徳川三代将軍家光が
柳生但馬守宗矩(たじまのかみむねのり)を従えて
能の見物をした。
その席で、将軍は但馬守に
「観世の所作をとくと見よ。
もし彼の心に隙間があいて
斬れると思ったら、即座に告げよ」
と命じた。
但馬守は、そのつもりで
観世の能を見詰めていた。
やがて能舞いが終わった。
将軍は、
いかがであったか、
と但馬守に問うた。
すると但馬守は
「初めから、その気構えでおりましたが
少しも斬るべき隙がありませんでした。
しかし途中、大臣柱(能舞台の正面右側の柱)
の方で隈(くま)を取った時、
隙があったように思いました。
あのところで斬れたかもしれません」
と、言上した。
一方、観世太夫のほうは、
楽屋に戻ると、
すぐに付き人に尋ねた。
「私の所作を
異様な目で見つめていた見物人があったが
あれは何者ですか」
付き人が
「あれが名高い剣術の達人
柳生但馬守殿です」と答えると
観世太夫は
「なるほど
私の所作を目を離さずしっかりと見ておられたが、
途中、隈を取るところで、ちょっとばかり気を抜くと
ほんの一瞬だが、白い歯を見せられた。
その時、何のことかと不審に思ったが
今、読めた。
名にし負う剣術の達人であるなあ」
と、感じ入ったふうだった。
のちに、
これを聞いた将軍家光は
二人の極意に深く感心したという。
(原典:甲子夜話)
◇
さまざまある名人論のなかでも
そこそこ知られたはなしである。
「ココロの一瞬の隙」を見逃さない。
それが出来るか出来ないかの境目となる。
現代はメダルの色の違いとなるかもしれないが
当時は生か死かの境目だった。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
「葉隠」で特に有名な一節であるが、
全体を理解せず、目的のために死を厭わない
とすることを武士道精神とする誤解釈がある。
そうではなくて、
朝毎夕、いつも死ぬつもりで行動すれば
落度なく家職をまっとうすることができる
としたものである。
柳生宗矩 徳川将軍家の兵法指南役であり、将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の確立者。当時の武芸全般の最高位に君臨した。