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対馬で盗難の仏像「返還ダメ」=地裁が仮処分、外交摩擦も―韓国

2013年02月28日 | 過去記事


対馬で盗難の仏像「返還ダメ」=地裁が仮処分、外交摩擦も―韓国

<【ソウル時事】長崎県対馬市の寺から盗まれ、韓国に運び込まれた仏像について、韓国の大田地裁は26日、寺が仏像を正当に取得したことが証明されるまで韓国政府は日本側に返還してはならないとする仮処分決定を下した。聯合ニュースが報じた。返還を求めている日本側の反発は必至で、外交摩擦に発展する可能性も出てきた。
 仏像は観音寺が所有していた県指定文化財の「観世音菩薩坐像」で、朝鮮半島から伝来したとされる。他の仏像と共に盗まれ、1月に韓国人の男が韓国警察に逮捕された。
 その後、仏像は忠清南道のプソク寺で造られたと主張する市民団体がプソク寺への返還を求める仮処分を申請していた。
 決定は「観音寺が仏像を正当に取得したことが裁判で確定するまで、韓国政府はプソク寺が委任した執行官に仏像を預けなければならない」としている。地裁関係者は「完全に返還しなくてよくなったわけではない。決定が国際法上、通用するか検討も必要だ」と話している>






ソユーズ宇宙線が高度400キロの宇宙ステーションから切り離される。2012年11月19日だ。それから2時間半後、南大西洋上空でエンジンを噴射、地球に向かう軌道に乗った。ステーションへのドッキング部を切り離し、高度約100キロで大気圏に突入する。カザフスタン中部に着陸したのは3時間半後だった。スペースシャトルが「丸2日」かかったことを思い出せば、宇宙技術の進歩は目覚ましいと実感できる。

地球に降り立つと周囲は大雪原。しかも氷点下の猛吹雪だった。なにもなくても着陸する過程での重力は数倍、そこにトラブルが発生して垂直に落下する弾道飛行ともなれば最大で12倍。宇宙空間で4ヵ月の業務を終えたパイロットは、そこで最後の「過酷」を経験する。そこから降りてきたのはアメリカ人とロシア人、それから星出彰彦氏だった。毛布に包まれて両脇を支えられた星出氏は日本人らしく、集まっていた報道陣に「寒い中、御苦労さまです」を言ったあと「地球に生まれてよかった」も言った。

地球は青かったとか丸かったではなく、生まれてよかった、の理由とは「宇宙から地球を見たから」だった。命を賭けた困難を克服し、客観的にみた「奇跡の惑星」とはたぶん、それはそれは美しかったのだろうと察する。「生まれてよかった」の言葉に深みが出る。

我々が海外から帰国すると、日本に生まれてよかった、と実感するときがある。好きで行った海外のくせに、飛行機の車輪が関空の滑走路に乗ると、なんともいえない安堵感がある。オチなかった、ではなく「帰ってきた」という安堵感だ。それから空港内を歩き外に出る。車や電車に乗って帰宅の途につく。そして目に入ってくる景色や景観に安堵する。懐かしいとも感じるが、同時に「美しい」と感じる。ある意味「客観的に日本を見る」。

私の祖父、太郎が朝鮮半島で雑貨店の娘だった祖母に一目惚れ、一緒になろうと日本に連れて来ないと、私はたぶん、生まれていないが、万が一に生まれたとしても「あの半島」で産まれているかもしれない。慰安婦がどうの、靖国がどうのと、半島でやってるかもしれない。岡崎トミ子と仲良くしてるかもしれない、と想像する背筋が凍る。そう考えると、当時二十歳の太郎。よくぞやってくれたと墓前に酒でも置きたくなる。

「日本に生まれてよかった」とか「日本に住んででよかった」を感じるときは他にもある。例えば地裁が<観音寺が仏像を正当に取得したことが裁判で確定するまで、韓国政府はプソク寺が委任した執行官に仏像を預けなければならない>とかやっちゃう国をみたときだ。

泥棒が盗んだモノを「それは本当に持ち主のモノなのか」として返さない。盗んだ場所も盗んだ本人も、盗まれた側もわかっているのに<正当に取得したことが裁判で確定するまで>とかで返さない。国際社会からなにを言われようが、どう思われようが、事が反日なら思考停止する。馬鹿らしい都合もあるのだろうが、その都合が周辺国に通じるかどうか。

「観世音菩薩坐像」の話は数百年前になる。これは普通「正当な取得」とかではなく「由来」という。忠清南道のプソク寺で造られた、が本当だとしても、それは「朝鮮半島からの由来」なのであって、観音寺の誰かが盗み出したわけでもない。記事は<外交摩擦も>と心配するが、国際社会からは「反日馬鹿」だと思われるだけだ。

また、加えて今年の初めにはソウル高裁が靖国神社の門に放火した支那人を「政治犯」として引き渡さなかったばかりだ。明らかに「日韓犯罪人引き渡し条約」に違反している。つまり、韓国は条約違反をしてまで「反日」を貫いた。なんとも愚かで遅れた国だ。

それでも「客観的に」日本を見てみる。すると、これも褒められたものではないとわかる。原因は韓国かもしれないが、それを増長させているのは日本でもある。もういい加減、朝鮮人の扱い方を覚えたほうがいい。例えば、韓国仏教界は「観世音菩薩坐像」は返さないが、観世音菩薩の生まれ変わりであるダライ・ラマ14世は呼べなかった。韓国政府は訪韓どころか経由も認めなかった。支那が怖いからだ。モンゴルも支那からプレッシャーはあった。しかしモンゴル、ガンダンテグチンリン寺院のチョイジャムツ僧院長は「ここはモンゴル。だれが反対しても実現させる」と言い切った。これが朝鮮にはできない。

支那は公然と「米国さえいなければ韓国はその前に手を打っている国」と言う。「西海には公海がない」とも言う。それでも逆らえない。聞こえないふりで済ませる。ある意味、日本以上に支那共産党の顔色を見ているわけだが、実のところ、それも仕方がないという言い方もできる。なぜかというと、それは実際に1000年以上も属国だったからだ。

戦後、韓国は経済的にも成長した。冷戦時代も勝ち馬に乗っていた。ベトナム戦争でも好き放題やった。何かとよろしくやってきたわけだが、そのとき支那は貧乏国だった。70年代を過ぎるころまで、支那は発展途上の弱小国家だった。しかし最近、経済でも日本を抜いたとか聞こえてくる。軍事力はアメリカに喧嘩を売るほどになる。それで朝鮮半島がビビらないわけもないのだ。国旗にまで「大清国属」と書かねばならなかった過去がある。いまの独立門の前にあった「迎恩門」は朝鮮人の子供に教えていない。琉球の臣下が宮廷に篭で入る横を、朝鮮の臣下は歩かされたと教えない。下国の中の下国、それが朝鮮だった。朝鮮人はDNAレベルで支那人が怖い。逆らう、などとんでもない。でも、日本は怖くない。それだけだ。支那の反日は工作だが、韓国の反日は「甘え」である。

「日本が右傾化して軍国主義が復活する」は「本当はそうならない」と信じているから言える。本当にそうなったら口は閉じる。日本が日本の意志と力で「上半分の朝鮮」から日本人拉致被害者を奪還した日、間違いなく竹島の交渉がスタートする。相手はロシアではない。すんなりスムーズに話は進んで行く。要すれば「どうやって返すか」が議論される。

私は日韓友好のために言いたい。北朝鮮の崩壊後、統一された朝鮮半島と日本の友好親善のためにも言いたい。日本は韓国がやることに「小さいこと」だと看過するのは止めろと。腰を入れてやれと。本気の全力で詰めろと。竹島も奪還せよと。真の友好はそれからだと。

韓国内で「反日世論」とやらが盛り上がるなら、それはもうMAXまで引き上げてみる。大使館も引き上げて国交断絶までいくかどうか、というレベルで喧嘩すべきだ。「相手にしない」ではない。徹底的に相手にする。日本が腰をあげる。断言する勢いで言うと、必ず、韓国はどこかで折れる。折れざるを得ない。ホントは折れたい、と願う韓国人もいる。

それに韓国内を抑え込むのは韓国政府の仕事だ。自らが蒔いた「反日のタネ」を刈り取らせる。デモも起るし、暴動もあるだろう。火病で100人ほど死ぬかもしれないが、それも勝手な話だ。日本が気を使う必要など毛頭ない。そしてそれは「韓国のため」だ。

日本の総理と韓国の大統領が揃って靖国神社を参拝する日、支那共産党は腹の底が煮えくりかえる。それは「仏像返せ。国際条約を守れ。叩き潰すぞ」から始まる。それは拉致被害者の奪還に繋がり、それから領土領海になる。日韓友好への最初の第一歩、それは「胸倉を掴む」だ。




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