囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

五輪と宮本武蔵4

2021年08月12日 | ●○●○雑観の森

 

 

宮本武蔵の述作には

「五輪書」のほかにも

「兵法三十五か条の書」

「独行道(どっこうぎょう)」がある。

 

独行道は、自らの生涯を振り返って思想信条を

21カ条の箇条書き形式で定めた短文集である。

五輪書と同じ日付(1645年5月12日)が記されている。

 

 

 

わたしの好きな条文を抜き書きする。

(かっこ内は現代語訳)

 


一、世々の道をそむくことなし

 (古今の道に 背かない)


一、身のたのしみをたくまず
 
 (己れ一身の楽しみに 趣向を凝らさない)


一、よろづに依怙(えこ)の心なし

 (なにごとであれ 他人に依り頼む心を持たない)


一、身を浅く思ひ、世を深く思ふ

 (己の身を軽く 浅く 思い、世の中を重く 深く 思う)


一、善悪に他をねたむ心なし

 (善きにつけ 悪しきにつけ、他人を羨んだり 憎んだりしない)


一、いずれの道にも別れを悲しまず

 (どんな事態に遭遇しても 別れを悲しみ 嘆かない)


一、もの毎(ごと)にすき好むことなし

 (なにごとであれ 好みに溺れない)


一、老身に財宝所持用ゆる心なし

 (老残の身に財宝を所持し用いる心はない)

 

 

 

 

慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦で

19歳のムサシは東方軍の一員として

戦ったとみられている。

 

その3年後に都に上がり

さらに諸国を漂流しながら

さまざまな兵法者と六十余度の勝負をした。

20代はすべて決闘に費やした。

 

最後の勝負は

下関の古戦場「壇之浦」に近い

巌流島における佐々木小次郎との勝負だった。

 

34歳の頃、大坂夏の陣では

徳川方の一員として参戦したほか

50代で島原の乱での働きにより

肥後国熊本城主細川忠利の客分として

七人扶持、合力米十八石を与えられた。

 

一連の述作は、晩年の創作だが

自筆本は伝存していない。

蔵の中から見つかった未整理の奥書を

近現代に整理されたものばかりである。

ブログの古い投稿を掘り出して

加筆・出版したようなものだ。

 

三百数十年後の世の中で

こうして活字になり

広く読まれるようになると

想像しただろうか。

金も地位も無縁だった人生だが

ここに至っては本懐を遂げた

といってもよいだろう。

 

 



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