囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

上級国民は100人に1人

2021年07月01日 | ●○●○雑観の森

 

明治23(1890)年7月1日 第1回衆院議員選挙

明治22年2月11日公布の大日本帝国憲法及び衆議院議員選挙法に基づき、初めて行われた民選選挙。自由民権運動、大同団結運動を経て分裂した旧自由党系の自由党、大同倶楽部、愛国公党の3党や立憲改進党、九州同志会などが臨んだ

 

 

 

カネと選挙と政治の話

~ むかしはむかし、いまはいま、なのか の巻】

 

 

日本で初めての衆院議員選挙は

山形有朋内閣の元で行われた。

いまから百三十一年前のことである。

選挙の模様はおおむね平穏であった。

 


というのも

当時の人口3900万人(北海道、沖縄、小笠原諸島等除く)

に対して、有権者は45万人。1・24㌫だった。

選挙権は満25歳以上の男子

直接国税15円以上を1年以上続けて納めている者

という条件が付いていたからである。

 


はがきが1銭、封書が2銭という物価の時代。

だから富裕層以外、

大多数の国民は立候補も投票も出来なかった。

蚊帳の外だったのである。

しかも住所、氏名を明記し捺印するのが

投票のきまりときた。

秘密投票ではなかった。

 


議員定数は300人であったが

投票箱を開けてみると

政府は仰天した。

民党勢力つまり野党が

過半の170人も当選しているではないか。

 


しょぱなから絶対多数が反対勢力であり

これをもって帝国議会に臨むことになる。

公選の衆議院では成立当初から

乱闘騒ぎがしばしば起きていた。

これにに対し、非公選の貴族院では

そういったことはほとんどなかった。

 

だからといって立法機関の健全性はといえば

どっちも、どっち、だったのではないか。

最初から、ボタンの掛け違いだった。

まったく、いまもいまなら、

むかしもむかし、である。

 

 

 

論語よみの

論語知らずよりか

論語よまずの

論語知らずの方が

余程徳なり

     (浮世床)

 

 

 



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