ひとつの五輪が終わり
もうひとつの五輪がはじまる
それにちなんで
わたしが愛読する「五輪書」のはなしを
ひとつ――
* * *
この書を語るため全体の序文ともいうべき
最初の「地の巻」の書き出しを引用する
原文
兵法の道、二天一流と号し、数年鍛錬のこと、
はじめて書物に顕(あらは)さむと思ひ、
時に寛永二十年十月上旬の頃、
九州肥後の地、岩戸山に上り、
天を排し、観音を礼し、仏前に向ふ。
生国播磨の武士、新免武蔵守藤原玄信、
年つもりて六十。
(以下、割愛)
訳文
わが兵法の道を二天一流と称して、
多年鍛錬してきたところを、
初めて書物に書き付けようと思い、
寛永二十年(1643年)十月上旬の頃、
九州肥後国岩戸山に登り、
天を拝み、観世音菩薩を礼拝し、
如来の御前に向かった。
播磨国生まれの武士、
新免武蔵守藤原玄信、齢六十。
わたしは若い頃から兵法の道に心懸け、
十三歳で初めて勝負をし、
新当流有馬喜兵衛という兵法者に勝った。
十六歳、但馬国秋山某という力の強いことでしられた
兵法者に勝ち、
二十一歳、都に上り、諸国から集まった兵法者に出会い、
数多くの勝負をしたが、
勝ちを得ないことはなかった。
(中略)
その後、勝つ理をさらに深く体得しようと
朝に夕に稽古を積み、
自ずから兵法の道を体得したのは、
五十歳の頃であった。
それ以後は、尋ね求めるべき道がないままに
月日を送った。
兵法における勝つ理に身を委ねて
さまざまな武芸を習得してきたので、
それらの武芸において格別指南を乞うた師はいない。
今、この書を書き付けるにあたっても、
仏法や儒学の言葉を借りず、
軍記や軍法書の故事も借用しない。
わが二天一流の兵法の捉えかた、
兵法の本来のありようを明らかにすべく、
天と観世音観音を鏡とし、
十月十日の夜明け、
筆を執って書き始める。
以上が「地の巻」の書き出しである。
水、火、風、空の五輪の各巻で
兵法の極意がこと細かく展開される。
◇
希代の兵法家の遺徳をしのぶため
京都・白川通から少し奥に入り
剣豪ゆかりの地を訪ねた。
そのリポートは次回に――。