Entrance for Studies in Finance

日韓関係をどうするか

第二次大戦後、韓国では対日強硬政策がしばしばとらえてきた。これは過去の歴史からみてやむを得ない流れでもあった。対日で強硬政策をとることが政権浮揚に役立つという計算から、必要以上に緊張をあおる政策がときにみられた。

まずは李承晩政権(1948-1960 李承晩は1898-1904の間、独立運動をしたとして投獄後、米国に留学 1910年にプリンストン大学で博士号を得ている)の時代。李の時代は、朝鮮戦争をはさんで不正な選挙、政敵への露骨な弾圧のあと学生の蜂起とそれに1961年の軍部クーデターが続いた。対日政策は当初から強硬なものであった。それを象徴するものとして1948年成立の反民族行為処罰法と1952年の李承晩ラインをあげておく。

この李承晩の時代に始まる争点が領土問題である。韓国はサンフランシスコ講和条約に際して、条約に参加して、対馬・竹島など3島の領有権を主張しようとしたが、連合国によりこの主張は認められなかった。そこで1952年一方的に海上に李承晩ラインなる境界線を設定。その線を超える日本漁船を銃撃・だ捕するに至った。このため死傷者・拘留者が相次いだ。この漁業者の生死にかかわる問題は1965年に日韓漁業協定によってようやく解決したのであった。

その間の1954年には竹島に韓国軍を上陸させて観測施設を建設。竹島の占有を一方的に始めて今日に至っている。これは日本側からみれば不法な占有であり、日本側は国際的な司法裁判による解決を提案しているところである。この竹島問題は、両国とも譲れないところであり日韓関係でしばしば指摘される難問になっている。

なお韓国政府は中国との間でも同じような問題を有している。それは東シナ海上の蘇岩礁問題である。ここは干潮時にも4m以上も海面下にあるので、領土としての主張に無理があるとされるが、韓国は領有権を主張。中国政府がこれに抗議を繰り返す展開になっている。

そして軍人出身のパクチョンヒ政権(1963-1979)。しかしこのパクチョンヒのもとで韓国は韓江の奇跡とよばれる驚異的な経済成長を遂げ、日韓関係は転機を迎える。

このパクチョンヒのもとで、韓国の経済成長を成し遂げる。そして日韓基本条約の締結(1965年2月)によって、日韓関係はようやく安定するのである。

パクチョンヒの時代は、最後は、朴自身の暗殺(1979年10月)によって悲劇的に幕を閉じ、再び軍部が立つ(1979年のクーデター)。そして軍人出身の政権が続く。チョンドファン(陸軍士官学校出身 12代大統領 1980-1988)、ノテウ(陸軍士官学校出身 13代大統領 1988-1993)。

さて以上の軍事政権の流れがようやく不正腐敗を追及するキムヨンサン金泳三(14代大統領 1993-1998)政権の登場で変わる。そしてキムヨンサン政権下で軍事政権のチョンドファン、ノテウの二人が裁かれるというという象徴的な事態が起こる。

この2人の元大統領をめぐってとくに問題にされたのは1980年5月に発生した光州事件における軍による民衆への銃撃・弾圧だった。チョンドファンによる軍事政権下で起きたこの事件では、200人以上の死者が出たとされるが、軍が動き民衆に銃撃・弾圧を加えた点については批判が強い。

 記憶されるべきことは、韓国の民主化がこのような多くの血の代償の上に築かれたものだということと、このような代償が払われた背景に北朝鮮との緊張関係:日常的な軍事的緊張の問題があるということであろう。

そしてキムヨンサン金泳三政権末期はいわゆるアジアの経済危機のときにあたり、キムヨンサンは経済の混乱の中で政権を降りることになる。

そして金大中(慶煕大学大学院経済学研究科で学ぶ 15代 1998-2003)。ここでようやく対日融和的政策がとられる。しかし金大中は対北朝鮮でも融和外交をとり、これがのちに批判を受けることになる。

ただ北朝鮮との関係を融和しておくことが、韓国経済の発展にとり必要だという計算も理解する必要がある。

続くノムヒョン(大学を経ず苦学して司法試験合格 判事を務める 16代 2003-2008)は、当初、金大中にならい対日融和をとろうとしたが、対アジア政策で協調外交を放棄した小泉政権の対応に強硬策に転じざるを得なくなる。

そしてかなり異常なことがこの政権のもとでは起こる。
たとえば2004年制定の親日反民族行為特別法と翌2005年制定の親日反民族行為者財産の国家帰属に関する法律である。これらは過去の親日行為を取り締まるという法律で、そもそも法律として事後立法である点に問題がある。しかしこのような日本と敵対した法律を作る背景に、小泉政権の非融和的な外交姿勢があった。小泉政権のもとで、日本は韓国とだけでなく中国とも、緊張関係に入ってしまうのである。

竹島の問題もそうであるが、緊張をあおる行為を政府が率先してする必要はない。その意味で小泉元首相の取った、第二次大戦の反省が欠落したアジア軽視政策は誠に嘆かわしいものであった。

ただノムヒョンもノムヒョンで、反日的態度をとることで政権の延命を図ったのである。他方、ノムヒョンは南北交流は推進した。国内では分配重視政策を取った。しかしそれにもかかわらず所得格差が拡大した。政権は社会保障の拡充などの対策に追われた。
南北交流の推進や社会保障の拡充に伴い行政の規模は肥大化した。政権は財閥改革を掲げて不正資金疑惑の捜査を徹底して経済界とは対立。末期にはバブル対策のための規制強化にも努めた。いずれの政策も人気とり的な要素がみられる。

ウリ党(与党)とハンナラ党(野党)の間では分配重視か成長優先か、北朝鮮との和解優先か日米との連携重視かなど対立軸は鮮明。ただノムヒョンのもとで景気がよくならず、格差が拡大したことが、ウリ党のノムヒョンへの支持をさげることになった。

韓国の不動産バブルや過熱する教育は、格差拡大の反映とみることができる。

そして李明博(イミョンバク)(苦学して高麗大学に学ぶ 学生運動の第一世代として1960年代の闘争を経験 企業家としても成功 17代大統領 2008-2013)に至り、再び日韓関係は改善の好機を迎えている。

日本政府としてはノムヒョン政権下―小泉政権下で冷え切った日韓関係の修復を急ぎ、良好な善隣関係を保つ必要がある。

なお李明博(イミョンバク)政権は、法人税の引き下げや、財閥系企業による出資規制の緩和など規制緩和政策を掲げているが、一般国民の間に根強い金持ち優遇批判とぶつかる可能性もある。

規制緩和政策は市場主義者たちのいわば信念による政策だった。結果は世界的な規模での所得・資産の不平等の拡大だった。
イミョンバク政権は、行き過ぎた市場主義からの脱却や企業に対する規制監督の強化が世界的な潮流であることを理解して、市場経済の透明性確保を急ぐ必要がある。

現代東アジア論講義
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Economics」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2024年
2023年
人気記事