【書きっぱなし公開日記(ブログのこと)が性に合っているワケ の巻】
江戸時代の中ごろの話である。
漢学者として知られた服部南郭は、
知の巨人たる荻生徂徠の門人で
古学をよくおさめた人物だった。
しかし当時の学者たちは、嫉妬のあまりか、
いたずらに文字の末にとらわれている
と、不愉快に思い、いじめに精を出した。
「字彙(じい)は
儒者の雪隠(せっちん=トイレのこと)である。
一日もなければならないものであるが
時々その臭気が鼻につくのには
とても耐えられない」などと
罵倒していた、と伝えられる。
◇
辞典ではなく、なぜ事典か、といえば、
それは90年も前にさかのぼらねばならない。
昭和6年11月に東京・日本橋の平凡社から
「大百科事典」が創刊された。
社長の下中彌三郎が、それまで用いられていた「辞典」の文字、
すなわちディクショナリーが「辞」の説明であるのに対し、
エンサイクロペディアは事象現象、いわゆる「事」の説明であるとし、
「事典」の文字を用いたのが始まり、といわれている。
◇
わたしが小4の頃、父の転勤で田舎暮らしになった。
人間より牛や鶏の数が多い土地だったこともあり
家で勉強なんかしない頃のわたしには退屈である。
晴れた日は釣りやスキー、
雨や雪の日は覚えたての囲碁や将棋。
ほかにも細々した退屈シノギに血道を上げる日々。
あと一人で出来るアソビといえば
家にある「本を読む」ことくらいである。
その頃には、少年少女文学全集などは卒業していて
父親の月刊誌や十数巻の百科事典を読むのにハマった。
そのクセが生来抜けず、断片的な雑学は得意とするが、
一本筋が通った学究的な話は、いまだに弱いのである。
その意味で、この歳になって、書きっぱなしの公開日記
つまりブログという趣味は、妙に性に合っている、
そんなような気がするのである。
気が付いたら、この2年余り、
毎日1~2本欠かさず書いてきてしまったのである。
飽きっぽい性格がちっとも直らない わたしである。
この夏か、秋には、永い休みに入りそうな気配がする。