囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

ラストエンペラーの食卓

2021年03月17日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 

ある中国青年の想い出、古都・天津にて

 ♪ 黄砂に吹かれて さまよう旅は

 ~ 砂の数より いるのにね 旅人 の巻】

 

 

 


社員食堂で、特別メニューとして天津飯が出た。

レジ係のいつも元気いっぱいのおねえさんに

「中国の天津市に天津飯が無いって知ってた?」

と、聞きかじりのトリビアを語ってみたら、

「エエッ~、ホントですかあ。知りませんでした」。

頭の後ろから大声を発し、ノリがいい大坂のオンナーー。

 

 

日本租界の頃からの天津駅は歴史的建造物で、

構内の天井には鄧小平の書が残っている。

地方から出てきたと ひと目で分かる風体の男たちが

甘栗入りの竹カゴをしょって 駅を降り 街に向かう。

街の中心地には、

かの最後の皇帝が暮らした大きな家があり

治世が変わってからは人民のアパートになっていて

庭でたくさんの子供たちが遊んでいる。

 

20世紀末、私は中国・天津に出張で滞在し

現地通訳として雇った中国人青年と仲良くなった。

中国の文化・風習の生の情報を披露してくれる。

天津甘栗」と「天津飯」についても、である。

日本に行ったことはないというが、

現地の専門学校で学んだ日本語は流暢で、

よく勉強し、政治・経済用語にも通じている。

日当1万円は、百貨店店員の月給よりも高い。

 

彼の家は、鉄筋コンクリート造りの中層集合住宅。

おじゃまできないか、と尋ねると、招いてくれた。

一人っ子で、両親と暮らしていた。

土地付き一戸建てを購入するため、

稼ぎのいい旅行会社で頑張ってきたという。

当時、日本円で700万円ほどで買えるといい、

まもなく契約できそうだ、と話していた。

別れ際、彼は「幼い娘さんにお土産です」といい、

赤い糸で刺繍した小さな鞠(まり)を渡してくれた。

 

イデオロギーの違う国であることをしばし忘れたが、

ときおり、彼の声のトーンが変わる時、

制服・私服の鋭い目付きの男の視線を感じることも。

何事もなく帰国できるのか、急に不安になるのは

そんなときであり、日本人の平和ボケを実感させられた。

 

黄砂がやってくるとき、

天津飯をほおばるとき、

4半世紀前の

そんな交流と情景がよみがえってくる。

 

 

 

 

愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ、1906~67年) 大清国第12代にして最後の皇帝、後に満州国執政、皇帝。北京政変で紫禁城を追われ、さらに当初庇護を受けようとしたイギリスやオランダの公館に拒否され、天津の日本租界で日本公館から庇護を受けた。 この縁で、満州事変以降、関東軍の主導で建国された満洲国の執政に就任、帝政移行後の大満洲帝国で皇帝に即位した。満州帝国の崩壊とともに退位し、晩年は植物園の庭師となり、北京で生涯を終えた。

 


天津飯(てんしんはん) 日本独特の中華風料理。かに玉(芙蓉蛋)をご飯にのせて、とろみのあるタレをかけたもの。天津丼、かに玉丼ともいう。 カニ肉入りの玉子焼き「芙蓉蟹」は広東料理だが、中国大陸には、とろみをつけた「天津飯」のような中華料理はない。

 

天津甘栗(てんしんあまぐり) 中国栗を鍋の中で砂と一緒に炒り、ゴマ油と砂糖を加えて炒り上げたもの。糖炒栗子と呼び、中国北部の重要な間食。甘栗にするクリは中国北部・河北省周辺で採れる。甘栗の作り方は、日本も中国も同じ。天津が集産地であったから日本では天津栗と呼ぶが、中国では板栗という。

 

 

 

 



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