【極みの棋譜の巻】
■呉清源の碁をもう一局。
埼玉県大宮市「いずみ荘」で1953(昭和28)年12月7、8日
「挑戦三番碁」第1局
先番 岩本薫
呉清源
285手完、持碁
先番 岩本薫
呉清源
285手完、持碁
■白8の広いハサミ、黒9のツケから、ややこしいことになりました。
■白は数目の地を持って生き、黒は外勢の分かれです。
■白12のアテは縮こまっていて白が悪いといわれていました。呉が打ち始めてから評価が変わり、白よしといわれるようになったそうです。
■「定石は互角の分かれ」といいますが、もう少していねいな説明が必要ではないでしょうか。先着している石があるわけですから「互角」とは「同じ成果」の意味ではないと思います。
じょうせき 囲碁用語。布石の段階で隅に現れる形。双方最善を尽し,互角に分れて一つの基準になったもの。基本的な形を基本定石,手数が多くむずかしい変化を含むものを難解定石,新しいものを新定石などという。(ブリタニカ国際大百科事典)
いわもと・かおる 1902(明治35)年~99(平成11)年。第3、4期本因坊で「本因坊薫和」と号する。中盤の戦いに強く、序盤に散在させた石を次第に関連させ圧力をかける碁風から「豆まき碁」と呼ばれた。71歳で名人戦リーグ入り、10年後に現役引退。日本棋院理事長も務め海外普及に尽力。私財を投じた岩本基金でサンパウロ、アムステルダム、ニューヨーク、シアトルの囲碁会館設立に貢献した。