お饅頭(まんじゅう。以下、ひらがなで記します)。実は和菓子の中でも主役級の上生菓子です。また、お茶席では大トリに、濃い抹茶の席で出される主菓子に使われています。
それでも、現在では、和菓子屋さんなどで売られており、手軽に買えて食べることができ、日本人のほとんどの方に昔から愛されている和菓子だと思います。
日本のおまんじゅうの起源には2つの説があります。1つは臨済宗の僧龍山徳見さんというお坊さんが1349年に元(現;中国)から帰国した際、その弟子として一緒に来た林浄因(りんじょういん)さんが現在の奈良市に住み、おまんじゅう作りをしたというものです。現在でも、奈良市には林さんを祭神とする林神社があり、毎年4月19日の「まんじゅうまつり」には、全国の菓子業界がおまんじゅうを奉納して菓子業界繁栄祈願を行っているそうです。
もう1つは、林さんより約100年前の1241年に南宋(現;中国)から帰国した円爾さんというお坊さんが福岡県の博多でその製法を伝えたという説です。このとき、お茶屋さんに書いて与えた「御饅頭所」という看板が、今でも東京・赤坂の虎屋黒川さんにあるそうです。ちなみに、円爾さんは晩年に故郷の駿河国(現;静岡県)に戻り、実家近くに医王山回春院を開き、禅宗の流布を行うとともに、宋から持ち帰った茶の実を植え、茶の栽培も広めたことから静岡茶(本山茶)の始祖ともいわれており、静岡市では円爾さんの誕生日の11月1日を「静岡市お茶の日」に制定しています。
さて、その円爾さんが宋に渡っていた時代の葉夢得さんの随筆「避暑録話」に、日本の古典落語の「まんじゅうこわい」に似た笑い話があるそうです。また、明(現;中国)の時代の謝肇淛さんの随筆「五雑組」にもあるそうです。
日本の落語の直接の原話は1768年の笑話集「笑府」との説ですが、それよりも前の1662年の「為愚痴物語」にも同じような話があるとのことです。
ひまをもてあました街の者が数名集まり、それぞれ嫌いなもの、怖いものをいいあっていく。「ガキの頃よく言ったもんじゃねえか、産まれたときの胞衣(えな)を方角を決めて埋めて、その土の上を最初にとおった虫が怖くなる、なんてな」と話が始まります。すると、「クモ」「ヘビ」「アリ」などといい合う中にひとり、「どいつもこいつも、だらしがねえ。くだらないものを怖がるとは情けない。人間は万物の霊長ってんだ」と大上段に振りかぶった大げさないい方をします。
他の男が「本当に怖いものはないのか」と聞くと、うそぶいていた男はしぶしぶ「本当はある」と白状します。「では、何が嫌いなのか」と問い詰められますと、男は小声で「まんじゅう」とつぶやきます。男はその後、「まんじゅうの話をしているだけで気分が悪くなった」と言い出し、隣の部屋で寝てしまいます。
残った男たちは「あいつは気に食わないから、まんじゅう攻めにして脅してやろう」と、金を出し合い、おまんじゅうをたくさん買いこんで男の寝ている部屋へどんどん投げ込みます。目覚めた男は声を上げ、ひどくおびえながら、「こんな怖いものは食べてしまって、なくしてしまおう」「うますぎて、怖い」などといって、おまんじゅうを全部食べてしまう。
一部始終をのぞいて見ていた男たちは、男にだまされていたことに気付きます。怒った男たちが、「お前が本当に怖いものは何だ」と聞くと、男はまんじゅんを食べながらひとこといいます。
「このへんで、濃いお茶が1杯怖い」
さて、2020年末に買い物に行ったときに和菓子屋さんでみつけたのが、「年越しそば饅頭」です。まる山さん本店は安曇野市穂高の風情の残る旧街道沿いに和風の店構えと、店舗横には一本の古い松ノ木と道祖神のある、1909年に創業した老舗和菓子店です。和菓子に使われている「あんこ」は北海道十勝産の小豆を丁寧に炊き上げた自家製あんを使用しており、美味しいです。
そして、このときの会計で支払った金額が、なんと「¥777(税込み)」でした。
これは、お店側が狙ったものなのか、それとも単なる偶然なのかはわかりませんが、「777」とラッキーな数字がもらえて2021年は、きっと良いことがあると信じています。
また、みなさんにも良いことがあるようにと願っています。
2021年が、みなさまにとって、2020年よりも良いことが何か1つでも多い1年でありますように。
あらためて、2度とこない今日という1日を大事に大切に過ごしたいと思います。
良いことはずっと続き、良くないことには、必ず終わりが来ると信じていきましょう。
今日も、私のブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございます。明日もまた、元気にここでお会いしましょう。