囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

五輪と宮本武蔵3

2021年08月11日 | ●○●○雑観の森

 


「五輪書」は

ムサシ62歳の秋、

熊本城外の西方にある岩戸山雲厳寺の奥の院

「雲厳堂」に籠って書き始めたもの。

 

死の一年半ほど前のことである。

五輪書の「年つもりて六十」

とあるのは実年齢ではなく

老齢なることの修辞だろう。

 

死期が近いことを悟ったムサシは

戦いを知らない世代の武士に

兵法を伝えるべく述作を試みた。

 

地・水・火・風・空の五つの巻で構成されている。

「兵法を剣術の技だけに限定してはならぬ」

「武士が武士である所以は死を潔くするところではない」

「義理を知り、恥を思い、死を潔くするのは

出家も女人も農民以下の者も同じである」

 

その説くところを鑑みるに、一見凡庸に映る。

しかし一つ一つの実戦において体感したことを

勝つ理を体得すべく明瞭な思考によって分析したる言を

現代の思考基準において軽々に判断してはならぬ。

そこは細部を熟読玩味するだけでよい。

事実や理論を知識として溜め込むのではなく

心持ちに寄り添うのである。

 

ぜひ一読され

希代の兵法家の

いわんとするところを

感じてほしいものである。

 

 

 

吉川英治が昭和10年に連載を始めた

長編小説「宮本武蔵」は

昭和の国民的ヒーローとして

ムサシ人気を圧倒的なものとした。

たゆまぬ刻苦で困難を切り抜け

心身の陶冶に努め

無の境地に至る剣聖であるが

作家自身が語るように

物語における作為された存在であった。

 

実は自筆本としての「五輪書」は伝存しない。

諸写本にも、この書名はない。

福岡藩家老の旧蔵本の表紙に

「二天一流兵法書」とある。

これが武蔵の伝記に由来して

通名として流布したようである。

つまり草稿の状態で藩中枢に与えられ

奇跡的に現存しているようなのである。

 

      ◇

 

昭和最高の知性、小林秀雄は昭和24年

講演筆録「私の人生」で五輪書に触れ、

次のように語っている。

(長文なので〝つまみぐい〟をお許し願う)

(また赤字はブログ管理人が勝手に施した)

 

「武蔵は、いわゆる英雄でも豪傑でもない。

彼の人格や思想の土台は、

十三歳のときから始めた

一度も後れを取ったことのなかつたといふ

六十余回の決闘にあつたに相違なからうが

それだけの事なら何でもない。

私が、武蔵といふ人を偉い、と思ふのは

通年化した教養の助けを借りず

青年期の経験から直接に

ある普遍的な思想を

独特の工夫によつて得るに至った

といふ事です。

これは異常な事だったし

厳密にいえば不可能な事でもあつた。

彼の性急な天才は事を敢行して了つたのである。

『五輪書』は作者が言ひたかった事を

十分に云い得た書であるかどうか疑問だが

言わばその思想の動機そのものは

まことに的確な表現を得てゐる」

 



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