ラ・ロシュフコー箴言集より
話をしあう場合、
ものわかりがよくて
愉快げに見える人は
実にまれである。
それは人々の十の八、九が
相手の話をよく聞こうとするより
そういう人の眼のうち
心のうちには ただ漫然と
相手の話に耳を傾けながら
自分の言おうと思っている所に
一刻も早く話を落とそうとする
気ぜわしさが垣間見られる。
そういう人は
自分を満足させようと
あせることが
他を喜ばせたり
説得したりするには
拙策であり
よく聴き、よく答えることが
話をし合う場合の
立派な態度であることを
あんがい知らないのである。
◇
「舌」で「言う」から
「話」という文字になった。
相手の話は右から左に素通り
自分が一方的に話してしまう
という人が大勢いる。
相手の話など どうでもいいとなれば
自分の意思を相手に通すことなどできない。
二人の態度が不十分であり
ココロを通わせられない。
「話し上手より聞き上手」
できそうで
できないものである。
「会議は踊る されど会議は進まず」
百家争鳴にして
トンチンカン
なにも決まらない。
絡み合いか、百年の孤独か。
【百家争鳴】 多くの学者が自由に自説を発表し論争すること。1956年に中国政府が「百家斉放」と併せ提唱したが、その結果、共産党批判が起こったため、反右派闘争に転じた。<広辞苑>