収メーカーは広がった。
ただしこの事件にもかかわらず、ソニー製電池の調達を継続するとした。デルはソニーを重要なパートナーとして信頼しており、次世代DVDの規格問題でもソニーのブルーレイを支持している。
市場の中心は、企業向けデスクトップ型から個人向けのノート型に変化。実際に店頭で商品に触れたい一般個人客にはネットや電話でのデルの直接販売方式に限界があった。事実、個人客は直営店方式のアップル、店頭販売を併用するHPなどに流れている。しかし問題は販売面だけではない。効率追求のあまり顧客サービス(顧客との対話)が犠牲になった、部品メーカーとの対話も不足との指摘もある。顧客サービスの面でデルの評価の低下は、顧客離れの原因とされる。売り放しの対応をやめて、顧客対応の改善などにデルは取り組む必要があるが効率優先のビジネスモデルの中で丁寧な対応は可能だろうか。
PCの顧客満足度調査としては、消費者向けではConsumer Research(CR)誌上の評価が、また法人顧客向けではTBRの数値が参照される。2004年2月23日のCNet Japanはこの2つの数字の低下を指摘している。CRの数値は74(Dec.2001)、65(Sept.2002)、64(June 2002)、62(Mar.2004)と明らかに低下している。デルから顧客に対する技術サポートが低下したという指摘が行われている。なお最後の62というのも低い数値ではない。ただかつては優位性をもっていた顧客満足度が急速に低下したのである(cf.CNet Japan, 04/02/23)。
現在のネット上にもデルの顧客対応へのさまざまな不満があふれている。これらの日付けは古いものではなく、2007年夏のものも少なくない。たとえば購入したPCが故障続きだったのにデル側が返品返金に応じなかったとか、注文したノート型PCの入荷に時間がかかりすぎるといった不満がみられる(詳しくはネットを実際に検索されたい)。顧客との対話の場として設けたdirect2dell.comに顧客の不満が溢れる有様である。
2007年1月末にマイケル・デルがCEOに復帰してから半年。2007年6月ようやくデルは動き始めた。しかしデルの劇的ともいえる独り負け現象が進行しており、世界のPC市場が拡大する中でデルの出荷台数の低下、市場シェアの低下に歯止めがかからない危機的状況にある(cf.CNet Japan, 07/04/19, 07/07/19, 07/08/02)。デルは米国での低価格PCの店頭販売をウオルマートストアーズで始めた。日本でも2007年7月からビッグカメラ店頭での店頭販売を始めた。また全従業員の10%にあたる8800人の人員削減を打ち出した。同社の従業員削減はPC業界が需要減退に直面した2001年に5000人を削減して以来。
デルのビジネスモデルは、法人から個人へ顧客シフトが進むなかで、従来の優位性を失ってしまい輝きを失ってしまった。2007年5月ー7月期、そして8-10月期とデルは増収増益に復した。しかし依然シェアは回復しておらず、HPやアップルなど他社に比べて伸びは見劣りする。
その後もデルは人員削減や拠点統合など合理化による収益力の強化を目指すが、実態はリストラ費用が収益を圧迫する一方、シェア維持のための値下げで利益率が低下する悪循環に陥っている。2008年3月末にはテキサス州の組み立て工場閉鎖を発表したが、今後、組み立て工場を売却して外注に依存するなどの思い切った事業モデルの変更を検討しているとの観測もでている。このほか、拠点の統廃合・人員削減、部品調達や生産体制の合理化を進めている。
デルは個人向け部門重視に転換、2008年11月-09年1月期には店頭販売店舗数を2万4000にまで拡大している。ノート型PCの販売台数(4割)を伸ばしたが、単価下落、デスクトップ型の販売不振(3割減収)の影響を払拭できなかった。売上の約6割をパソコンに依存する構造からの脱却が課題で、今後はソフト部門で買収を進めるとみられる(以上は09年2-4月期の状況)。
デルの不振は個人向けPCに強いHPの好調と対比され、また不振への対応という点では半導体最大手インテルと対比された。ともに常勝の成功体験が市場の変化への機敏の対応を遅らせたとされるが、インテルがいち早いリストラ策で、立ち直ったことに比べ、デルは状況の深刻さの認識があまりに遅かったとされている。
インテルは2005年に入り減収減益傾向がなった。インテルは主力のMPU(超小型演算処理装置)でAMD(アドバンスト・マイクロ・デバイス)にシェアを奪われ、携帯・デジタル家電向け半導体ではテキサス・インスツルメンツに先行を許した(2006年6月末に携帯向け半導体事業の売却を発表)。フラッシュメモリーではサムソン電子や東芝との競合で営業赤字が拡大した(2007年5月フラッシュメモリー事業の分離を発表)。
インテルの不振の背景には主力のMPUでのAMDとの激しい価格競争があった。AMDはインテルの互換品を低価格で売る戦略から低消費電力型MPU、デュアルコア(中枢回路)型MPUで先行し、これに応じてシェアを広げた。エネルギー消費の抑制は顧客から支持された。このAMDとの戦い(2005年4月AMDがサーバー向けにデュアルコアMPU発売 2006年7月インテルの対抗商品アイテニアム2。2006年8月には2007年にクワッドMPUの発売を宣言 2006年11月出荷)でインテルは減収減益に追い込まれた(2006年1-3/4-6月期)。
マルチコアMPUの開発では、IBM、ソニー、東芝の共同開発が先行しており9つのコアをもつセルの試作品を早くも2005年2月に公表している。その後ソニーのプレステ3に搭載されたセルはコアを8つ搭載。プレステはその意味ではすごい商品ではある。
なおインテルも2007年2月コアを80個もつMPUの試作品を完成公表している。指先大でスパコン並みの演算能力。現行MPU並みの消費電力とされた。
しかし価格引下げ競争はAMDにも負担となり、2006年に入り両社とも粗利益率を低下させた(6割から5割へ)。そもそもインテルは2004年には世界のMPU市場で9割という圧倒的シェアを誇っていたAMDの攻勢をうけて苦戦し、2006年には8割程度となった(2003年以来シェア低下)。AMDは2006年7月、カナダの画像処理チップ大手のATIテクノロジーズを54億ドルで買収すると発表。またMPUの供給能力を高めるため米欧で57億ドルを投じて工場を新増設するとした。また2007年後半からはクワッドMPUの発売を始めた。
2006年にデルがAMD製MPUを採用、続いて東芝も2007年5月に低価格機では価格の安いAMD製に切り替えるとした。
この危機に際してインテルは、いち早く高機能MPU発売でAMDを追うとともに徹底したコスト削減策で、2007年1-3月期には増益に戻した。以降も増益基調を続け復調した。背景には2005-2006年の徹底したリストラ効果がある(人員削減、管理職削減、不採算事業売却、販売促進費、原材料費節減、設備投資削減)。他方、AMDは2007年に入り一転業績の悪化が続いた。両社の攻防は、インテルの勝利に終わった。
インテルとAMDの攻防を見ていると、技術開発やコストカット(リストラ)で油断すると、巨大企業でも業績不振となりかねない企業間競争の厳しさが見えてくるがそれと同時にインテルという企業の経営力の高さもみえる。
インテルはもともとマイクロソフトと組みその連合はウインテルと呼ばれたがその後アップルと接近。2005年からはアップルはマックでインテルMPUの採用を決めた(発売開始2006年)。また将来をにらんでグーグルなどネット陣営との連携も深めるなど中長期戦略を柔軟に進めており、その経営(CEOはポール・オッテリーニ)への評価は高い。
インテルは次世代MPUの量産を2007年後半にまず米オレゴン州で開始。その後、世界の4工場でも次世代MPUの量産に入る予定。2008年7月にインテルは次世代MPUの新世代品「セントリーノ2」の発売を発表した。これは2003年に発売されたセントリーノの新世代版で、演算性能の向上、画像処理用回路の内蔵、半導体の微細化による消費電力の低下など優れた特徴をもっており、世界のPCメーカーは競ってセントリーノ2の搭載を始めた。消費者向けPCそしてネットブック小型高性能のノートパソコン ミニノートとも 携帯端末)への市場シフトに対してはネットブックMPU「アトム」を供給して(2008年)、好調を維持した。もう一つの市場の焦点はスマートフォン(高機能携帯電話)をめぐる争い。ここでインテルは「アトム」(2008年3月に発表 小型・低消費電力MPU)とともに自社OSの「モブリン」の普及・育成を進めているが、事業戦略は自社ソフトにこだわらず柔軟である。
そのインテルも2008年第四四半期に売上・利益とも大きく落とした。2009年第一四半期にかけてほぼ全製品の販売が全世界で減少する事態となった。
2009年6月に発表されたインテル(半導体最大手)とノキア(携帯端末最大手)の次世代提携端末開発をめぐる提携は、極めて注目される。ここではOSは無償のリナックスを使い、従来のスマートフォンやネットブックを上回るネットに常時接続できる高機能小型情報端末が想定されている。注目されるのは英アーム社(Arm)との関係。英アーム社のMPU(Cortex)は、ノキアの携帯端末やアップルのiPhoneなどに広く採用されている。ノキアとの提携は、アームの独占的市場にインテルが切り込むことを意味している。
インテルは2009年7月14日に発表した09年4-6月決算で売上高の改善の達成し、消費者向け需要による小型PC用MPUアトムの販売が好調であるとした。欧州連合から独占禁止法違反で命じられた制裁金のため、最終損益は赤字となったものの、市場の変化をいち早く読み取る経営は、成功しているといってよいだろう。
質問 デルとインテルはなぜ業績不振に陥ったされているのか整理して述べなさい。
質問 デルとインテルについてあなた自身の知見を述べなさい。
Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author.
Originally appeared in Sept.10, 2008.
Corrected and reposted in Sept.21, 2009.
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