囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

妖しい囲碁妙語㊦

2020年04月30日 | ●○●○雑観の森


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ブログ初段・のんのん碁楽ジイの戯言ぢや ~ 「いまを生きる」とは、ひとり荒野をゆく、とみえたり の巻】

 


■名誉三冠の小林光一(67)と

名誉名人・二十五世本因坊の趙治勲(63)は

木谷実門下の兄弟弟子で、ともにシノギを削り

一時代を築いた好敵手である。

 

四半世紀前の話――。

 

本因坊戦七番勝負が終わった後、

「趙さんと僕の碁は誰にも分からない。

分かっているのは二人だけ」

と小林が漏らしたことがある。

 

「分かる」

「分からない」

これは、一体、どういうことか。


■わたしが大事に想っている本拠地同好会では、

最も強いヒトは十段格、弱いヒトは8級。

広い会場の中で、入口近くに高段者が陣取り、

奥には級位者同士が固まっている。

その間には初二段、といった具合に

自然発生的にゾーン分けが出来ている。

趣味の会だから上下関係無縁の

フラットな世界のはずなのだが、

実際は「強い弱い」で「棲む世界」が違っている。

 

弱い方が強い方に対局申し込みする際、

「一局、教えてください」と言う。

その逆は「よかったら、やりましょか」である。

ここにも“上下関係”が見て取れる。

(その点、地域碁会四段はどちらとも交流できて楽しい)

 


■だが精神文化の範疇である「分かる」ことと

技術力の優劣による「強いか弱いか」ということは、

必ずしも同じ地平で語れないはずである。

 

わたしのように囲碁の中核にではなく

その周辺を漫歩しているようなヘボも

アマの中には少なからずいる。(はずである)

 

「おうち時間」が生活の中心になった今、

技術の修練に時間を割けばいいのだが、

相変わらず妙なことばかりに興味がゆく。

わたしの場合は「言葉遊びの世界」である。

 

「仕方あるまい。外堀から埋めるか」

そうやって、ひとりごちる日々を

変わることなく過ごしている。

 

日暮れて、高段(五段以上)への道、遠し。

 


         ◇

 

 
馬齢を加うとも命あっての物種さ

学ぶことは楽しい? 面倒くさい?

さて、そこもとは、どちらかな?


 
あたかも「井の中の蛙」のごとく

自分の住んでいる一国よりほかは

さっぱり知ろうとしない者がいる

悲しい哉“いっこく者”のララバイ

 

他人の意見などに一切耳を貸さず

狭量にて我が意ばかり張っている

そのような頑固者を指す時の言葉


 
江戸城で居並ぶ田舎大名を指して

「一っこくな人ばかり居る大広間」

徳川の世でも使われた痛烈な皮肉


 
地域同好会ばかりで打っていないで

碁会所やネット碁の道場破りも一興

痛い目に遭い、腕を磨いては如何か

 

今更 一国一城の主でもあるまいに

対話機会と自問自答を疎かにせず

群れから離れ、ひとり荒野を行け

 

そんな硬骨老人に

わたしはなりたい

 

 

 

 

 

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