囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

事典という愉しみ

2021年03月18日 | ●○●○雑観の森

 

 

 

 

【書きっぱなし公開日記(ブログのこと)が性に合っているワケ の巻】

 


江戸時代の中ごろの話である。

漢学者として知られた服部南郭は、

知の巨人たる荻生徂徠の門人で

古学をよくおさめた人物だった。


しかし当時の学者たちは、嫉妬のあまりか、

いたずらに文字の末にとらわれている

と、不愉快に思い、いじめに精を出した。

 

字彙(じい)は

儒者の雪隠(せっちん=トイレのこと)である。

一日もなければならないものであるが

時々その臭気が鼻につくのには

とても耐えられない」などと

罵倒していた、と伝えられる。


         ◇


辞典ではなく、なぜ事典か、といえば、

それは90年も前にさかのぼらねばならない。

昭和6年11月に東京・日本橋の平凡社から

「大百科事典」が創刊された。

社長の下中彌三郎が、それまで用いられていた「辞典」の文字、

すなわちディクショナリーが「」の説明であるのに対し、

エンサイクロペディアは事象現象、いわゆる「」の説明であるとし、

事典」の文字を用いたのが始まり、といわれている。


         ◇


わたしが小4の頃、父の転勤で田舎暮らしになった。

人間より牛や鶏の数が多い土地だったこともあり

家で勉強なんかしない頃のわたしには退屈である。

晴れた日は釣りやスキー、

雨や雪の日は覚えたての囲碁や将棋。

ほかにも細々した退屈シノギに血道を上げる日々。

 

あと一人で出来るアソビといえば

家にある「本を読む」ことくらいである。

その頃には、少年少女文学全集などは卒業していて

父親の月刊誌や十数巻の百科事典を読むのにハマった。

そのクセが生来抜けず、断片的な雑学は得意とするが、

一本筋が通った学究的な話は、いまだに弱いのである。

 

その意味で、この歳になって、書きっぱなしの公開日記

つまりブログという趣味は、妙に性に合っている、

そんなような気がするのである。

気が付いたら、この2年余り、

毎日1~2本欠かさず書いてきてしまったのである。

飽きっぽい性格がちっとも直らない わたしである。

この夏か、秋には、永い休みに入りそうな気配がする。

 

 

 



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