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囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

京も宝探し/おまけ

2020年07月15日 | インドア・アウトドアにて

 

1.<客>
富士の高嶺に 降る雪も
京都先斗町に 降る雪も
雪に変りは ないじゃなし
溶けて流れりゃ みな同じ
 
2.<芸妓>
好きで好きで 大好きで
死ぬ程好きな お方でも
妻と言う字にゃ 勝てやせぬ
泣いて別れた 河原町

 

お座敷小唄  昭和39(1964)年
 詞:不詳
 曲:陸奥明  
 歌:和田弘とマヒナスターズ

 

 

2020年夏 鴨川あたりをそぞろゆく ~ 君の名は。ノスタルジー の巻】

 

鴨川の東側を南北に走る京阪電車が

地下に隠れてから随分と経つ。

高校の修学旅行で夜の散歩をした時、

右岸(西岸)河川敷から見上げた光景は

電車や南座などの灯りがきらきら輝いて

「都会だなあ」と感心したものだ。

今は電車も駅も全て地下に収納され、

遊歩道もきれいに整備されたのだが、

喧騒とともに情緒も薄れたような気がする。

一方、右岸の骨格はそう変わっていない。

河川敷に座って東山の景色を眺めるという

夕暮れの過ごし方の定番も失われていない。

 

         ◇

 

今回は祇園から河原町、寺町界隈を取り上げたが、

「その間」も、ちょっとだけ触れておきたい。

左岸の道は割と交通量が多い川端通だが、

対岸の右岸には「路地」しかない。

先斗町は歩行者がすれ違うのもやっとの小径。

だがしかし日本で最も有名な細道である。

従兄の案内で下宿探しをした日に

最初に入った喫茶店が「栞(しおり)」。

東窓から鴨川と比叡山が見渡せた。

あれから半世紀近くが経って、

純喫茶も音楽系喫茶(ジャズ等)も

ほぼ姿を消した。

朧げに、記憶の中に存在している。

 

 

ぽんとちょう 京都の花柳界の一つ。祇園町と並び称せられる。江戸の寛文十(1670)年に鴨川西岸三条通より四条通一町下る間に、あたらしい町ができて、これを新河原町といい、四条以北を先斗町と呼び、四条以南を西石垣(さいぜき)と呼ぶようになった。東側の鴨川べりにだけ家が建てられ、西側すなわち高瀬川方面に家屋がなかったので先斗(さきばかり)といったのである。なぜポントチョウと読むようになったかは不明だが、安土桃山時代にあった南蛮寺にちなんだのではないかとされる。ポルトガル語でという意味である。ここが花街になったのは文化十(1813)年からとされ、毎年5月に演ぜられる鴨川踊は祇園町の都踊とともに古都の華である。

 

 

身に染みぬ京の夜寒と賀茂川の

     千鳥のこゑと君がなさけと

                                吉井 勇

 

 

 

▼三条大橋東詰から川端通沿いを四条大橋に向かって歩く。最初に橋が架けられた時期は室町時代といわれる三条大橋。その後、東海道五十三次の西の起点となり、幕府直轄の公儀橋に位置付けられた。元禄、明治、大正に架け替えがあり、昭和25(1950)年完成の鋼単純H型橋が今の姿

 

▼左に先斗町歌舞練場。今や春の風物詩となった「鴨川をどり」は五花街で催される“をどり公演”の中でも最多上演回数を誇ってきた。明治5(1872)年に創演

 

▼出雲阿国(いずもの・おくに、1572年~没年不明)は安土桃山時代、河原で「ややこ踊り」を披露して喝采を浴びた。これを基に「かぶき踊り」を創始した。これがさまざまな変遷をみて現在の歌舞伎に発展した

 

▼右奥が日本最古の歴史と伝統を持つ劇場「南座」。歌舞伎を中心にした公演を行ってがいる。毎年11月末~12月末に行われる吉例顔見世興行は年の瀬の京都の風物詩。左は大正5年創業の洋食「菊水」

 

▼四条大橋から北山を望む。橋は最初、永治2(1142)年に勧進により架けられた。現在の橋は洪水被害を受けて昭和17(1942)年に完成した鋼桁橋。北東に出雲阿国の像、南東に南座があり、南西にはウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の装飾建築「北京料理 東華菜館」。北西は江戸前鰻と京懐石の「先斗町 いづもや」

 

 

 



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