【「手広く緩みなく」の巻】
■9~7子を置いてもらう碁は、本当は勝てるものではありません。一つの石は12目前後の価値があるのですから、100目前後もの大差が最初からついている。陸上競技に例えると、スタート地点に逆転不可能な大差をつけている状態。救いは、囲碁は長距離走なので「じりじりと差を詰めることができる」「勝負手を繰り出して大逆転を狙える」ということでしょうか。
■従って、小利にこだわって局面を小さくとらえたり、緩んだ手を打ったりしては、下手を相手にしても勝てるものではありません。「手広く緩みなく」という姿勢は、上手の碁の質も向上させるはずです。
■「追うものの楽しさ」がそこにはあります。追いつけなくとも元々と思えばよろしい。下手が強かったわけですから、気楽なのです。
■では下手はどうすればいいか。
■最初から味方の黒石が多いのですから、数の少ない白を分断して攻めることです。攻めながら陣地を獲得していくことを忘れてはなりません。「守ってばかりで地を稼ごう」とやっていても、勝てませんし、上達もしません。楽しくもありません。
■碁は「陣取り合戦」ではありません。戦いの後で「結果として最後に陣地が多い方が勝ち」です。この辺が「上級→初段となるか、ならぬか」の分かれ目でしょう。
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■今回の本物の碁は、明治期に「名人中の名人」といわれた本因坊秀栄(1852~1907年)と、愛弟子の雁金準一(1879~1959年)の2子局。
■秀栄は、幕末の覇者・本因坊秀和の次男。本因坊家では秀策、秀甫の後に活躍しました。若い頃は秀甫に全然勝てなかったのですが、40歳ごろから才能が開花。明治40年に56歳で死去するまでの十数年は、並ぶものはない「一人横綱」でした。
■秀栄の死去後に跡目争いが起き、最終的には坊門最強の田村保寿(秀哉)で決着します。
■争いに敗れた雁金は棋正社の総帥として、日本棋院との「院社対抗戦」などで秀哉とシノギを削りました。
▼225手完。白2目勝ち
▲整理の要領はもうお分かりですね。
「10目形」「20目形」は、中にある石一つの色で「どちらの地か」がすぐに分かります。少し時間が掛かったとしても、有段らしい整地でいきましょう。棋力は後で付いてきます。
【おことわり】最後の「整地の写真」で、右上スミの石が一つ落ちてしまっています。6目の地です。申し訳ありません。