京都市上京区堀川通りに面した場所に晴明神社があります。一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明さんの屋敷跡に鎮座しています。この場所は当時としては都の端になりますが、京都御所から見て鬼門にあたる位置にあり、御所を守る役目を果たしていたようです。
1005年に晴明さんが亡くなると、一条天皇は遺業を賛え、晴明さんは稲荷神の生まれ変わり(晴明さんの母親が葛葉明神の化身・白狐であるという話から来ているもの)であるとして、1007年に屋敷跡に晴明さんを祀る神社を創建しました。当時の境内は、東は堀川通り、西は黒門通り、北は元誓願寺通り、南は中立売通りまであり、かなり広大でした。しかし、度重なる戦火や豊臣秀吉さんの都市整備などにより次第に縮小し、古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きましたが、幕末以降、氏子らが中心となって社殿・境内の整備が行われ、1950年には堀川通りに面するように境内地が拡張されました。
晴明さんの御紋である晴明桔梗印。五芒星とも言われている星形の印です。この形は陰陽道では木・火・土・金・水の相克を象っていて、祈祷呪符の一つです。そのため災難除けやあらゆる魔除けに効果があるとのことです。ですから、晴明神社では本殿を始め、この御紋をいろいろなところで見ることが出来ます。
京都市左京区にある真如堂には「閻魔大王蘇生金印伝」という晴明さんの蘇生伝説があるそうです。それによると亡くなった晴明さんを、不動明王が「まだ寿命は尽きていない」と閻魔大王に掛け合います。閻魔大王は不動明王の願いを聞き、衆生を救う秘印を授けて蘇生させました。閻魔大王に掛け合った不動明王は晴明さんの念持物で、真如堂にはその「不動明王像」と閻魔大王に授けられたという「決定往生之秘印」が伝わっています。この「決定往生之秘印」は、火炎の中に五芒星があるような印。もしかしたら晴明桔梗印は、この伝説に関係しているのかも知れません。
この一の鳥居の額に掲げられた金色に輝いているのが晴明桔梗印です。鳥居の額には、通常、神社名やお祀りしている神様の名前を掲げることが多いのですが、この鳥居には社紋が掲げられており、全国的にも珍しいものといわれます。
晴明神社のお守りにも晴明桔梗印はしっかりと縫われていますので、強力な厄除けのお守りになっています。
スポーツ、あらゆる競技会、資格試験、就職試験に、さまざまな競争相手、そして己に勝つためにということで、勝守を授かって来ました。
授与所の横の絵馬舎には、羽生結弦選手を始め、スポーツ選手や芸能人の方々の絵馬がありました。
菊池雄星選手始め、埼玉西武ライオンズの選手の絵馬が多く、目につきました。
晴明神社は「魔除け」「厄除け」の神社です。御祭神である晴明さんは、天皇から貴族、庶民に至るまで、広くその悩みや苦しみを取り払うことで大きな信頼を得ていました。その信頼は、神様となって祀られた現在も変わらないとのことです。