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【ブログ初段・のんのん碁楽ジイの戯言ぢや ~ 「いまを生きる」とは、ひとり荒野をゆく、とみえたり の巻】
■名誉三冠の小林光一(67)と
名誉名人・二十五世本因坊の趙治勲(63)は
木谷実門下の兄弟弟子で、ともにシノギを削り
一時代を築いた好敵手である。
四半世紀前の話――。
本因坊戦七番勝負が終わった後、
「趙さんと僕の碁は誰にも分からない。
分かっているのは二人だけ」
と小林が漏らしたことがある。
「分かる」
「分からない」
これは、一体、どういうことか。
■わたしが大事に想っている本拠地同好会では、
最も強いヒトは十段格、弱いヒトは8級。
広い会場の中で、入口近くに高段者が陣取り、
奥には級位者同士が固まっている。
その間には初二段、といった具合に
自然発生的にゾーン分けが出来ている。
趣味の会だから上下関係無縁の
フラットな世界のはずなのだが、
実際は「強い弱い」で「棲む世界」が違っている。
弱い方が強い方に対局申し込みする際、
「一局、教えてください」と言う。
その逆は「よかったら、やりましょか」である。
ここにも“上下関係”が見て取れる。
(その点、地域碁会四段はどちらとも交流できて楽しい)
■だが精神文化の範疇である「分かる」ことと
技術力の優劣による「強いか弱いか」ということは、
必ずしも同じ地平で語れないはずである。
わたしのように囲碁の中核にではなく
その周辺を漫歩しているようなヘボも
アマの中には少なからずいる。(はずである)
「おうち時間」が生活の中心になった今、
技術の修練に時間を割けばいいのだが、
相変わらず妙なことばかりに興味がゆく。
わたしの場合は「言葉遊びの世界」である。
「仕方あるまい。外堀から埋めるか」
そうやって、ひとりごちる日々を
変わることなく過ごしている。
日暮れて、高段(五段以上)への道、遠し。
◇
馬齢を加うとも命あっての物種さ
学ぶことは楽しい? 面倒くさい?
さて、そこもとは、どちらかな?
あたかも「井の中の蛙」のごとく
自分の住んでいる一国よりほかは
さっぱり知ろうとしない者がいる
悲しい哉“いっこく者”のララバイ
他人の意見などに一切耳を貸さず
狭量にて我が意ばかり張っている
そのような頑固者を指す時の言葉
江戸城で居並ぶ田舎大名を指して
「一っこくな人ばかり居る大広間」
徳川の世でも使われた痛烈な皮肉
地域同好会ばかりで打っていないで
碁会所やネット碁の道場破りも一興
痛い目に遭い、腕を磨いては如何か
今更 一国一城の主でもあるまいに
対話機会と自問自答を疎かにせず
群れから離れ、ひとり荒野を行け
そんな硬骨老人に
わたしはなりたい
*・゜゚・*:.。..。.:*・'☆'・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..・◯
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