支持すると支持しないが逆転しました。ANNの最新の世論調査で、発足時には58.7%あった菅内閣の支持率が約24ポイント下落して34.3%となる一方、不支持は45.4%と初めて支持を上回りました。
調査は17日と18日に行いました。菅内閣の支持率は34.3%で、前回の2週間前の調査に比べて6.6ポイント下落しました。一方、不支持は45.4%で、発足から1カ月半で初めて不支持が支持を上回りました。ただ、参議院選挙の結果を受け、菅総理大臣が辞める必要があるかを聞いたところ、「必要ない」と答えた人は75%に上り、世論が総理大臣の交代までは求めていないことが分かりました。民主党が大敗した理由を鳩山前総理大臣や小沢前幹事長の政治資金問題と答えた人と、菅総理の消費税発言と答えた人がきっ抗していて、「政治とカネ」の問題も選挙に大きく影響したことが分かりました。政党支持率は民主党が28.6%となったのに対し、自民党は26.2%と差が縮まりました。そのほかの政党は公明党4.3%、共産党4.1%、社民党1.5%、国民新党0.7%、みんなの党13.1%、新党改革0.9%、たちあがれ日本0.7%となっています。みんなの党が13.1%と8ポイントあまり増やし、参議院選挙での躍進で存在感を増しています。
昔の話になってしまったが、私がパチンコ屋の店長になった年、年末から正月にかけてフル稼働で働いてくれたアルバイトが正社員になった。3名だ。私自身の昇進祝いもかねて、新入社員3名に特別休暇を出し伊勢に連れて行った。社長マンに相談すると「部下の面倒を見ることはいいことだ」と快諾してくれたが、金は1ウォンも出してくれなかった。
まだ「新車」と呼んでもいい頃のガチコメタンクに3人を乗せ、唯一の普通自動車免許取得者である私が運転した。予算の方も妻には「20万円ほど使う」と言いながら、やはり10万円ほどオーバーした。今思えば、後の「工作員2号」のスケベが勘定に入っていなかった。更に思い起こせば、なんとも日本人はスケベ、ではなく、警戒心がないと思う。
神戸のラーメン屋で働いていた「田中実(たなか・みのる)さん」という人は、勤め先の在日朝鮮人の店主から「欧州に連れて行ってやる」と言われて、そのまま行方不明になった。拉致濃厚であるが、日本政府は北朝鮮との国交正常化の妨げになると困るので、取り調べもしていない。田中さんは近い知人などに「北朝鮮でラーメン屋をすることになる」と漏らしていた。
大阪の中華料理屋でも「原敕晁(はら・ただあき)さん」がいなくなった。店主の在日韓国人が北朝鮮工作員の辛光洙と共に原さんを誘い出して拉致したからだ。警察は行方不明として捜索していたが、北朝鮮までは捜索できなかった。しかし、辛光洙が韓国で捕まった。原さんのパスポートを使って入国していたのがバレた。日本政府は身柄引き渡しを求めることもせず、どころか管直人や千葉景子という日本の政治家は釈放せよという嘆願書にサインした。
そのあとに「有本恵子(ありもと・けいこ)さん」も拉致されていたことがわかる。1983年にイギリスで消息を絶った。しかし、5年経った1988年、有本恵子さんと「石岡亨(いしおか・とおる)さん」が一緒にいる写真が届く。写真には手紙がついていて「北朝鮮にいる」ということがわかる。しかし警察は対応不可能、有本さん夫妻は仕方なく「日本の」外務省に申し出たが「国交がないから」と取り合ってもらえなかった。だからまた、しかたなく「北朝鮮にパイプがある」という政治家の事務所を頼った。土井たか子だった。
有本夫妻は土井事務所に手紙を渡してしまう。その13年後、金正日は日本人を拉致したことを認めたが、有本恵子さんと石岡亨さんは「石炭ガス中毒で死んだ」と言われた。なぜだか生まれた子供も一緒に死んだのだと事務的な説明を聞いた。
そしてその時期は1988年11月だった。土井事務所に手紙を渡した2ヶ月後のことだった。たしかに土井たか子には「北朝鮮へのパイプ」があった。
ところで、あまり書くと叱られるが、私は河内屋の親父の計らいで、虹の会長夫妻や西村眞吾氏、三宅博氏やチャンネル桜の水島社長と共に、李登輝閣下もお気に入りという、大阪のとある場所にある「隠れ家」的なお好み焼き屋で有本夫妻と御一緒させてもらったことがある。穏やかな人柄と共に「鋭すぎる目つき」が印象的だった。とくにお父さんの方、有本明弘氏である。
口元は笑うのだが、明らかに目が笑っていない。常に、だ。誰かが話していると、ぐっと目をギラつかせて聴き入る姿を覚えている。これが娘を拉致された父親の眼なのかと思うと、私にも込み上げるものがあった。信頼してよいはずの「日本の政治家に裏切られる」ということはこういうことだと胸が詰まった。私は「横田めぐみさん」と言うし、そうも書くが、青山繁治氏は必ず「横田めぐみちゃん」と呼ぶ意味もそこにある。横田めぐみさんは当時13歳、有本恵子さんは当時22歳、二人とも私より年上であるが、親からすれば「ちゃん付け」で呼んでよい年頃、まさに「いなくなった」のである。
新入社員3名は、私が北朝鮮の工作員でなかったから、今も元気に日本のどこかにいる。しかし、この国の有権者はまだ、売国政党、工作機関に34.3%もの支持があるという。北朝鮮の工作船を入港させてきた支那共産党の人民解放軍野戦部隊の日本支部隊長だと自認する人間がまた、次の代表選に出るかもしれないと新聞も書く。土井たか子を調べもせず、外務省の調査もせず、そのシンパを税金で喰わせながら、未だに社民党も存在する。
いま、あなたやあなたの家族が平和に暮らしているのは、私が北朝鮮工作員でなかったから無事だった「いつかの新入社員」と同じだと、早く気付いてほしい。たまたま偶然に過ぎぬのだと早く気付いてほしい。マスコミが下駄を履かせる支持率はともかく、こういう連中が未だ偉そうに私やあなたの税金で喰いながら、あなたやあなたの大切な人を狙っていると、早く気付いてもらいたいと切に願う。
コメント一覧
Unknown
な
Unknown
翡翠
最近の「過去記事」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事