Day by Day

明日は晴れるかな

旧・統一”協会”に関する声明文

2025年03月10日 | 進学校の算数

コレや

統一協会の彼らは、キリストの教えについて異端的に曲解するにとどまらず、彼らによる、あるいは彼らの末端による現場での追いはぎ、金銭収奪について、「信教の自由」を持ち出しては彼ら全体の正当化を試みている。それは、法すら侮辱してるといえよう。はっきり言っておく。彼らを差別してはいけないが、彼らが死んで地獄に行くことと、その「彼らが差別されない」こととは無関係だ。誰にでも分かる。

欲望とは恐ろしいもので、彼の野心は、彼自身をマルティンルターにすら仕立て上げたいのだ(笑)

熱く痛い地獄w

2025年03月10日 | 進学校の算数
聖書の後半に、「ならず者は生きたまま炉に投げ込まれる」というくだりがある。これが私の死生観のうち、地獄に該当する部分を形成している。あと、

原爆も。私は実際に被爆したわけではないが、日本では「三たび許すまじ」と平和教育が徹底されているだろう。日本に再度原爆が落ちることはないと思われる。ヨーロッパ(ウクライナを含む)を別にして。だが、それを他人事とも思われないようにも教育を受けている(笑)


ところで、サルトルがいうには、ある寒村でのこと、臨終間際の汎神論者に対してどれだけ回心を説得しても応じなく、それにとても困っている司祭がいて、「なんなら私が」とそれを見かねたド・ロルボン氏が代わって部屋に入ったらしい。そしたら、間もなく出てきては司祭に説得適った旨を告げると、司祭は「一体どのようにして?!」と驚き氏に訊ねたらしい。

「なんてことはなく、地獄の恐怖を説いてやったまでですよ」とあっけらかんと答えたらしい。とはいえ、その(まったく興味深い)地獄についての描写(内容)は見られなかった。読者の地獄観ひいては死生観にお任せします、といったところだろう。

たとえば、審判には、頭には角が10本、口には牙が20本、お顔にヒゲは千本、ライオンとトラとシャチとタカをたしたような表情をしている鬼が控えている、などと聖書ではその量で読者を脅し戒めようとしているところも垣間見られる。だが、こう規定されてしまえばそう怖くはないものだ。

アレは人員数だな。悪事の数でもあろう。たくさんいてあるに違いない(笑)

アイデンティティ

2025年03月10日 | 進学校の算数
私には、親が担保となる生まれながらにしてのキリスト者として、そして武道の有段者としてのサムライのアイデンティティがある。それは私を分割もしなければ、私の中で互いに競合もしない。このように考えることは、フリーメイソンである<私>の自由勝手だ。

遺書

2025年03月10日 | 進学校の算数
書いたことあるか。私ハ、休息あるいは安息日を重んじる。安息日とは、神への奉仕の日だ。「お疲れさまでした!」とね。

生き急ぐことほど愚かしいことはあるまい。生き急いで何になるか。言い訳がましい汚名を残すだけだ。モスキートコーストを観なさい。ミッションを観てる場合ではないだろう。残念ながら、残念な知らせだが悪しからず。

彼は、野心豊かなヒットラーと似てる。ヒットラーはドイツを動かし世界を恐怖に陥れたが、彼では統一協会の枠組みでのハッタリだ。異端中の異端的解釈しており、それはよちよち歩きのおぼつかないものだ。つぶしてしまえ。なにをいっても、なんでも返しては必ず落とす。

ところで、私は遺書など書いたことないが、毎日書いている手合いも見かける。「今日明日死ぬ気でやってます!」と、南方さんでもないのに美徳にもいうだろう。なんでもいう手合いでは。

私の父は、死期が迫った病床で洗礼を受けた。私は、それを耳にしてホントに驚いた。奇しくもサルトルがいったように、人間は死期が迫ってはそれを自覚し、そして死んでは地獄に落ちることに恐怖するようだ。もう少しいうと、死ぬことを恐れない人間はいるだろうが、死んだ後地獄に落ちることを恐怖に思わない人間はいない、ということになろう。地獄とは熱く痛いところらしい(笑)