鎖国とは1639年に始まった、主に江戸時代の日本が外交、貿易を制限し、また国民の海外渡航を禁止した政策およびその状況を指した体制のことです。
ただ、学校で習ったように、鎖国という言葉から想像される「国を鎖した」状況ではなく、一部の国とは貿易していたことから、現在では「鎖国はなかった」「鎖国という言葉は適切ではない」という見方もあります。
江戸幕府が鎖国を行った理由として、キリスト教の普及を恐れたことがいわれています。
スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭・宣教師のフランシスコ・ザビエルさんが1549年に薩摩国(現;鹿児島県)に到着し、その地で布教を開始し、円滑に進めるために大名自身に対する布教も行いました。後から来日した宣教師も同様に大名自身への布教を行っていたこともあって、特に九州地方を中心に爆発的に広まっていくようになりました。
ちなみに、1549年は室町幕府後期になり、15代将軍の足利義昭さんが織田信長さんによって京都から追放される1573年ですから、いわゆる戦国時代の最中です。
布教の見返りに南蛮貿易や武器・弾薬の援助などを提示し、大名は宣教師から多くの利益を得ようと、入信したりしています。これが、いわゆる「キリシタン大名」です。その後、キリスト教の教義や高山右近さんのようなキリシタン大名の人徳や活躍によって、キリスト教が広がっていきます。
一方でキリスト教に入信した大名などにより、神社仏閣を破壊したり、僧侶を冒涜したりすることもあり、仏教や神道を奉ずる大名との間でも対立していくことになっていきます。
しかし、豊臣秀吉さんによって天下が統一されると、余りにもキリスト教徒が増えすぎで危機感を抱き、1587年にバテレン追放令(伴天連追放令)が出され、キリシタン大名に対する政治的な圧力が強まり、多くの大名が改易、もしくは仏教か神道への改宗を余儀なくされ(強制改宗)、キリスト教の禁教と迫害の時代に入っていきます。
さらに1596年に土佐国(現;高知県)にスペインの「サン=フェリベ号」が漂着し、乗組員からの「スペインはキリスト教を通じてメキシコやフィリピンを支配している」という書簡を秀吉さんにあげると大激怒し、キリスト教を拒絶していくようになりました。
そして、江戸幕府に入り、オランダや英国などの国も日本と貿易をするようになりますが、キリスト教も強要してくるスペインやポルトガルがうっとうしく感じ始め、1612年に「キリスト教禁止令(キリシタン禁制、禁令)」を発令します。さらに、決定的な状況になったのが、1637年の「島原の乱」です。島原の乱は、九州西部に位置する島原半島と天草諸島の領民が、藩の圧制や重税に耐えかね、キリシタン迫害への不満も積み重なって起こった、日本の歴史上最大規模の一揆です。
これにより、ついに江戸幕府もキリスト教を認めると島原の乱みたいな暴動が頻発するようになると感じ、鎖国政策に踏み切ったことになります。ちなみにオランダが出島(長崎県)に移転したのは1641年です。
鎖国を行うことにより社会的環境として、「外国の影響を受けづらい」ということにあると思います。逆に考えますと、外国の影響がないだけに、「安定した社会」でもあったと思います。また、日本国内の資源の流失を防ぐことができて日本独自の文化も発展しました。
さて、新型コロナウイルスの変異種発見を受け、日本政府は2020年12月26日に全世界を対象にとってきた2つの出入国緩和策を12月28日から1月末まで一時停止し、感染状況次第で延長する可能性もあると発表しました。一方で中国・韓国など11カ国・地域を対象としたビジネス往来は維持すると発表しました。
2020年の春に続いて、いわゆる「令和の鎖国」第2弾とでもいうのでしょうか。
日本政府は2021年夏の東京オリンピック・パラリンピックで全世界から観客を受け入れようと、出入国緩和を進めてきていました。2021年春にはオリンピック後のインバウンド回復をめざして、感染症対策を施した小規模分散型ツアーの受け入れも検討していました。
「来年の夏に人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として東京で五輪・パラリンピックを開催する」と前首相の録画のように現首相も言い続けていますが、そもそも国民の信頼が得られない中での発言は、ただただ空しいだけだと思えますが。
さてさて、日本はキリスト教が入ってこないようにするために鎖国をしていました。オランダなどとの限られた国との貿易により、海外の技術や文化にある程度触れ合えることができましたが、江戸時代の半ばに欧州で産業革命が起こっていたこともあり、近代化が遅れてしまいました。
しかも、19世紀に入ると世界各国が日本との通商を求めるようになり、ついには1853年に米国東インド艦隊司令長官マシュー・カルブレイス・ペリーさんが、日本の開国と国交樹立の使命を受けて、日本に来航したことによって一気に開国へと進み、1858年に日米修好通商条約が結ばれ開国します。日本は幕末という動乱に突入しながら、ようやく近代化への道を歩んでいくことになったのでした。
そして、江戸幕府が幕を閉じ、明治政府の指導のもと、西洋文化を取り入れた近代化が進み、人々の生活や慣習が変化していった現象を象徴する流行り歌(都々逸)として、「半髪頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」というものがあります。
令和の時代の鎖国政策が終わるときには、日本の為政者の政治家の頭からは、どんな音がするのでしょうか(何も変わらず・・・かな)。
あらためて、2度とこない今日という1日を大事に大切に過ごしたいと思います。
良いことはずっと続き、良くないことには、必ず終わりが来ると信じていきましょう。
今日も、私のブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございます。明日もまた、元気にここでお会いしましょう。