【余は如何にして非戦論者となりし乎の巻】
■朝から、セミの声に包まれている。
■「101回目の夏の甲子園」の開幕日は8月6日。
■「8・6」、そして「8・9」「8・15」がまたやってくる。
■戦争を知らないわたしにとっても、夏は「光と影」に彩られた季節である。
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■妻の両親は「大陸」で出会った。
■軍医付きの看護婦長と、学徒出陣の衛生兵班長。殺伐とした野戦病院の日々にあって、高嶺の花を射止めた強運の持ち主は、若い衛生兵だった。青春は戦場にあった。
■「歩兵第36連隊」の一部が沖縄に転戦する直前、マラリアを発症した衛生兵は独り足止めをくらう。激戦地に送られた戦友たちは皆、死んだ。
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■平和の時代が始まった。
■嫁いでまもなくクリスチャンになった義母。義父もまた晩年に洗礼を受けた。世話好き、話し好き。戦友会や老人会の幹事を進んで引き受け、真夏に集まる孫たちに戦地の体験的実相を語った。 夏の甲子園のTV中継は、いつもつけっぱなし。もっぱら少年たちのひたむきなプレーを楽しんだ。
■二人を相次いで亡したのは、ひとむかし前。子と孫たちの「いつもの夏」は、そこで途絶えた。孫は30~20代になり、そのうち何人かは「二人のひ孫」を育てている。
▼今年の夏の甲子園も「8・6」に開幕する。昨日、出場49校が出揃った
♪ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
お父さんて呼んでみたい
お父さんどこにいるの
このままみどりの波に
おぼれてしまいそう
夏の陽ざしのなかで
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
お父さんて呼んでみたい
お父さんどこにいるの
このままみどりの波に
おぼれてしまいそう
夏の陽ざしのなかで
<詞・曲 寺島尚彦>