【「まじない」と「いがく」の間に横たわるもの の巻】
仏の顔も三度まで
【読み】ほとけのかおもさんどまで
【意味】どんなに温厚な人でも、何度も無礼なことをすれば怒り出すことのたとえ
東京に4度目の緊急事態宣言
オオカミ少年も4度目ならば……
もう誰も あなたの言葉を信じない? 信じる?
* * *
インフルエンザという病名は
長すぎるので読みにくい
そこで流行性感冒を略して
「流感」と呼ぶようになった
また明治時代までは
「お染風」というような
俗名が巷で使われていた
江戸時代にさかのぼってみると
お駒風(安永5年=1776年)
お七風(享和2年=1802年)
琉球風(天保3年=1832年)
アメリカ風(安政元年=1854年)
なんてのもあった
その後、明治22年には欧米で
インフルエンツアが大流行した
神戸と横浜に上陸したのは
翌23年の初めだった
2月には横浜居留地で
外国人感染者は20人になった
5月には東京府内に及ぶに至り
「はやり風の神さま」と呼ばれて
首都は恐怖の坩堝(るつぼ)と化した
明治になってからは
流行のあまりの速さから
「電光感冒」ともいわれたが
一般にはまだ
「お染風」が使われ続けた
由来は諸説あるが
「伝染病の『染』の一字を取った」
のが、おさまりがよろしいようだ
ところが歌舞伎「新版歌祭文」の
お染久松を連想させたことから
お染が嫁入りを嫌がった「山家屋」など
の文字を門口に貼る「まじない」も
行われた
インフルエンザのウイルスが
発見されたのは昭和8年であり
当時は予防接種など考えられなかったので
そんな「まじない」を信じる向きも
少なからずあったのだろう
しかしながら
科学万能の時代になったからといって
人間の知見に限界があるのは
今日も否定できない事実でもある
いま流れるニュース映像でみえる
百家争鳴のカオスの様相は
致し方ないとしても
玉石混交であることを
肝に銘じておきたい