囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

バトルロワイアルでいいのか

2021年08月04日 | ●○●○雑観の森

 

 

【そろそろ「大会」のあり方を考え直してはどうか

 ~ 金太郎アメのような大会運営を再考せよ! の巻】

 


新型コロナ禍の囲碁同好会で例会参加者が低迷している。

会場の「密」防止のため、人数制限をしているのが主因。

碁会場に行っても「打てるかどうか保証されない」のなら

足が遠のくのも当然である。

 

三十年の歴史のなかでやってきた大会や旅行などの

「お楽しみ企画」が開催できないもの大きい。

「ただ打つのが好き」というヒトだけが

ぼちぼちやってきて、1局、2局のんきに打っている。

わたしは「心静かに打つ」のが好きで、

これはこれで十分なのだが

百人規模の会に求めるモノは

人それぞれなのである。

 

さて、同好会の企画行事といえば

まずは定番の「囲碁大会」である。

全国各地、どこでもやっているが

これがまた、判で押したように同じスタイル

 

半年単位ならリーグ戦だが、

1日でやるならトーナメント戦になる。

まず「集まる」、そして「組み合わせ抽選」

何局か勝ち抜いていくと、多くが負けて

最後に優勝者、準優勝者が決まる。

 

これはこれで構わないが

優勝者だけが愉しい一日で

残りの人はブスッとする――。

つまり金メダルを決めるのが「大会」なのだ。

あるいは銀か銅のメダリストを決めて

あとはサヨナラということになる。

 

プロ大会や五輪などはこれで結構だが

親睦目的の同好会になじむようなことか?

はなはだ疑問に思ってきた。

 

大会では

「待った=打ち直し」などズルをする者もいたり

細かなことだが当事者にとっては大事なことで

言い争いが起きたり、という風景もある。

 

これじゃ親睦とは逆のベクトルではないか。

そうして、いつも勝つヒトがいて

いつも負けるヒトがいる。

 

同好会はこうして

有段者が会に残り、級位者は去って行く。

高段者の多くは置かせ碁は好まず

いつまでも級位者は置き去りである。

 

むろん勝負事であるから

何を寝ぼけたことを言っとる

と、お叱りがあるかもしれぬ。

だが、そう言わず、

立ち止まって考えても

いいではないか――。

 

 

         ◇

 


さまざまな批判と賛美に彩られた東京五輪。

あっという間に残り少なくなったが

記憶に残る名シーンが随所に現われ

心のビタミンになっている。


わたしが強く印象に残った光景の一つ。

「個人」初の銅メダルを獲得した彼女が

受け取った花束を、もう一人の銅メダリストに

先に渡したシーンである。


大きく取り上げられたワケではないが

これこそが表彰台での「美技」である。

彼女は「金」がほしかったし

「金」の演技をしたが

結果は、「銅」だった。

 

怪我と不調をくぐり抜け、その先に

栄冠に輝いても尊大になることなく

笑顔と感謝の言葉が自然と出る。

選ばれし者はこうでなくては

ならぬ、という見本である。

 

そして「大会」をやる意義は、

こうした一瞬一瞬にある

と、わたしは思うのである。

勝者と敗者、その陰影がドラマをつくる。

 

だが、それでもなお、

市井の同好会ならばノンビリ

のんきな一日一局のような

企画があっても悪くないのではないか。

こちらは商業主義とは無縁なのだから。

 

 

バトルロワイアル   大規模な乱戦のこと。「王の」「王室の」を意味する言葉が語源。カタカナ表記は「ロイヤル」が英語、「ロワイアル」がフランス語の発音が由来。



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