季節はずれの話で恐縮ですが・・・、これから先、来年(2024年)のお正月が近づいてきますのでよしとしておいてください。
お雑煮のメインである、おもちですが一般的には、「東日本では角もち」「西日本では丸もち」という傾向があり、大まかに東から「角もち×焼く」「角もち×煮る」「丸もち×煮る」という食文化になるそうです。
こうした文化の違いは、おおまかに地質学上日本列島を東西に分断する大地層帯・糸魚川-静岡構造線(いといがわしずおかこうぞうせん)を境界とする場合が多く見られるようです。
私自身は甲斐国で生まれ育ったこともあり「角もち×焼く」ですが、相方の実家はコテコテの大阪出身で「丸もち×煮る」というものでした。
そもそもおもちの形は、丸もちが正統とされているそうで、お正月の鏡もちは、正月に迎える歳神さまの「依りしろ(依りつくもの)」とされ。丸い形をしていますし、ハレの日に食べるものには、食材に対する感謝の心や願いを込めることが多く、丸い形には、「円満に暮らせますように」という縁起が込められているそうです。ですから、もともとは丸もちが食べられていたといいます。
一方で角もちについては、東日本で武士文化が盛んだった影響があるようです。西日本というか歴史的は、関西を中心に朝廷があり、もともと貴族文化の中心として栄えていましたが、鎌倉時代ころから東日本では武士を中心にした勇壮な気風が生まれました。
角もちは、ついたおもちを平たく伸ばした「のしもち」を切って作ります。これが「敵を討ちのめす」につうじて、縁起がよいとされたというのです。また、江戸時代の江戸の町では暮れの15日を過ぎるとおもちをついていました。商家などでは自分でおもちをついていましたが、一般的にはおもちをつく「賃もち屋」が町内でおもちをついていました。
そして、丸もちを作っていては手間と時間がかかるため、のしもちを作り、それを四角に切ったのが角もちのとして広まっていきました。
ただ、西日本で角もちが広まらなかった一つの理由として、東日本に比べて西日本は気候が温暖で、断面の多い角もちはカビが生えやすいからではないかといわれています。一方で東日本で角もちが主流になったのは、西日本に比べて寒冷なため、丸もちはひび割れたりして保存が難しいといわれているようです。
ちなみに、山形県庄内地方では丸もちが食されており、これは江戸時代に京都や大阪からの北前船の影響だろうと言われています。また、高知県で角もちが食されているのは、遠州(静岡県)掛川から多くの家臣団を引き連れて土佐に入国した藩主・山内一豊さんの影響によるという説があります。
なお、おもちを「焼く」か「煮る」かの違いはよくわからないようですが、それぞれの「出汁」にあったものになっているようです。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
お雑煮のメインである、おもちですが一般的には、「東日本では角もち」「西日本では丸もち」という傾向があり、大まかに東から「角もち×焼く」「角もち×煮る」「丸もち×煮る」という食文化になるそうです。
こうした文化の違いは、おおまかに地質学上日本列島を東西に分断する大地層帯・糸魚川-静岡構造線(いといがわしずおかこうぞうせん)を境界とする場合が多く見られるようです。
私自身は甲斐国で生まれ育ったこともあり「角もち×焼く」ですが、相方の実家はコテコテの大阪出身で「丸もち×煮る」というものでした。
そもそもおもちの形は、丸もちが正統とされているそうで、お正月の鏡もちは、正月に迎える歳神さまの「依りしろ(依りつくもの)」とされ。丸い形をしていますし、ハレの日に食べるものには、食材に対する感謝の心や願いを込めることが多く、丸い形には、「円満に暮らせますように」という縁起が込められているそうです。ですから、もともとは丸もちが食べられていたといいます。
一方で角もちについては、東日本で武士文化が盛んだった影響があるようです。西日本というか歴史的は、関西を中心に朝廷があり、もともと貴族文化の中心として栄えていましたが、鎌倉時代ころから東日本では武士を中心にした勇壮な気風が生まれました。
角もちは、ついたおもちを平たく伸ばした「のしもち」を切って作ります。これが「敵を討ちのめす」につうじて、縁起がよいとされたというのです。また、江戸時代の江戸の町では暮れの15日を過ぎるとおもちをついていました。商家などでは自分でおもちをついていましたが、一般的にはおもちをつく「賃もち屋」が町内でおもちをついていました。
そして、丸もちを作っていては手間と時間がかかるため、のしもちを作り、それを四角に切ったのが角もちのとして広まっていきました。
ただ、西日本で角もちが広まらなかった一つの理由として、東日本に比べて西日本は気候が温暖で、断面の多い角もちはカビが生えやすいからではないかといわれています。一方で東日本で角もちが主流になったのは、西日本に比べて寒冷なため、丸もちはひび割れたりして保存が難しいといわれているようです。
ちなみに、山形県庄内地方では丸もちが食されており、これは江戸時代に京都や大阪からの北前船の影響だろうと言われています。また、高知県で角もちが食されているのは、遠州(静岡県)掛川から多くの家臣団を引き連れて土佐に入国した藩主・山内一豊さんの影響によるという説があります。
なお、おもちを「焼く」か「煮る」かの違いはよくわからないようですが、それぞれの「出汁」にあったものになっているようです。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。