野球小僧

飛鳥井家 蹴鞠

鎌倉時代前期、難波頼経さんの子・藤原雅経さんを祖とする公家(羽林家)です。代々和歌・蹴鞠の師範を家業としていました。頼経さんの父・難波頼輔さんは蹴鞠一道の長とも称された蹴鞠の名手でしたが、孫の飛鳥井雅経さんも蹴鞠に秀で、飛鳥井流の祖となりました。鎌倉幕府2代将軍源頼家さんも蹴鞠を愛好したため、雅経さんを厚遇し、一方で雅経さんは後鳥羽上皇に近侍し藤原定家さんなどとともに「新古今和歌集」を撰進し、和歌と蹴鞠の師範の家としての基礎を築いています。

室町時代には雅世さん・雅親さん父子が歌壇の中心的歌人として活躍し、雅世さんは「新続古今和歌集」の撰者となり、雅親さんは和歌・蹴鞠のほかに書にも秀で、その書流も蹴鞠と同じく飛鳥井流と称されるほどでした。雅親さんの弟・雅康さんも歌人としての名声が高く、足利将軍家や若狭守護武田元信さんなどの有力な武家と深い親交がありました。

戦国時代から江戸時代初期にかけては雅庸さんが、徳川家康さんから蹴鞠道家元としての地位を認められ、幕末には雅典さんは武家伝奏を務めていました。

明治維新の後、雅望さんの時に伯爵に列せられ、邸宅は東京に移転し、その邸宅跡に創建されたのが白峯神宮になります。飛鳥井家が蹴鞠の師範だったこともあり、境内地に地主社として蹴鞠の守護神が祀られており、現在はサッカー・球技全般の神とされています。

中国での蹴鞠)の歴史は紀元前300年以上前の斉(戦国時代)での軍事訓練に遡るされ、漢時代には12人のチーム対抗戦で鞠を争奪し球門に入れた数を競いあっていました。唐時代にはルールが多様化し、球門は両チームの間の網の上に設けられたり、競技場の真ん中に一個設けられたりしました。その後、宋時代には一人またはチームで地面に落とさないようにボールを蹴る技を披露する遊びに代わりました。また、モンゴル帝国の遠征にともなって東欧にも伝来したと言われています。その後、明時代初期には貴族や官僚が蹴鞠に熱中して仕事をおろそかにしたため、蹴鞠禁止令が出され、さらに清時代における禁止令で中国からはほぼ姿を消した状態になっています。

日本には600年代に仏教などと共に中国より日本へ渡来したとされています。中大兄皇子さんが法興寺で「鞠を打った」際に落とした履を中臣鎌足さんが拾ったことをきっかけに親しくなり(「日本書紀」)、645年に大化の改新が興ったことは一部の歴史に詳しい人の中では有名です。鞠を打つ=蹴鞠と解釈されたのは「今昔物語集」・「蹴鞠口伝集」などの後世ですが、「本朝月令」や「古今著聞集」には、大化の改新の56年後にあたる文武天皇の701年6月15日に日本で最初の蹴鞠の会が開かれたと記されています。

平安時代には蹴鞠は宮廷競技として貴族の間で広く親しまれ、屋敷に鞠場と呼ばれる専用の練習場を設け、日々練習に明け暮れたそうです。清少納言さんの著書「枕草子」には「蹴鞠は上品ではないが面白い」と謳われています。さらに蹴鞠は貴族だけに止まらず、天皇、公家、将軍、武士、神官から一般民衆にまで広く親しまれました。なお、蹴鞠のルールが完成したのは鎌倉時代になります。

室町時代には足利義満さんや義政さんら、武家のたしなみとして蹴鞠が行われ、戦国大名・長宗我部元親さんが定めた「天正式目」では、武士がたしなむべき技芸として和歌や茶の湯、舞や笛などとともに蹴鞠が挙げられ、島津家家臣の上井覚兼さんが記した日記「上井覚兼日記」には島津家で盛んに蹴鞠が行われていることが描かれているほどです。

しかし、室町時代末期に織田信長さんが相撲を奨励したことで、蹴鞠人気は下がって行ったそうです。しかし、蹴鞠の文化は消えずに、現代でも伝統行事として各地で蹴鞠が行われています。

ルールは懸(かかり)または鞠壺(まりつぼ)と呼ばれる、四隅を元木(鞠を蹴り上げる高さの基準となる木。)で囲まれた三間程(約5.5m)の広場の中で実施されます。1チーム4人、6人または8人で構成され、その中で径7~8寸(約21~24cm)の鞠を「靴」をはいた足で何回蹴り続けられるかを競った団体戦と、鞠を落とした人が負けという個人戦があります。

現在では蹴鞠の面白さは「和をもって尊しとなす」の精神に基づいて、美しく蹴ることにあります。勝負を楽しむスポーツとは異なり、相手の受けやすい鞠を送ることが肝心とのことです。

蹴鞠は各時代にて多数の名足を生み出しました。特に平安後期の藤原成通さんは希代の名人と言われ、後世の蹴鞠書でも「蹴聖」と呼ばれているそうです。

蹴鞠を得意とする人々
坂上是則さん、後嵯峨天皇、亀山天皇、藤原成通さん、源頼家さん、足利義満さん、織田信長さん、豊臣秀吉さん、今川氏真さん、島津忠恒さん、明治天皇、中田英寿さん、本田圭佑さん、その他多数。

なお、白峯神宮の蹴鞠保存会によって、毎年4月14日(春季例大祭・淳仁天皇祭)と7月7日(精大明神例祭・七夕祭)に奉納蹴鞠が行われています。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
あぁ~、メッシ選手とネイマール選手を忘れていました。それはともかく。

宮司さんが決定いた毬を見せていただきましたが、空気が抜けたボールのようにペコペコでした。
しかし、流石に本家というか家元というか、上手いものです。

セパタクローもさかのぼれば一緒かも知れませんね。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

よもや、蹴鞠と大化の改新が繋がっていたとは・・・
大河では平清盛で蹴鞠のシーンを観たような記憶がありますが
戦国時代物(真田丸、軍師官兵衛、天地人等)では記憶がないです。
公家のお遊びというイメージが残っちゃってますね~

蹴鞠を得意とする人々に中田英寿さん、本田圭佑さんって・・(笑)

セパタクローとは親戚ですか???
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