忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

文化のわからぬ野蛮人(だばだ~♪

2012年01月22日 | 過去記事






「礼拝所不敬罪」という罪がある。これは刑法188条に規定され、神祀や仏堂、墓地などで公然と不敬な行為をした場合、6月以下の懲役または禁錮、もしくは10万円以下の罰金が科される。原爆慰霊碑の 「過ちは繰り返しませぬから」をペンキで消した奴もこの罪となるが、もちろん、そんな慰霊碑を作って喜ぶ連中の罪はもっと重い。

少し前、台湾の女性立法委員が書類送検されたのがコレになる。「高金素梅」とかいう女で父親が中国安徽省出身の半分「外省人」だ。だからレンホウと同じく、ちゃんと北京に留学もしている。この女が何度か靖国神社で暴れた。2009年8月にも「(台湾先住民族戦没者の)合祀をやめろ」と書いた横断幕を持ち、数十人のイカレポンチを引き連れて礼拝堂に押し入ろうとした。職員にも軽傷を追わせている。

台湾国内でも頭のおかしい行動は収まらない。2004年には台北県烏来郷にある「高砂義勇隊慰霊碑」を撤去しろと騒いで困らせた。高砂族の兵士も迷惑だったろうが、その「元義勇兵」という生き残り、つまり当事者が馬鹿なことは止めろと抗議したら「奴らは日本の奴隷化教育を受けた連中」だと非難した。日本を貶めることができるなら同胞もヘチマもない。自分が支那共産党の支那人化洗脳を受けている自覚もない。

また、靖国神社であるが、昨年12月には放火までされた。神門にガソリン撒いて火をつけたのだという。同じ罰当たりでも放火となれば日本人ではないだろう、と思っていたら「韓国語で韓国バンザイと叫ぶ不思議な中国人」が韓国で捕まった。こいつは年が明けた8日にもソウルの日本大使館に火炎瓶を投げていた。もちろん、日本は引き渡せとやったが、石原慎太郎は「もっと怒るべき」だと言っている。たしかにそうだが、それは「~べき」というか、怒るモノなのだろう。

喩えてみるとわかりやすい。辻元清美がアーリントン墓地に眠る数十名の「日系人」を返せ、へこたれへん!とかやったとする。これは国際問題になる。アメリカ人は激怒する。あるいは鳥越俊太郎がヤケになって、イスラムのどこかのモスクを燃やしたとする。これもたぶん殺される。でも、日本人は靖国神社に放火されても世論は沸騰しない。

もちろん、怒ってはいる。なんとも罰当たりな、と嘆く人もいる。しかし、それは道を歩いていたらお地蔵様に小便をしている馬鹿を見つけたときの如く、若干、その対象者を哀れんで見下げ果てることで済ませてしまうところがある。無論、その馬鹿が立ち去った後、お地蔵様を丁寧に洗い、あんなのが出歩くようになったんですね、怖い世の中になりました、と語りかけることくらいはする。

日本人は「鳥居」を描かれただけで立ち小便もままならない。もう、どうしようもない場合でも、そのまま横にずれ歩き、どうしても「鳥居」を避けてしまう。気にしない、というのは無理な話だ。しかし、世界にはそうではない民族も少なくない。



アメリカは名古屋城も空襲して燃やした。明治神宮もやった。表参道は火の海となった。津市の国宝である観音寺本堂も大宝院も西来寺も関係ない。大垣城や開闡寺も知ったことではない。松山城にも焼夷弾が降った。京都御所も燃えた。アメリカ人が日本の文化財や歴史的建造物を守る?笑わせてはいけない。カーチス・ルメイは「自分の昇進」と「米陸軍航空隊発足記念」を祝うためだけに、1945年8月1日から2日まで水戸、八王子、長岡、富山に焼夷弾を降らせた。富山は市街地の99.5%が燃えた。これはもう全部である。死者2737名、負傷者7900名、罹災者は109592名、これは地方都市最大の被害を出している。


先導機が大型の焼夷弾を落とす。ナパーム弾だ。津波のような火炎が伸びる。直撃を免れた人々は家から飛び出して逃げる。それから後続機がクラスター型焼夷弾を降らせる。雨あられ、と表現するのがぴったりなほど、クラスター型は空中で分散、油に塗れた小さなリボンの火となって、逃げ惑う人々に直接降り注ぐ。「紙と木で出来た日本家屋」を対象とする、まさに対日焦土作戦だが、場所によってはヒマなP-51が機銃掃射のおまけも付けた。当時日本領だった台湾もやられた。そのとき台北の龍山寺も爆撃された。同じく、日本領だった平壌の周囲にあった工場もやられた。満州も少しだがやられている。

日本も重慶を爆撃した。これは東京裁判でも「日本本土への無差別爆撃や原爆投下と相殺される戦争犯罪ではないか」という論拠にもなった。また、左巻きのくるくるパーは「日本のほうが酷い。爆撃した期間が長い。執拗に、徹底的に非戦闘員を殺す目的だったからだ」とかやるが頭は大丈夫なのだろうか。日本軍の「重慶爆撃」はたしかに1938年12月4日より始まり1943年8月23日まで、計218回の爆撃が行われている。また、それは視界が確保できる春から秋までに限定していた。理由はひとつだけだ。精密爆撃のため、だ。

日本軍は生真面目に軍事施設以外を区分けしていた。本当ならもっとやれば良かった。アメリカのように2~3日でもっと広範囲の「市街地」に爆弾を振らせれば日本は楽だった。しかしながら、日本がなぜだか市街地を狙わないから、蒋介石は市街地に高射砲を置いていたほどだった。そもそも日本軍部では「都市空爆の有用性」に疑いの声があった。どこまでいっても戦争とは兵隊同士が戦地でやるもんじゃないの?ということだ。アジアを恐怖のどん底に陥れた悪魔の軍隊の正体とはこんなものだった。でも、実際のところ蒋介石は、日本軍の精密爆撃により単独での戦争継続が不可能になっていた。「兵隊の後ろ側」への攻撃は効果があった。これを日本は後にイヤと言うほど思い知ることになる。

支那人はもっと酷い。戦争でもないのに文革では近衛兵が好き放題した。「革命無罪」だ。ジーンズを穿いた若者から金魚売りまで帝国主義者とされた。「文化」と名のつくモノは尽く破壊し「文化」のわかる支那人を片端から殺して回った。良識ある支那人は博物館の展示物に毛沢東を貼りつけて回った。いま、支那に残るのはヒトもモノもソレだけとなる。

そういえば、万福庵の仏像を破壊し、大通りに運んで焼き捨てたのは安徽省の造反派と近衛兵だった。高金素梅の父親は元近衛兵かもしれない。だから娘も「歴史的文化」などわからない。もちろん、心配せずとも朝鮮半島には壊すほどの文化がない。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。