【碁を打つことと、書き物をすること、との関係】
藤沢周平の小説に
「碁を打つ」場面が
ときどき出てくる
お気に入りの短編から
ひとつだけ紹介したい
碁を打っている者にとっては
「どこにでも実際にあったろう」
と思わせるシーンである
◇
■「切腹」(オール読物 昭和58年2月号初出)より抜粋
不意の争いは、
その碁から起きた。
めずらしくひまがとれた、
と甚左衛門が訪ねて来て、
まだ日があるので酒は後にしようと、
碁になった。
そのころ二人は、
囲碁に熱中していたのである。
棋力は助太夫の方が少し上で、
甚左衛門がほとんど追い付くところまで来ていた。
「その石、ちょっと待て」
と助太夫が言った。
甚左衛門が打った一石で、
助太夫の一群の白石が死んだところだった。
「いや、この石は待つわけにはいかぬ」
と甚左衛門は言った。
「待てば、わしの石があぶない」
「しかし、この手があったのだ」
助太夫は、甚左衛門が置いた石を
盤面からつまみ上げると、
その前に打った自分の一石を音高く打ち直した。
それで逆に甚左衛門の黒石が死んでいる。
(後略)
◇
この後、二人は刀をつかみ、
碁盤をはさんで、にらみ合った
そして、斬り合いに至らないものの
しかし、絶交する
二十年の時が流れ、
親友・助太夫の「待った」を
許さなかった甚左衛門は
藩政上層部の不正をあばこうとする
だが権力者の奸物から逆襲を受け
自裁を余儀なくされるのである
碁のちょっとした所作を伏線として
構成を組み立てるあたりが
アマ有段の物書きならでは
の観察眼と想像力といえよう
書くことは考えることだ
と、改めて思う次第である