さて、アフリカ、中東、南アジアなどでサバクトビバッタが大量発生し、農作物が大きな被害を受けていることは、先日、ここに書いたとおりです。
今回のサバクトビバッタの大量発生は数十年で最大規模であり、原因はこの2年ほどで巨大サイクロンがいくつも発生して降水量が増え、餌となる植物が増加したことと推定されています。サバクトビバッタは農作物を食い荒らしながら、アラビア半島からインドへと移動し、中国にも迫る勢いですが、さすがに海を渡って日本にやってくる可能性は低いようです。
サバクトビバッタは、寒さに弱く、1000m以上の山は越えられないと言われています。パキスタン、インドと中国の国境は、5000m級の山が連なる山岳地帯ですので、中国のほうに行くというのは考えにくいというのがその理由です。
また、南米のアルゼンチンではイナゴが大発生し、農作物を荒らしてしまい、現在では隣国へと被害が拡大しているとのことです。
日本でも歴史的に虫による被害に見舞われています。
東京都八王子市に1390年に創建された廣園寺というお寺があります。この廣園寺に、駆除した害虫を供養して立てられた虫塚がありますが、この虫塚が日本最古の虫塚と言われています。
14世紀末のころ、田畑の収穫時期になるとバッタやウンカなどの大量の虫がつき、大きな被害が出ました。村人はなんとか被害を抑えたいと廣園寺の住職に相談し、住職が「悪い虫を退治しよう」と祈祷を始めると害虫は、ことごとく死に絶えたそうです。しかし、害虫とて生命のあるものですから、村人は後生を弔うために死骸を集めて廣園寺境内に埋葬し、再び虫による被害がでないようにと石塚を作って祈願したそうです。
また、歴史の授業でも習ったと思いますが、江戸時代の「享保の大飢饉(1732年)」「天保の大飢饉(1833年)」の原因は主に害虫だという説があります。享保の大飢饉では、その年の梅雨が長引き、冷夏になったのとウンカが大発生したことが発端と言われています。
歴史の授業では習っていませんが、明治時代になった1880年、北海道十勝地方でトノサマバッタが大発生しています。「日食のように太陽が陰り」(帯広市史)、被害は約6年間も続いたそうです。明治政府はトノサマバッタが成虫になる前に、卵や幼虫の段階で撲滅する作戦として、土中の卵を掘り起こし、それを1カ所にまとめて盛り上げ、土を被せて塚にしていったとのことです。現在、アフリカや中東でもこの対策が取られているものです。
これは「バッタ塚」と呼ばれており、新得町には70箇所以上も残されており、1882年と1883年の2年間で掘り出されたトノサマバッタの卵の容量は1339立方m、幼虫で400立方mとなり、トノサマバッタの数に換算すると300数十億匹に相当するとのことです。
さらに、害虫の被害は過去のものでもないのです。1980年6月に北海道鹿追町ではハネナガフキバッタが大発生。その数は推定7億匹であり、陸上自衛隊が出動して駆除に当たっています。
2007年6月には開港直前の関西国際空港第2期島で、4000万匹近くのトノサマバッタが大発生しています。薬剤を散布するなどして、鎮圧には約1ヶ月かかっています。
ちなみに、鹿追町では駆除された大量のバッタを慰霊し、災害の発生を防ぐ目的で、下鹿追神社境内にバッタ塚を建立し、祀っています。日本では、「仁義ある戦い」となっています。
今回のコロナウイルスでは、多くの「想定外」が社会を混乱させ、経済を麻痺させてしまいました。
新型コロナウイルスの発生メカニズムはまだ詳細が不明であり、その制御はいまだ困難ですが、ワクチンなどによる封じ込めが期待できます。
バッタなどの発生のメカニズムはわかりつつあるとのことですが、その制御はいまだに困難。ひとたびバッタに襲われると農作物は食い荒らされ、食糧難に見舞われるだけでなくなってしまいます。
今回のサバクトビバッタの被害は対岸の火事ではありません。
新型コロナウイルスによってお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、罹患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、日々新型コロナウイルスと戦っている医療関係など、私たちの命と生活を守るために働いてくださっている関係者の方々に、心からの敬意と感謝いたします。
どうか、みなさまとご家族、関係者の方がご健康であっていただければと思っております。1日でも早く流行が終息の方向に向かうことを願っております。
また、このたびの豪雨による未曾有の被害が報じられ、お亡くなりになられた方々には心からお悔やみ申し上げますとともに、被災された多くの皆様に心からお見舞い申し上げます。
どうか一日も早い復興と皆様の日常が1日にでも早く取り戻せますように、心からお祈り申し上げます。
私のブログにお越しいただいてありがとうございます。また、明日、ここで、お会いしましょう。