周囲が怪我で済み、大事故にならなったのが不幸中の幸いですが、つい今しがたまで普通に運転していた人が突然暴走して事故を起こしてしまった訳です。これが老いと衰えの怖さなんですよね。誤ったのではないんです。動作が判らなくなったんです。
恐らく運転していた夫は家族から危ないから運転を止める様に考えてほしいと口酸っぱく言われていたと思います。勿論、もともと子供がおらず完全に夫婦だけの生活だった可能性もありますが、それでも昨今の現実を報道などで見てきた筈ですから、どうして早く止めなかったのかと思います。
鎌倉という土地柄を考えれば、確かに坂道が多く買い物に一苦労するのが避けられない現実です。夫婦が住む今泉台をGoogleMAPで検索してみましたが高台に位置していますから普段から自動車が必要不可欠だったことが伺えます。然し乍ら、そうした土地で最期まで暮らすには周囲の協力がなければならないでしょう。果たして夫婦が何処まで周囲からの協力を得られていたのか甚だ疑問に感じます。
とはいえ、その協力そのものも国民全体の相互理解がなければ浸透しません。現実を鑑みれば相互理解には程遠いです。
相互理解を深めるには政治が欠かせません。如何なる国民も真っ当に生きるには政治と常に向き合う必要があります。我々の生き死にの根幹を握っているのが政治だということを理解していなければなりません。
今回の事故で捉えても、少子化や高齢化社会で老後の面倒を看る担い手が減り、自分たちで何もかもやらざるを得ない結果が齎したといえます。どれだけ生花店が壊されたか判りませんが、その修繕費用を支払えるだけの財力がなければ最悪の結果であれば生花店は廃業してしまい若い世代が窮することになります。
今後、ますます同様の事故は増えます。然し乍ら、それで当事者が刑罰を受けても高齢であれば精神的な理由が原因で亡くなり短期間で終わるでしょうし、財産がなければ賠償能力も期待できないでしょう。たとえ遺族に賠償を求めたところで遺族が生活に手一杯であれば不可能です。これを受け入れるんですか?
目の前の自治体レベルの政治でさえ疎かにできません。もっと政治と向き合いましょう。