どぉーも!!
空前絶後のぉ! 超絶怒涛のピン芸人! 笑いを愛し、笑いに愛された男ぉー!!
漫才、コント、落語、すーべてぇの笑いの生みの親ぁ!!!
呼んで七福神8人目の笑いの神ぃ!!
そぉう、この俺こそはぁ!!
例えこの身が朽ち果てようと 笑いを求めて命を燃やし、燃えた炎は星となり、見るもの全てを笑顔に変えるぅ!! みんなご存知!
そぉう、この俺こそはぁ!!
さぁいきょう無敵のピン芸人! あまりのポテンシャルの高さに松竹、吉本、人力舎、太田プロ、マセキから命を狙われている男ぉ!!
そぉう、この俺こそはぁ!!
てぇんか無双のピン芸人! あの日本一の池崎を決める大会、池崎-1グランプリ、セミファイナリストぉ!!
そぉう、この俺はぁ!!
身長173cm、体重63kgぉ! 長所・明るいところぉ! 短所・コミュニケーション能力の欠如ぉ!! お笑い界に舞い降りたキングオブ人見知りぃ!!
そぉう、この俺はぁ!!
昭和56年生まれぇ! 出身地は母親ぁ!! 家族構成・父ガイア池崎ぃ! 母ポセイドン池崎ぃ! 兄ともかずぅ!!
そぉう、そしてみんなお待ちかね、次男で末っ子、この俺はぁ!!
サンシャィィインいぃけ・・・袋の近くでぇ!! 普段アルバイトをしてまぁす!!
時給1240円! 貯金残高84,800円! キャッシュカードの暗証番号・8931! 楽屋そでの芸人のみんな、今がチャンスでぇす!
もう一度言います、8931ぃ! 白菜って覚えてくださぁい!! Phoneのパスコードロック8931! 白菜って覚えてください!!
そぉう、すべてをさらけ出したこの俺はぁ!!
サンシャィィイン~いーけ! ボコッ! ざーきぃ!!
いええぇぇぇぇぇ!!!
くうぜん‐ぜつご【空前絶後】とは。
過去にも例がなく、将来もありえないと思われること。きわめて珍しいこと。
2017年10月26日に行われるドラフト会議。
毎年、次世代を担う金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める、プロ野球ファンににとっての一大イベントで、さまざまなドラマも生まれます。今年はその直前の22日には大義なき衆議院総選挙があるようでして、”ゴシップ四天王”の暴言先生、不倫先生、KY先生、放言先生たちも「議員志望届」を出すようですが、有権者の方々はどう判断するのでしょうか。
今年というか2年前から早稲田実業高の清宮幸太郎選手が主役となっているドラフト会議。その清宮選手が今日、これまた22日に進路を発表するとのことです。「プロ志望届」を提出した場合、全12球団が1位入札するのではないかともいわれています。まさに空前絶後のドラフト会議になりそうです。ただ、私はそうならないとの予想で、6~8球団に落ち着きそうと思うのですが。高校生ならば、履正社高・安田尚憲選手、広陵高・中村奨成選手、社会人ならばJR東日本の田嶋大樹選手らを一本釣り出来る可能性がありますから。あくまでも清宮選手で行くか、どうするか、各球団の戦略も見どころです。
さて、そんなドラフト会議で空前絶後の豊作と言われたのが1968年の第4回ドラフト会議だったといわれています。
東映 大橋穣 (亜大)
広島 山本浩司(法大)
阪神 田淵幸一(法大)
南海 富田勝 (法大)
サンケイ 藤原真 (全鐘紡)
ロッテ 有藤道世(近大)
近鉄 水谷宏 (全鐘紡)
読売 島野修 (武相高)
大洋 野村収 (駒大)
中日 星野仙一(明大)
阪急 山田久志(富士鉄釜石)
西鉄 東尾修 (箕島高)
東京六大学からは法政大三羽烏と言われた田淵幸一さん、山本浩司さん、富田勝さんに、明治大のエース・星野仙一さん。東都は強打の遊撃手、亜細亜大の大橋穣さん、関西では強打のサード、近畿大の有藤道世さんと超逸材が揃いました。
最大の注目は東京六大学史上最多記録、通算22ホームランを記録した田淵さん。ジャイアンツと相思相愛でしたが、指名順がジャイアンツより上のタイガース(3番目)が指名し、その後、入団を巡って大騒動となりました。指名順位8番目だったジャイアンツは「田淵でなければ、星野」と言われながら高校生ピッチャーの島野修さんを指名。星野さんは「“島”と“星”が違う」という、ドラゴンズファンにとっては名ゼリフを言ったといいます。
名球会入りした選手だけでもピッチャーが山田久志さん、東尾修さん、バッターが山本浩二さん、有藤道世さん、阪急2位指名の加藤秀司さん(松下電器)、中日3位指名の大島康徳さん(中津工高)、阪急7位指名の福本豊さん(松下電器)と7人。しかも、加藤さん、福本さん以外は一軍監督の経験者です。
ほかにも、タイトルホルダーとして東映4位指名の金田留広さん、大洋・野村収さん。南海4位指名・藤原満さん(近畿大)、中日9位指名・島谷金二さん(四国電力)、西鉄8位指名・大田卓司さん(津久見高)ら個性的な選手が多かったです。
特に一番の個性派選手だったのは、ロッテ9位指名・飯島秀雄さん(茨城県庁)でした。飯島さんは野球経験はほぼなく、陸上競技100mの東京オリンピック選手でした。足のスペシャリストと期待されての指名、入団でしたが、1971年限りで引退するまでの3年間で23盗塁、17盗塁刺。一軍の打席には一度も立っておらず、守備での出場もありませんでした。
なお、この年に入団拒否した選手に阪急ブレーブス・12位指名の門田博光さんがいます。翌1969年のドラフト2位で南海ホークスに入団。通算ホームラン数567本と通算1789打点は共に歴代3位であり、南海・ダイエー、オリックスバファローズで主に外野手、指名打者として活躍。40歳を超えても活躍した数少ない選手であり、「不惑の大砲」の異名を持っています。
また、ほかにタイガース8位指名の長崎慶一さんは1972年ドラフト1位で大洋ホエールズに入団、1982年首位打者、カープ6位指名の稲葉光雄さんは1970年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団、ジャイアンツキラーとして活躍、阪急ブレーブス11位指名の村上義則さんは1970年ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団となっています。その村上さんは「長嶋茂雄にホームランを打たれた最後のピッチャー」です。