つい先日「今年は趣味を突っ走るぞ~!」なんて今年の抱負を述べたばかりと思っていたら、もう2月中旬…。 な、なんか早すぎない?(;´Д`) コワーイ…
先月は色々あり、今までで一番忘れられない1月になりました
年末から肺炎で入院中の母でしたが、初期は結構元気に家族と会話できていたし(動画を送ってもらってた)、温度も湿度も適切に保たれてる病院なら自宅より安全だし退院もそんな先ではないだろう…と私は安心しきって正月を過ごしていたのですが、仕事始め直前に「母の容態が良くないからすぐに来い」との連絡を受け、急遽お休みをもらい一番上の姉とともに青森に帰省
私が面会に行くと(病院の許可が下りて10分程度の面会が許された)、母は昏睡状態であり、私や姉が呼びかけても手をさすっても意識を取り戻す瞬間はありませんでした
翌日も、その翌日も目を覚ますことはなく
ただ、救いだったのは苦しそうな表情ではなかったこと
「目を覚ますかなあ?」滞在中、姉に何度か聞いた。酸素を供給され、足にチューブが繋がれている状態ではあるものの、それを除けば、ただ深い眠りについてるだけにも見える
しかし、「この状態だと、もう無理だね…」
ベテラン看護師であった姉の言葉は正しく、私が神奈川に戻り仕事に復帰して10日後に母は亡くなりました
あれから1か月
だいぶ気持ち的に日常に戻ってきました
自分でも意外だったのが、母の死が、それほど衝撃でもなかったこと
昏睡状態の姿を見たあの時に覚悟ができてしまっていたのか、それとも認知症の進んだ状態を見た昨年秋か・・・
母は父と色々あったし 姉とも仲が特に良いとも言えなかったけど、晩年は孫とひ孫に囲まれて、生物としては勝ち組だったのだと思う
(勝ち組・負け組という言い方は大嫌いですが)
母の遺体を前に、甥っ子の息子(又甥)が私に「あとでスマブラやろうね~!」とはしゃぐ姿、すやすや眠る又甥2を見て、なんとも不思議なような気分になったのを覚えています
実家から離れ あまり変化のない日々を送る私は、生と死のサイクルというものを、あの場で初めて知覚したのだと思います
かなり新鮮な感覚でした
画像は、姉が送ってくれた母の写真と、又甥2のアクリルキーホルダー
アクキーが、このケースの中になんと12個も入ってます!
私も以前 suzuriでるいくんグッズを作ったことがあるけど、さらに気軽に作れるようになってますね
いいことだ