都留重人と岡崎次郎について思い出したこと。
都留重人が米国で 共産主義者に対する取り調べが厳しかったころ 米国議会に喚問されてその証言がノイマンの自殺につながったとされている事件がある。この件については、第二次大戦開戦時、都留重人とともにハーバードにいた靍見俊輔が、都留重人が米国の下宿に残した手紙を物証として示されたことで、都留が友人関係について言い逃れができなかったことを指摘している。
Shigeto Tsuru 1912-1906 cited from History of Economic thought
1930年代の「黄金時代」にハーバードで訓練を受けた日本の新マルクス主義経済学者。として紹介されている。
このお話しは有名だが 当時 スタンフォード大学にいた宇沢弘文氏が 非米活動委員会公聴会(なぜか委員会の名称が違っている)での 一人の日本人経済学者の証言を記録して問題にしている。宇沢さんも確信をもって書かれているので、宇沢の書かれているように友人関係を示すこと自体が問題だったとついつい考えてしまう。以下を参照。
宇沢弘文『ヴェブレン』岩波書店、2000年、91-93
Hirofumi Uzawa 1928-2014 Cited from History of Economic Thought
いずれにせよ、どの委員会でどのような証言をしたかは、記録を見ればわかるはずだ。1957年4月4日の日本の衆議院文教委員会で、留学のため渡米中の都留重人氏が米国上院司法委員会国内治安小委員会で喚問されたことが、指摘されている。かつての留学時に下宿に残した書簡が問題になったこと、この召喚については、都留が日本の国家公務員でハーバードに留学中であったことから、上院から日本大使館に本来は連絡などが行われてしかるべきだが、上院はその手続きを行わなかったこと。都留の証言の結果、大規模な思想調査問題に発展しそうだとの記事が当時出回ったことなどが、この文教委員会の記事から読み取れる。
別件。資本論翻訳者の岡崎次郎が80歳にして妻を伴って死出の旅に出て行方不明になったお話しは有名だ。
wikipedia 岡崎次郎 これによると岡崎と向坂逸郎が、資本論の翻訳をめぐり対立していたことなどが伺える。
岡崎の死出の旅路の話は、佐藤優『いま生きる「資本論」』新潮社、2014年、139にでていたので昔この話を初めて聞いたときの鮮明な印象がよみがえった。