アマ初段だった藤沢周平は
業界紙記者・編集長時代には
昼休みに同僚と碁を打っていた
相手は五段格であり
取りつかれたように
早碁で挑む
午後の仕事の時間にずれ込むこともあり
社長もずいぶん困ったらしい
やがて碁敵は転勤となり
好敵手を失った藤沢だが
碁にのめり込むこともなくなり
街の碁会所や文壇碁大会で
時折愉しむようになったという
遠藤展子著「父・藤沢周平との暮らし」(新潮社)より抜粋
囲碁は、父にとって、賭けごとではなく勝負ごとでした。目碁(めご)といって、一目いくらとお金をかける賭け碁もあるそうですが、父には関係ないことでした。
囲碁はもともと療養中に覚えたようです。清瀬の都営住宅に住んでいた頃には、住宅団地の囲碁大会に出て優勝したり、大泉学園に引越した昭和五十一年(一九七六年)頃には、日本棋院で初段の免状を頂いたりもしました。
その後はもっぱら編集者の方に相手をしてもらうか、大泉学園の駅前の碁会所に通うかしていました。碁会所に行く時間もないときには、家でひとり胡坐をかいて、左手に本を持ち、黙々と碁盤に向かっています。昼寝をしているのかなと思って、父の昼寝部屋をのぞくと、厳しい顔をして碁を打っている父を目にしたこともあります。