京都府京都市上京区にある神社です。このブログには何回か登場していますが、ご由来などは省略して来ましたので、今回詳細にご説明します。
平安時代の末期、1156年7月に起こった保元の乱(皇位継承問題や摂関家の内紛により朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂)に敗れた崇徳上皇は讃岐に流され、その地で歿しました。その後天変地異が相次いだことから上皇の祟りとされ、上皇が葬られた白峯陵(香川県坂出市)の前に、上皇を白峯大権現として祀る御影堂が建立されました。
幕末になって孝明天皇は異郷に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じ、明治天皇が現在地に社殿を造営し、1868年御影堂の神像を移して神体とし白峯宮を創建しました。
1873年になって藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路に配流され、そこで亡くなった淳仁天皇(淡路廃帝)の神霊を淡路から迎えて合祀されています。
しかし、現在は崇徳天皇と淳仁天皇の神社としては、ほとんど知られていません。それは、鞠と和歌の宗家である飛鳥井家が明治維新で東京に移った際、その邸宅跡に建てられたため、飛鳥井家が代々祭ってきた蹴鞠(けまり)の神、精大明神(せいだいみょうじん)が境内に摂社として残ったことに依ります。
よって、現在では「サッカーの神様」として、また、球技全般およびスポーツの守護神とされ、スポーツ関係者の参詣も多く、社殿前にはサッカーやバレーボールの日本代表チームや、Jリーグに所属する選手などから奉納されたボールなどが見られます。
また、スポーツにちなんだお守りが有名で、叶う輪(かなうわ)という縁起物があります。
摂社としては保元の乱のとき、崇徳上皇について戦った源為義さん、源為朝さんを祀る伴緒社(とものをしゃ)もあり、とくに為朝さんは平安時代末期を代表する豪傑であったことから、「武道の神様」ともされています。