春季北信越高校野球長野県大会の一回戦8試合は雨天のため全試合14日に順延となりました。これで、私の今後の予定を見直さなければならなくなりました。さらに、この雨が高校球児にとって運命を変えてしまうかどうか。
1991年7月29日。第73回全国高等学校野球選手権・愛知大会準々決勝。中京大中京高 vs. 愛工大名電高のライバル対決は、2-1と中京高が1点リードの6回表、ランナー一塁で打席に愛工大名電高の四番・鈴木一朗選手が立ちます。
カウント1-1からの3球目、鈴木選手が振りぬいた打球は、外野席の向こうに立ち並ぶ木々を超える特大の2ランホームラン。3対2と逆転に成功した名電高は、そのまま逃げ切り、勝利を収めました。鈴木選手の一振りがチームを勝利に導きました。
後に、イチロー選手はこう語っています。
「ベストゲームねえ。そんなの、存在しない(笑)。まず、今の僕にはベストゲームという概念がないから。どのゲームだってベストになり得ません。だって必ず何かが欠けてしまいますから。もちろん、常にベストにしたいと思っていますよ。でも、そうはならない。野球って、そういうゲームだと思いますね。だから僕にとってのベストゲームだとは言えないんですけど、印象に強く残っているゲームがあるんです。それは高校三年の夏、愛知県大会でベスト8まで勝ち進んで、そこで中京と当たったんですけど、あのゲームですね。あの試合は僕にとってはとんでもなく意味の深いゲームでしたから、すごく印象に残っています」
この年の夏、選抜大会に出場していた名電高は、鈴木選手を中心とした強力打線で5回戦までをほとんどコールドゲームで勝ち上がってきました。中京高も大会ナンバーワンピッチャーを擁して、準々決勝までの5試合をすべて完封で勝ち上がってきていました。夏春夏の3季連続甲子園出場をめざしていた名電高にとって、中京高は避けて通れない相手でした。
「正直にいえば、あの夏、僕の目標は甲子園に出ることじゃなかった。高校に入る前から、プロになることを第一に考えていましたし、モチベーションが他の選手とはまったく違っていたと思います。みんなは力を合わせて甲子園に向かっていけるでしょう。でも僕は一人でプロという強大な世界に向かわなければならない。そんなこと半端な気持ちじゃできないんですよ。だから一つでも多く勝って、自分のプレーをスカウトの人に見せたかった。準々決勝で終わるわけにはいかなかったんです。僕がスカウトにも覚えてもらうようになったのは、あの逆転ホームランからだったと思います」
結果、夏の愛知県大会での鈴木選手は28打数18安打、打率.643 ホームラン3本という記録でした。これでプロ野球のスカウトの評価が高まり、イチロー選手が誕生することとなりました。
「実はもう一試合、雨でノーゲームになってしまった中京との試合がある。途中まで中京が勝っていた…(中略)あの雨がなければ、ひょっとしたら僕はプロに行けなかったかもしれない。だから、僕にとっては大きなゲームだったんです。だって、あそこで僕の野球、終わっていたのかもしれないんですからね。もし僕が野球をやっていなかったらとしたら何もない。うーん、何が残りますかね…ホント、何もないよね。そうやって考えると、あの雨が僕の運命を変えたのかもしれません。どちらかといえば僕、運命って信じる方だし、(運命の神様にも)僕を選んで、といつも思っていますけど」
そう、鈴木選手の運命を決定づけた試合の前日の雨が運命を変えたのです。
(写真と本文は関係ありません)
「あの夏、感じたキモチをいつでもハッキリと思い出せるように」というメッセージとともに送られてきた写真。「次の夏も一緒に汗を拭おう」という言葉とともにいただいたフェースタオル。「人生は一度きり」という言葉が添えられたはがき――。朝日新聞の投稿より。
昨年(2015年)8月20日。第97回全国高校野球選手権大会決勝、仙台育英対東海大相模の試合が行われた日に出会った女性から頂いたものである。決勝当日、試合開始4時間前。この日も例外なく、門が開くと同時に甲子園球場に飛び込んだ。新しく見つけた穴場、カメラマン席上の最前列席に座るためだ。
希望の席は取れた。だが、空は一面グレーの雲で覆われており、雨脚は弱まりそうにない。選手がグラウンドに姿を現すまでまだ3時間もある。連戦で疲れている体を少しでも休めようと私は銀傘の下に避難した。
5分経ったころ、「隣いいですか」と声をかけられた。女優の片瀬那奈さん似で、花の香りを漂わせた美人なお姉さんだった。私は頰を緩ませ、隣を促した。お姉さんは、決勝に進出した東海大相模を応援するために、神奈川県から初めて甲子園に来たという。
談笑しているうちに日が差してきた。お姉さんを連れて、取っておいた席に戻ると、「この席どうぞ」と男性が私の隣の席をひとつ譲ってくださった。おかげで、出会ったばかりのお姉さんと一緒に応援することができた。
初回から打撃が爆発した東海大相模を見ているうちに、気づけば、お姉さんとハイタッチをして喜びを分かち合っていた。両校の大応援団による振動、一塁側応援団席から三塁側特別自由席にまで波及した応援の輪、体を張った好守、緊張から生じたエラー、エラーをした選手を鼓舞する監督、選手のビッグプレーを満面の笑みで両手を広げて迎える監督。今この瞬間に全力を注ぐ人たちが織り成す景色を一緒に見て、空気を一緒に感じ、ともに感情を分かち合った。
それが、通りすがりの一人になるはずだった女性を、出会うべくして出会った運命のお姉さんに変えてくれた。
あの決勝戦が終わってもう一年以上経った。神奈川県と滋賀県。住む場所は離れていて滅多に会うことはないけれど、関東に行けば声をかけさせてもらっている。お姉さんは仕事をしていて忙しいはずなのに、お見送りだけでもと言って会いに来てくれる。ふと顔が浮かんだときにははがきを送りあう。「あなただから大丈夫」という言葉がくじけかけた私の背中を押してくれる。
お姉さんと出会えて本当に良かった。
あの日、雨が降っていて本当に良かった。
雨の日というと、なんとなく気分が落ち込んだり、物思いにふけってしまいことが多いと思います。それは「雨に濡れてイヤな気持ちになった」「雨で予定がキャンセルになりガッカリした」などマイナスなイメージが多いからだと思います。でも、雨が少ないアフリカや中東、中央アジアの乾燥地帯などでは、雨が楽しいイメージ、喜ばしいものとして捉えられることが多く、雨が歓迎されるそうです。
雨は嫌なことを洗い流してくれます。そして、雨が止んだ後には、綺麗な青空が見られます。雨は良いことだってあるのですよね。
雨の季節になります。