忘憂之物

餓鬼の躾はマズルコントロールだな。

今日の産経新聞の一面。なんでも餓鬼の暴力が問題となっているらしい。


http://sankei.jp.msn.com/life/education/091130/edc0911302157006-n1.htm
<20年度の小中学生の暴力行為が過去最多に 中学生は初の4万件超>



とくに中学生が群を抜いている。小学生も合わせて過去最多だとある。



<暴力行為の発生件数は、小学校6484件(前年度比1270件増)▽中学校4万2754件(同5951件増)▽高校1万380件(同359件減)。内訳は、生徒同士の暴力が3万2445件(同4049件増)で最も多く、器物損壊が1万7329件(同1611件増)、対教師が8120件(同1161件増)-と続いた>



驚くのは「対教師」の数字である。しかも、その22%は病院で治療を受けるほどだったらしい。そういえば、倅の転校する前の中学校の担任、その担任教師は女性だったが、つい先日、生徒が黒板に向かって投げていた「金属片」が顔面に直撃。顔を切る怪我をしたと聞いた。もうあと数センチ、場所が違えば目に当たっていた。

投げた生徒は複数いて、誰が投げたものが当たったのかわからず、もちろん、犯人も名乗り出ず、ついに警察沙汰になっている。担任教師は42歳の既婚女性だ。旦那と親が怒り心頭、学校側も相手にして揉めに揉めているらしい。

この先生は倅の「ゲームとか恐喝された事件~虐めの構造~(笑)」に少し出てくる。中学生の餓鬼と親の呑気が原因だった懐かしい事件である。よければ読んでほしい。私も読み返した。そうか、会長に初めて会ったのは「その日」だったのかと思いだした。いやぁ、私も年をとるはずだぁ。ごっほごほ。



http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=522442&log=20061104
<さるさる日記 前日ハゲリーさんに会っててよかった>
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=522442&log=20061109
<さるさる日記 ウソも方便とウソは泥棒の始まり>
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=522442&log=20061114
<さるさる日記 シンデレラはなぜ自殺しなかったか>



2006年11月の関連日記である。そうか、もう、3年かぁ。げっほげほ。



ンで、例のごとく、この原因とやらが、やれ家庭教育だ、いや学校教育だ、なんの社会の責任だ、やはり自民党政治の負の遺産でしょ?とか、いや、だから、つまり恵まれた家庭で育ってすいませんとか、在日を排除してからだろ、などと言われる。もういい加減、原因とやらを特定しようではないか。ということで、私が特定してやる。



原因はだ、な。ずばり(ずぶり)、





大人の所為





だ。ぐっど。これで言い逃れできる奴は子供だけだ。うむ。ぐっど。





ンで、もっと言えば、だ。



売国左派の所為だ。これホンマだと思うぞ。




先ず、子供の喧嘩などは昔からあった。どんどんやるべし。男は拳で語り合え!!でも、ちょっとマテ。あいたた、私は勘弁だ。私とは言葉で語り合おうぢゃないか。



ンで、教師の体罰を認める。悪いのはどうせうちの子。バシバシやっちゃってくださいと親は覚悟せよ。どんな凶悪な教師であれ、それはそれ。仕方がない。骨が折れたり、大怪我すれば訴えればよろしい。「その教師だけ」を排除すればよろしい。中には変態もおろう。神聖なる「教育」というものを、自分の快楽やうっぷん晴らしに利用するようなクソ教師は吊るしあげて葬り去ればいいだけの話だ。日教組とかな。それに心配せずとも熟練されたビンタであれば、痛いだけで怪我はしない。今の教師は加減がわからないかもしれないが、それもベテランの教師が教えればいいのだ。「体罰の仕方」は、ちゃんとある。


ま、ちょっと乱暴になったが、私が言いたいのは「教師の威厳」の話だ。そして、それを理解する「家庭の教育」のことである。隣近所のおばさんに「こんにちは!」と挨拶する子供も喧嘩ぐらいする。友達を殴ったり、殴られたり、また、自分たちの名誉のため、暴力という装置を使ってみる経験も必要なのだ。そもそも、平和教育であれ、平等教育であれ、つまりは「ノーリスク」を前提とするから話が捻じれて曲がる。この世はすべからくリスクを背負わねば成り立たない。

「そのリスクとどう向き合うか」を教えるのが教育であり、すなわち「社会に出る準備段階」といえる。「リスクの避け方」ばかりを教えても仕方がない。なぜなら、リスクとは避けたつもりでも避けていないからだ。違う形のリスク、それは往々にして「避けたがため」に巨大化して襲い掛かってくる。



「暴力はダメ」と教える。理由も簡単だ。左翼チックに語ればいいだろう。「友達を大切にね」とか「自分がされたらどう思う?」などと、阿呆臭くも意味のない「お花畑ストーリー」で用を成すだろう。当たり前に効果はないどころか、結果的に悪化するのだがな。



ひと昔前、幼児の玩具で「遊びたい放題」というのがあった。「子供の好きそうなもの」を大人が作って遊ばせようというものだ。「ティッシュの箱」や「コンセント」や「電話機」や「テレビ」などが一緒になった玩具だ。つまり、偽物を与えて誤魔化そうという企てだ。



我が家にもあったが、もちろん、その効果は悲しいものだった。ンなもん、見向きもするかい(笑)。ちゃんと見抜いて本物で遊ぶのが人間の子供だ。


家庭であれ、学校であれ、教育のために与えるのは「本物」でなければ効果はない。叱るときは命懸けの真剣勝負、つまり「本気」でなければ伝わらない。そして本物には例外なく、それ相応のリスクはある。コンセントは火花が散る。ティッシュを喰えば親が顔色を変えて飛んでくる。電話の受話器は重くて、テレビは静止画像ではない。



リスクのないものはつまらないと赤子でも知る。赤子は怪我をするか、痛い目に遭うか、親に叱られるか、怖い思いをするか、病気になるか、いずれにせよ、何らかのリスクが存ずるものを「本物」だと認識する。また、本物とは体で覚え、頭で覚え、そして心で覚えるものだ。もちろん、本気も伝わる。技術ではなく、知識でもなく、心が、だ。



今、学校でも家庭でも、大人はリスクを避けて偽物しか教えない。「ある」ものを「ない」と教え、「ない」ものを「ある」と教える。学校で競争を否定しても社会に出ればある。それはそれは残酷で理不尽なモノだ。日教組の教師が「競わせるのではなく、自由に伸び伸びと、個性を大切にして助け合う平等社会」とか綺麗事を抜かしても、残念ながら、リアル世界(笑)はそうなっていない。いや、もし、そうなっている、社会は友愛だというなら、ブリヂストンは私にも9億円くれ。ちゃんと「信じている」とか言うから。





小中学生が暴力を振るう。それも激増していると書いてある。これも同じく、リスクを教えないからだ。本物に触れさせないからだ。殴られた痛みは殴られねばわからない。負けた悔しさも負けねばわからない。それも「本気」が介在しないとダメだ。偽物は通じない。







ちなみに、我が家には「りーちゃん」と「むーちゃん」というシーズーが2匹いる。退屈になると「がぅわっ!!」と2匹で喧嘩を始めることがある。妻は「殺し合いしてるww」と見物しているが、実のところあれは「権勢本能」である。つまり「どっちが強いか決めようじゃないか」と争っているわけだ。ただ、そこが悲しいかな、どちらもシーズーであり、しかも「むーちゃん」が阿呆であるから、そんな「牙対牙」みたいな恰好のいい戦いにはならない。妻が爆笑しながらみられるほどコミックバトルである。



しかし、彼らには「甘噛み」という偽物がある。本能的に手加減している。何度名勝負を繰り広げようとも、相手の喉笛に噛みついて引き裂いたりはしない。少なくとも、同じグループに属する「仲間」だという認識はあるからだ。



だから、いまでも「りーちゃん」は生きている。基本、「むーちゃん」の攻撃は「りーちゃん」の背中に顔を乗せたり、虚を突いて逆さまになったりするだけのトリッキーな攻撃か、よほど噛みまくられて怒り心頭、人が(犬が)手加減してりゃ、いい気になりやがって、もう我慢ならん!というときですら、ただ、頭を下げて「りーちゃん」を隣の部屋まで押していく「押し出し」しかしない。基本、「りーちゃん」との戦いに「牙」は使わないようだ。しかし、「りーちゃん」は妻が甘やかしているから、本気で噛みつくときがある。そんなとき「むーちゃん」は、決してやり返さず文句を言うのだ。



「がぁう!(おまえ、な)」
「がろぉん!(本気はやめろ)」



「むーちゃん」は、自分が本気を出して噛むのは「本気」のときだと知っている。また、立場が上の人間には服従せねばならないとも知っている。そして、これは教えることができる。いや、飼い主はこれをちゃんと教えねばならない。

これを「マズルコントロール」という。群れの中で暮らし、リーダーがいて、自分らがいる。その組織、グループの中では皆が仲間であり、上下関係があって、ちゃんとルールがある。これは学ばねばならない。


これも「リスク」のことだ。何事も「リスクありき」でなければ学ばない。仲間内で「本気」を出す場合、もう群れの中では生きていけないというリスクを動物ですら知っているのだ。そのリスクと状況を天秤にかけ、牙をむくなら、そこに迷いはない。


散歩をしていると、「むーちゃん」が唸ることがある。「本気の唸り」だ。この場合、近くに知らない犬がいたりする。でかい犬だ。「むーちゃん」は嫌われているのに「りーちゃん」を護ろうとする。これも本能なのだ。決して「良いところを見せよう」などとは思っていないことも、そのでかい犬が去った後の間抜けぶりからわかる。鳩を見ながら歩いているから木にぶつかっている。いまどき「犬も歩けば棒に当たる」を体現するシーズーもあるまい。どんだけ阿呆なのかと。





ま、話を戻すと、だ。

嘘はどこまで言っても嘘だ。子供は騙されてくれるかもしれんが、現実は変わらないということだ。虐め問題にしても「いじめをなくそう」とやるから進まない。「いじめに負けるな」と教えるべきなのだ。「教師も同じ人間、平等社会」とかいうから殴られるのだ。「貴様、教師に向かってなんだその態度は!」と教えるべきなのだ。


子供に「暴力はダメだ」を悟らせるには体罰で教えないとダメな場合もある。これが本当のところだ。「暴力」と「体罰」の差異を刷り込まねばならん。「どちらも同じ暴力」などとするから区別がつかんのだ。だから、大人になって「躾のつもりだった」と言って子供を虐待死させたりもする。子供同士で何度もやる「単なる喧嘩」なのに死人が出る。


まあ、でも、先ずは、「友愛」何ぞと抜かしているこの国の総理大臣からだな。

コメント一覧

久代千代太郎
>むぎせんせ


由々しき事態ですね。ほんっとに。

で、そんな子供が大人になって、また、子供を持つんですね。どこかで大きく正されると信じたいです。青山繁治さんも仰ってますし、我らが河内屋の親父の口癖でもありますが、


「10年、20年では治らない。100年、200年のつもりで取りかからないとだめ。」


ということなんでしょうね。だから、我々は「繋ぐ」ことが最大の目的です。「真面目日記の王」であるむぎせんせは、お忙しいでしょうが頑張って続けてくださいね。私も思いついたら、何か書きますww


久代千代太郎
>かいちょ


昔はね、近所のおっさんに怒られたりねww

しましたもんね。我々はそんな「おっさん」を目指しましょう。捕まらない程度にww
むぎ
自分が日記を書く前に千代太郎さんに惚れ込んだ内容ですね。
懐かしかったです。


まさしく「大人の所為」ですね。
子供と関わる現場にいると、つくづくそう思います。
真理の核心です。

「貴様、教師に向かってなんだその態度は!」どころか、今は「ひどい先生ね!学校に抗議してくるわ!」でしょうかね。
どっちが本当に子供にとって良いことなのか、もう親と呼ばれる世代が分からなくなっているのでしょうか。
由々しき事態です。
二代目弥右衛門
連日お疲れ様です!

「さるさる日記」の以前の記事を久しぶりに拝読しました。


子供の暴力、犯罪、虐めの原因は、
副会長の仰るとおり、「大人の所為」です。

子供の権利、人権云々によって、少なからぬ大人が子供の躾、教育を放擲したんでしょうね。



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