【もののあわれ、が表れるということ】
碁石ひとつ、およそ5㌘
碁石入り碁笥ひとつ、およそ1㌔
両手を使えば片手の負担500㌘
これが持てるなら、
碁は打てますし
碁会にも参加できます
碁会に参加できれば
世話人をやったり
碁会場確保の当番をやったり
これらは、誰でもできるのに
なんだかんだ理由をつけて
やろうとしないヒトがいます
権利と義務はワンセットなのに
わたしは代表世話人になった昨春から
碁会場の設営・撤収当番をやめることにしました
参加者が自分で設営して自分で片付けるのが良い
と思ったからです
「公平」を貫けば、どうなるか
93歳も65歳も同じように重いモノを
右に左にしなければならないのです
途中で帰宅したくても
最後までいなければならないのです
用事があれば「設営だけ」「撤収だけ」も
やらねばなりません
これって、
「公平」ですか?
「合理的」ですか?
規則化する意味、
ありますか?
◇
三十年の歴史といえば聞こえはいいのですが
その結果、会則はゴテゴテに装飾されています
新型コロナ到来のおかげで矛盾が明らかになり
さまざまな理由で四十人が会を去っていきました
「さて、どうするか」
「会則をスッキリさせて、やり直すほかない」
と、気合いを入れて
1年前から会則改正の準備を進めてきました
一言居士が多数の「老年の会」だけに
そう簡単に話は進みません
批判や評論が大好物ですが
「先輩がおやりになれば」と振れば
「歳も歳だから」と巧妙に逃げるのです
「それじゃ、対案を出すべし」と釘を刺したのが奏功し
近く四つほどの再生プランが出揃うことになりました
ようやく寝技に持ち込んだ、ようです
もう逃がしません、面白くなってきました
しかし、会則改正はゴールではありません
スタートについた、というだけのことです
ゴールは5年後10年後20年後を担う新人発掘
新しい会則づくりは、受け入れの環境整備なのです
〝皆さんのためだけ〟にやっている?
そんなワケありません
悪しからず
あなたは、次代に有用な何かを残せますか?