新型コロナウイルスの感染拡大で延期となっていたメジャーリーグ・ベースボール(MLB)は7月23日(日本時間24日)に開幕することが正式に決まりました。
一方でマイナーリーグ・ベースボール(MiLB)の今シーズン公式戦全試合が中止されることが6月29日(日本時間6月30日)に正式に決まりました。
マイナーリーグはある意味、米国野球の土台を支えているものです。メジャーリーグを一軍とするとマイナーリーグは、なんと八軍まであります。そもそも、米国には日本の社会人野球に相当するシステムがありませんので、高校・大学を卒業して野球を続けるためには、マイナーリーグか独立リーグでプレーするしかありません。
ルーキー(Rk)
アドバンスド・ルーキー(Rk)
ショートシーズンA(A-)
クラスA(A)
アドバンスドA(A+)
ダブルA(2A)
トリプルA(3A)
そして、MLBが最上位となっています。
しかし、日本のプロ野球の一軍・二軍システムと違い、マイナーリーグのほとんどの球団は独立採算経営されています。ほとんどのMLB球団とは、提携関係を結んで、選手の昇格・降格など選手の入れ替えを行ってはいますが、TV放映権収入が年間約17億ドルのMLBとは異なり、マイナーリーグは収入のほとんどを球場入場料に頼っており、ビール代、ホットドッグ代といった小銭の合算。後は地元企業からの協賛金や球場などのスポンサー収入になります。
つまり、マイナーリーグは無観客試合では経営することが困難であることが明白です。
そのため、営業努力や経費を抑える工夫がなされており、ルーキー級の選手の給料は月収約850ドル、3A級でも約2100ドル。遠征時はバス移動になり、食事もほとんどジャンクフードです。オフにアルバイトをしないと生活出来ない選手もいるようです。
また、経費を削減する目的で2019年の冬には、MLBが傘下にある42球団との提携を解消するという予定を公表し、160を超える球団総数を120前後に縮小という計画を発表しています。
さらに、新型コロナウイルス感染症の影響で資金巡りが困難となり、2020年5月末までに解雇された選手は400人以上、追い討ちをかけるように一部MLB球団が、傘下のマイナーチームに対して、6月以降の給与支援を打ち切ってしまいました。
選手のみならず、球団職員などの解雇がこれまで以上に増え、破産手続きが必要になってくる球団が出てくる可能性もあるかも知れません。
それでもメジャー昇格の夢を見て、選手たちは懸命にプレーします。
また、選手だけではありません。2020年1月からルーキーリーグのガルフコーストリーグ・ツインズに三好貴士さんが日本人初の監督として就任しています。日本ではほとんど報道されていませんが、世界の野球からすると画期的なことです。
三好さんは、小さい頃からMLBに憧れ、高校卒業後に単身渡米。米国の短大や独立リーグを中心にプレーしながら、マイナー入りを目指しましたが、その思いは果たされることなく、27歳で現役を引退。日本に戻り社会人として働いていました。しかし、「選手としてのけじめをつけたい」と、31歳で現役復帰を決意。会社を退職し、2009年に米国でのトライアウトリーグに参加し、そこで、ひたむきに野球を学ぼうとする姿勢が評価され、米独立リーグのビクトリア・シールズから選手兼コーチとして入団します。
2009年に独立リーグでの選手生活を終え、MLB通算ホームラン414本のダレル・エバンスさんに人間性を評価され、ルーキーリーグのビクトリア・シールズでアシスタントコーチになるも報酬はなく、挙句の果てには、GMからは「必要ない、来るな」と毎日、存在を否定され続けましたが、チームの雑用を一手に引き受け続け、やがて600ドル(約7万円)の月給を得て、ようやくコーチとして認められました。
2011年からブロックトン・ロックスで、MLBで通算22シーズンプレーしたビル・バックナーさんに声をかけられ、500ドルでアシスタントコーチに採用。ところが、サポートするはずだった日本人選手が就労ビザを取得できなかったため、「日本人選手がいないのに、なんでお前はここにいるんだ」と追い返されてしまいました。しかし、ここでも引き下がることなく、ボイラールームで寝泊まりしながら、グラウンドに毎日かよっているうちに認められるようになりました。
2012年からはMLBの2Aレベルに相当する独立リーグの強豪チームのスーシティー・エクスプロラーズと契約しますが、球団側に書類の不備があり就労ビザが却下され、入国できないことになりましたが、自力で書類を作成し、入国することができ、主に一塁コーチを務めました。
2014年は独立リーグのグランドプレーリー・エアホッグスにて主に内野守備コーチと一塁コーチを務め、シーズン終盤には三塁コーチも務めました。
2015年は独立リーグのソノマ・ストンパーズにて三塁コーチ(ベンチコーチ)を務め、7月11日に同チームの監督(兼選手)が出場停止処分を受けたことにより代行監督に就任。チームを前期優勝に導き、正式に監督に昇格。8月には、チームの主力選手4人を上位リーグに移籍させる手腕を発揮します。
2016年もソノマ・ストンパーズにて監督を務め、前期23勝16敗、後期24勝15敗でともに優勝し、リーグ史上初のプレーオフなしの完全優勝は快挙を成し遂げ、リーグのマネージャー・オブザ・イヤー(最優秀監督賞)を受賞しました。
2017年もソノマ・ストンパーズにて監督を務め、2016年に引き続き、チームを前期28勝11敗で優勝。後期も同率首位の24勝15敗を記録しましたがプレーオフで敗れ、惜しくも2年連続となるシーズン総合優勝を逃しました。しかし、シーズンを通して52勝26敗(勝率.667)のチームを作り上げ、この52勝はリーグ新記録となり、2年連続となるマネージャー・オブザ・イヤーを受賞しました。
そして、2018年1月20日にMLBミネソタ・ツインズ傘下アドバンスルーキーリーグのエリザベストン・ツインズにてコーチに就任します。これは、ツインズ史上初の日本人指導者であり、また日本人としては選手としてMLB傘下、NPBでのプレー経験がないという中で、コーチに就任するメジャーリーグ史上初の事例となりました。
2018年はアパラチアンリーグ(ルーキーアドバンスレベル)に所属するエリザベストン・ツインズにて4thコーチを務めます。MLBで定着しているデータに基づいた極端な守備シフトを担う役割を任され、監督の補佐役として地区優勝、リーグ優勝に貢献しました。
2019年3月には、MLBスプリングトレーニングの試合に召集され一塁コーチを務め、延長スプリングトレーニングでは監督を任され、采配を振っています。その後、エリザベストン・ツインズの内野の守備シフト統括兼ベンチコーチとしてチームに貢献しました。
そして、2020年1月10日にツインズ球団からガルフコーストリーグ・ツインズの監督に就任することが発表され、1901年の球団創立以来約120年におよぶ歴史上初の日本人監督となりました。選手としてMLB、NPBを経由せずにMLB傘下にて監督となった初の日本人指導者です。また、3月からMLBスプリングトレーニングに招待され、コーチングスタッフとしてチームに帯同し、MLBを代表する選手たちのサポートをしています。
三好さんは自分の意志で道を切り開いてきました。ツインズと契約する道も、誰かから教わったわけではなく、はじめは自費でMLBのキャンプ地に行き、球場の入口で履歴書を渡していました。最初はどこも受け取ってくれませんでしたが、ある球団スタッフから、どこに送ればいいか聞き出し、そこから全30球団の採用情報と担当責任者を調べ上げて、契約に至りました。
三好さんは、「11年間アメリカでやってきて思うのは、人がもともと持っている力にはそんなに差がない、ということです。では、何が差になるかというと、それは『グリット(grit)』と『マインドセット(mindset)』。グリットは『止まらないでやり続ける力』で、マインドセットは『意識づけ』です」と語っています。
今は、「メジャーの監督になって1000勝すること」が目標だそうです。
今シーズンはマイナーリーグの試合はありませんが、目標に向かって行って欲しいですね。
新型コロナウイルスによってお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、罹患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、日々新型コロナウイルスと戦っている医療関係など、私たちの命と生活を守るために働いてくださっている関係者の方々に、心からの敬意と感謝いたします。
どうか、みなさまとご家族、関係者の方がご健康であっていただければと思っております。1日でも早く流行が終息の方向に向かうことを願っております。
また、このたびの豪雨による未曾有の被害が報じられ、お亡くなりになられた方々には心からお悔やみ申し上げますとともに、被災された多くの皆様に心からお見舞い申し上げます。
どうか一日も早い復興と皆様の日常が1日にでも早く取り戻せますように、心からお祈り申し上げます。
私のブログにお越しいただいてありがとうございます。また、明日、ここで、お会いしましょう。