野球小僧

ずっとウソだった / 斉藤和義

「ずっとウソだった」は、2011年3月11日に起きた、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を受けて、斉藤和義さんが自身の楽曲「ずっと好きだった」を替え歌にして作ったカバーソングです。「ずっとウソだった」は、斉藤さんが個人で始めたものです。

斎藤さんは栃木出身であり、1999年9月30日の発生した茨城県のJCO東海村事故(2人が死亡した臨界被曝事故。出身地は事故現場から約65km)があったときも危機感があり、怖さもあり、ふざけんなと思っていたそうです。

「時間がたつにつれ、怒りもおさまってきちゃったりだとか、単純にミュージシャンって、こんなレコーディングしたり、ライブやっても電気はバンバン使うしで、そういうことをろくすっぽ考えもしないでね、きてしまったことに対してのすごく後悔した気持ちもあったし。でも今回のことというのは世界でも稀にみる初のあんなこと(福島第一原子力発電所事故)なわけで、そこに対しては俺は全然文句を言ってもいいと思ってるし、文句を言わないのなら『また同じことを受け入れるのか?』と同じことだと思う」

そして、福島で開催された支援ライブで、こんな歌を届けました。



「とにかくミュージシャンなので、それを歌として、そういう怒りの一つも、なんかそれを歌にできないと思ったら、それはすごい、何ていうか虚しかったし。変にみんなが勝手に自粛して、タブーでもないことをタブー化していって、おかしな空気になっていくっていう。そっちのほうが危険だよって思う」

この唄に込められたメッセージについてはいろいろな意見があるのは当然だとは思います。大切だと思うのは、いろいろな人がいろいろなことを自由に言える、そういう社会であることだと思います。また、大人はそういう社会を作り、守っていかなくてはならないのでしょう。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
もう、6年どころか、もっと昔のような気がしてきたりします。でも、”まだ進行形”なのですよね。

ちょうど福島県内の11市町村に出されていた避難指示が、放射線量が比較的高い帰還困難区域と、福島第一原発が立地する双葉町と大熊町の一部を除いて、すべての地域で解除されることになることもあり、この曲を選んでみました。

誰だって、生まれ育った自分の家に戻りたい。でも、本当に安全かどうか。安全だっていうのであるならば、政治家の皆さんが自主的に住んでみればいいでしょうし、原発が安全だっていうなら、議員宿舎の隣にでも建てたらいいでしょうね。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

あれから6年ですね。(父が倒れて緊急搬送したのもこの日でした。)

昨年震度6弱(かどうかは未だ不明ですが)を体験したので3.11の震度7がどれほどのものだったのか少しだけ、ほんの少しだけ実感できるような気がします。
今朝は朝一でyohooにて「3.11」を検索入力してきました。

斉藤和義さんの歌は存じ上げていません。
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