今日、10月20日はドラフト会議です。あえて歴史をひも解かなくてもいいのですが、実はNPBのドラフト制度が施行されて今年で51年になります。
現在、日本人がプロ野球チームに入るには、ドラフトで指名される以外に方法がありません。なかでもドラフト1位で指名される選手は、その年のトップ選手として名誉なことです。過去に指名された1位選手は50(年)×12(人)-1(人)=599(人)しかいません。ちなみに、-1人については、あえて説明する必要はないでしょう。
しかし、最高の栄誉とされるのですが、過去には指名されたにもかかわらず入団しなかったのが27例/26人あります。このうち20人が後に再指名されて入団していますが、6人はプロ入りしていません。
最初の入団拒否はドラフト施行1年目1965年にサンケイスワローズ(現; 東京ヤクルトスワローズ)に指名された河本和昭さんでした。この頃はドラフト制度が社会的に周知されてなく、スカウトなどの根回しも不充分だったため、指名されても断る選手がかなりいたそうです。特にパ・リーグはセ・リーグに人気面で劣っていたため、入団を拒否する例が多かったとのことです。
1967年の慶應大のエースだった藤原真さんはセ・リーグを希望して南海ホークスの指名を拒否、社会人野球の全鐘紡に進んだのちにサンケイアトムズ(現; 東京ヤクルトスワローズ)に1位指名され入団。同年、早稲田大のエースだった三輪田勝利さんも近鉄バファローズ(現; オリックスバファローズへ併合)の指名を拒否。社会人野球の大昭和製紙に進んだが、1969年ドラフト会議で阪急ブレーブス(現; オリックスバファローズ)に指名されて入団。
1973年は愛知学院大の小林秀一さんが読売ジャイアンツの指名を拒否。これはジャイアンツ唯一の例であり、理由は社会人野球の熊谷組への入社が決まっていたためでした。小林さんはその後、プロ入りはしていません。さらに同年は作新学院高の江川卓さんも阪急ブレーブスの1位指名を断って、法政大に進学。
1976年に駒澤大のエースだった森繁和中日ドラゴンズ監督はロッテオリオンズ(現; 千葉ロッテマリーンズ)から指名されるも入団拒否し、社会人野球の住友金属へ進み、1978年のドラフト会議で4チームから1位入札競合において、抽選の結果、西武ライオンズ(現; 埼玉西武ライオンズ)に入団。なお、このとき中日ドラゴンズも入札していたのは、偶然なのでしょうか。
1977年に江川さんはクラウンライターライオンズ(現; 埼玉西武ライオンズ)からドラフト1位で指名されますが、再び拒否。ドラ1で2度入団拒否したのは江川さんだけ。そして、江川さんは米国野球留学し、翌年のドラフト前日にジャイアンツと契約。いわゆる「空白の1日事件」が発生。これによって、翌日のドラフト会議にジャイアンツが欠席し、阪神タイガースがドラフト1位で指名権を得ます。しかし、当時のコミッショナーの裁定で、タイガースからジャイアンツにトレードされることになるという、「江川事件」として世間を騒がせました。
1989年の上宮高校の元木大介さんは「ジャイアンツ以外はいかない」と福岡ダイエーホークス(現; 福岡ソフトバンクホークス)の指名を断り、ハワイに野球留学。翌年、ジャイアンツに1位指名されて入団。
1998年の沖縄水産高の新垣渚選手はホークスへの入団を希望し、オリックスブルーウェーヴ(現; オリックスバファローズ)の指名を断った。この時にスカウト担当していたのは三輪田勝利さん。実は三輪田さんは1967年に近鉄バファローズからのドラフト1位指名を断って、2年後に阪急ブレーブスに入団。三輪田さんは新垣選手の入団拒否の後にドラフト指名をめぐる悲劇が起こってしまいました。
2000年の敦賀気比高の内海哲也選手のオリックスブルーウェーヴへの入団拒否の後、しばらくなかったのですが、2011年の東海大・菅野智之選手。菅野選手はジャイアンツ原辰徳前監督の甥であり、ジャイアンツと相思相愛と言われたが、北海道日本ハムファイターズが指名。クジ引きの結果、交渉権を獲得したものの入団拒否。1年間の浪人生活を経て、翌年1位でジャイアンツに入団。
1965年 河本和昭さん(広陵高) / サンケイスワローズ → プロ入りせず
1967年 藤原真さん(慶應大) / 南海ホークス → 1968年 サンケイアトムズ
1967年 三輪田勝利さん(早稲田大) / 近鉄バファローズ → 1969年 阪急ブレーブス
1970年 樋江井忠臣さん(中京高) / ロッテオリオンズ → 2度の指名もプロ入りせず
1971年 吉田好伸さん(丸善石油下津) / 西鉄ライオンズ → プロ入りせず
1972年 石川勝正さん(東洋紡岩国) / 南海ホークス → プロ入りせず
1973年 小林秀一さん(愛知学院大) / 読売ジャイアンツ → プロ入りせず
1973年 江川卓さん(作新学院高) / 阪急ブレーブス → 1979年 阪神タイガース
1974年 古賀正明さん(丸善石油) / 阪神タイガース → 1975年 太平洋クラブライオンズ
1974年 田村忠義さん(日本鋼管福山) / クラウンライターライオンズ → 2度の指名もプロ入りせず
1975年 足立義男さん(大分鉄道管理局) / 阪神タイガース → プロ入りせず
1975年 住友一哉さん(鳴門高) / 阪急ブレーブス → 1981年 近鉄バファローズ
1976年 武藤一邦さん(秋田商高) / 南海ホークス → 1981年 ロッテオリオンズ
1976年 森繁和監督(駒澤大) / ロッテオリオンズ → 1978年 西武ライオンズ
1976年 黒田真二さん(崇徳高) / 日本ハムファイターズ → 1982年 ヤクルトスワローズ
1977年 金光興二さん(法政大) / 近鉄バファローズ → プロ入りせず
1977年 江川卓さん(法政大) / クラウンライターライオンズ → 1979年 阪神タイガース
1978年 木田勇さん(日本鋼管) / 広島東洋カープ → 1979年 日本ハムファイターズ
1979年 竹本由紀夫さん(新日鐵室蘭) / ロッテオリオンズ → 1980年 ヤクルトスワローズ
1980年 高山郁夫コーチ(秋田商高) / 日本ハムファイターズ → 1984年 西武ライオンズ
1980年 川村一明さん(松商学園高) / 阪急ブレーブス → 1983年 西武ライオンズ
1989年 元木大介さん(上宮高) / 福岡ダイエーホークス → 1991年 読売ジャイアンツ
1990年 小池秀郎さん(亜細亜大) / ロッテオリオンズ → 1992年 近鉄バファローズ
1995年 福留孝介選手(PL学園高) / 近鉄バファローズ → 1998年 中日ドラゴンズ
1998年 新垣渚選手(沖縄水産高) / オリックスブルーウェーヴ → 2002年 福岡ダイエーホークス
2000年 内海哲也選手(敦賀気比高) / オリックスブルーウェーヴ → 2003年 読売ジャイアンツ
2011年 菅野智之選手(東海大) / 北海道日本ハムファイターズ → 2012年 読売ジャイアンツ
昔は「あのチームは嫌だ」という理由がなんとなくわかった時代がありました。しかし、最近は12チーム、セパの人気や待遇の格差が小さくなったこともあって、ドラフト1位指名を断る選手は稀になってきました。江川さんのような一途な思いの選手が少なくなってきたのかなとも思います。ただ、そのままプロ入りしていればもっと活躍出来たと思われる選手もいると思います。
さて、さて、今年の指名はどうなるのでしょう。
ドラゴンズは作新学院高の今井選手?